「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
変態する変態・・・・・・ピエール・モリニエ


"Grand Melee" フォトモンタージュを極限まで進めた作品。

https://saint-lucy.com/より

  ピエールモリニエの展覧会が銀座の外れのヴァニラ画廊で開かれてるって偶然知って、モノ好きにもみぞれ混じりの冷たい氷雨の降る寒い晩に出かけてった。

 ・・・・・・そ、あのヴァニラ画廊ですな。これだけでも十分クサいよね(笑)。大体に於いてココってマイナーでちょっとビョーキ系(古っっ!)な個展会場に選ばれることがひじょうに多い。たまにライブなんかもやったりする。何せ地下2階だから音が漏れにくくて好都合なのかも知れない。
 ヴァニラ画廊でやるくらいだから、まぁ展覧会っちゅうよりは展示即売会だろうなぁ〜、と思って出掛けたらヤッパシ八ッ橋ビンゴである。東京タワーの水族館かよ!?(笑)でもその分チャージは安くて、併設の展示と合わせてたった500円だ。

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 まずはモリニエを世に送り出したアンドレ・プルトンについてから書き始めることにしよう。

 ダダぢゃシュールレアリスムぢゃとソッチ系の諸作家に惹かれてこまで数多くの作品に触れて来たにも拘らず、ムーヴメントの創始者であり「法王」とも称されたブルトンについて、実のところおれはあまり好きでなかったりする。無論、本人も「ナジャ」等の優れた作品を残した作家であったことは百も承知なんだけど、どうにも昔から好きになれないのだから仕方ない。巌谷國士さん、ゴメンなさい!(笑)。
 その理由は一言で言って、あまりにも「仕掛人」としての側面が悪目立ちしてるからだ。ちょっとアザといのである。誤解を恐れず言うならば、ブルトンに対しておれはヤマ師っぽい印象さえ持ってる。そいでもってそうして色んな連中を引っ張って来てはプロデュースしたクセに、ちょっとでも自分と路線が違うと純化のためなのか何なのか追い出したり除名したりして極めて人格的に偏狭で鬱陶しいのがこれまたイタいしみっともない。

 それはまるでパンクあるいはポストパンクの潮流にどっぷりハマってたクセに、その元祖仕掛人であったマルコム・マクラレンがどぉにもセコいオヤジで気に喰わないのと似ている。どぉにもおれの眼にはグレート・アート・スウィンドルに映るんですよ、ブルトンは。

 だから「ブルトンに見いだされた」ってな謳い文句についても、ちょっと斜に見て疑って掛かってる自分がいたりする。

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 ・・・・・・で、そんな「ブルトンに見い出された」(笑)肝心のピエール・モリニエについてだ。

 最初にその名を知ったのは澁澤龍彦だったろうか、うわわ!やね。まぁまだ「フランス」にアンダーグラウンドや性愛のイメージがプンプンしてた時代の話ですな(笑)。今ではこんな言辞さえちょっと恥ずかしく感じられるようになっちゃったねぇ・・・・・・。
 遠い眼になるのはともかくとして、ピエール・モリニエ、初めて見た作品が何だったかは忘れてしまったけど、どこまでも暗く、深く沈み込んで行くようなモノクロのフォトモンタージュだったと思う。そしてそれはちょっと嫌悪感を催させるよう奇怪で偏執的な印象を与えるもので、深くおれの記憶に刻み込まれたのだった。

 知らない人のためにまずはモリニエのバイオグラフィをちょっと書いておくことにする・・・・・・あ!色んなものをツマミ食いして端折っただけだからあまりマジメにアテにしちゃダメっすよ。チャンとした評伝はチャンとした本で調べてね。
 1900年に生まれ、画家で身を立てる夢は能わないまま蛭子能収ぢゃないけど看板屋で生計を立ててた彼は、50も過ぎてブルトンの知己を得るところとなり、強力な推薦もあってようやく世の中に出る。
 そうしてようやっといっぱしの芸術家として認められたワケだが、そうであろうがなかろうが彼は生来の真正ビザーレにしてガチの変質者だった。どちらかと言えばアウトサイダーアートの文脈で語られるべき人だろう。そのエピソードについてはスキャンダラスに脚色された点はもちろん多々あろうから(・・・・・・案外その犯人はブルトンだったりしてね、笑)、ある程度割り引いて聞かないといけないはいえ、数々の奇行が伝えられている。

 曰く、物心付いたころからハイヒールと女の脚に異常な興味を示す助平なガキだった。18歳の時に溺愛する妹をスペイン風邪で亡くして悲しみの余り(?)その遺体の上に射精した。異常なまでのガンマニアで多数の拳銃コレクションがあった(・・・・・・花輪和一かよ?)。それでも長じて人並みに結婚はしたものの、ヒドい癇癪持ちでヨメに対するDVや知り合いにピストルぶっ放した廉で逮捕された。絵を描いてザーメンをその上に塗りたくった。サルセンみたく自分自身をフェラチオした写真を名刺代わりに配ってた、最初の女装してのセルフポートレートの服は妹の残したドレスだった・・・・・・一つ、これだけは確かに言えることは、20数年の密室での殆ど性戯に近い制作作業の果てに、彼は衰え行く自分の肉体にほとほと嫌気がさしたのか、1976年、アトリエにしてたアパートの一室でお気に入りの拳銃を選んで自殺を遂げたってコトだ。
 ちなみに生前に開かれた個展は件のブルトンのオシで開かれた1回のみ。それも止しときゃエエのに絵画以外に性具やら何やらを展示しようとして、スカした高踏でありたかったブルトンとはかなり揉めたらしい。

 難儀な性癖をそのまま作品にしたって点で何だか三十年以上早かったボブ・フラナガンみたいな人だけど、その作風や技法は生涯で大きく変化している。初期はまぁ面白くも何ともないちょっと印象派とかフォーヴィズムの亜流っぽい風景画とかを油彩で描いてたらしい。会場に展示されてた本の中で紹介してるページがあって初めて見たが、ホンマにフツーの風景画だった。一説にはそんな穏健な絵を描きつつも実生活ではたいへん羨ましいことに変態プレイ大好きな人生を歩んでたらしい。しかしこれも実のところは良く分からない。もちろん画家では食えず大工とか看板屋とか売春宿の経営(!?)とかが本業だったようだ。
 一体全体どんな精神の変容があったのか、50年前後くらいから急に本領発揮(!?)しだして、まずは油彩で奇怪な女性の肢体が絡み合って増殖したような作品が出て来る。あくまでおれの推測だけど、終戦前にジャンキーの父親が自殺したことと、戦後すぐにダライラマ使節団に曼荼羅制作のメンバーの一人として依頼された(・・・・・・よりによって何ちゅうオッサンに頼むんや!?笑)ことが大きな転機になったのではないかと睨んでる。作品にチベット密教の仏画に見られる多頭や多肢のイメージの直截的な投影を感じるのだ。
 50年代半ばあたりからは写真作品がだんだん増えて来て、最初はまぁフツーに(!?)セルフポートレートで女装やら死んだふりやらを撮ってたのが、何をキッカケにしたのか今度はフォトモンタージュに目覚める。さらなる猥雑、さらなる涜神を目指すかのようにセルフポートレートやヌードをベースとしてさらにゴテゴテに手を加えた奇怪な作品群の誕生である。それが60年代を通じて中心的な技法となる。この間にはいろいろ大きな影響を与える人たちとの出会いがあったようだ。
 70年前後からはフォトモンタージュに加え、ペン画やエッチング、最晩年にはリトグラフなんかも制作し、ここでは50年代の作品への回帰傾向も見られる・・・・・・とは申せ、生粋の色キチガイの血は老いても止むことが無かったのか、75年には両性具有をテーマに若い画家と精力的にフォトセッションを行ったりもしてる。しかし前述の通り、その翌年にはアッサリと拳銃自殺を遂げた・・・・・・まぁ、拳銃自殺でユックリは死ねないわな(笑)。病苦だとか色々言われるが、ナルシストでもあった彼にとって自身の老いさらばえた姿は最早耐え難かったのかも知れない。

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 画廊に並べられた作品、稀覯本を見ておれが感じたことはタイトルの通りだ。ダジャレではない。技法的には様々に変態(メタモルフォシス)を続けながら、彼自身は微塵も揺らがぬ変態であり続けた。そして生み出される作品も変態としか呼べないモノばかりだった。いい歳ぶっこいて見事なくらいにパッキパキの変態であろうとし続けた。老成も円熟もヘチマもなく、その姿勢はもう清々しいほどに徹底してる。

 「20世紀最後のシュールレアリスト」などと称されることもあるモリニエだけど、おれは彼がシュールレアリストの文脈に名を連ねてることにはどうも違和感を覚えずには居られない。たまたまその回路を通って世に現れただけのコトではないかと思うのだ。彼にとってはそんなカテゴライズなんて実はどうでも良かったのではなかった、って気さえする。
 こんな言い方をするとミもフタもないが、愚直なまでに変態だった彼には変態な作品「しか」作れなかったのだ。だってそれこそが作家としての真実の発露なのだから。そしてたまたまその世界観にまんまと食い付いて来たのがアンドレ・ブルトンだったってコトだ。

 こっからはおれの推測だけど、一方で同時にモリニエはかなりの下衆でもあって、要はそんな作品でもって兎に角ひと山当てて何としても世に認められたかったのだ。ブルトンに接近する前にマルローに近付こうとした時期があったり、エマニュエル・アルサン(あの「エマニエル夫人」の原作者)にファンレター送って仲良くなったりと、かなり手当たり次第に有名人のコネを得ようとしてるコトからもそれは伺える。要するにブルトンも大概だけどモリニエもムチャクチャに下世話なヤマッ気が溢れ返ってた・・・・・・と、案外それが正解ではないかと思う。

 しかし、モラルに牙を剥き、暗い情動と欲望、下降倫理に満ちたピエール・モリニエのグロテスクな作品はたしかに心を揺さぶる。それは間違いない。

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 店の外に出ると、やや小降りにはなったもののみぞれは相変わらず降り続いてる。とにかく寒い。地下鉄の駅までの道を急ぐ。

 そぉいやぁモリニエと同じくインセスト的に妹・セツ子を溺愛した宮沢賢治は、彼女の死を「永訣の朝」って詩にした。その中でみぞれが重要なモチーフとなってること、リフレインとして「あめゆじゅとてちてけんじゃ(雨雪を取って来て下さい、賢治や)」と呪文のような言葉が繰り返されることを思い出す。

 生み出された作品は全く違うものの、メンタリティに於いて二人は案外地続きなのかも知れないな、って気がした。変態は深いわ。 


"La Communion d’amour" こちらはドローイングによる奇怪な作品。

https://jp.pinterest.com/より

2017.02.12

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