「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
たまにはカメラ遍歴なぞ


オリンパス35−S。如何にもカメラ、ってな造形が可愛い。

http://www.olympus.co.jp/より

 小学生の終わりくらいだったか、初めて与えられた、っちゅうか一人で使わせてもらえたカメラは、元々は母方の祖父が使ってたという50年代くらいのオリンパスだった。実家に戻ればどこかにあるハズだ。
 ネットで調べた型番で言えば恐らく「35S−3.5」っちゅうモデルではなかったかと思う。当時としてはナカナカの高級機だったようである・・・・・・っちゅうかカメラそのものがとても高級だった時代だわな。茶色くて硬い革のケースに収まっており、随分コンパクトだった。あまりハッキリとは覚えてないのだけど、絞りと距離の目盛の一部が赤く塗られてあって、両方をそこで合わせるとバカチョンのように使えるって代物だった。

 おれが物心ついた頃には彼は既にカメラに飽きて猛烈に川釣りにハマッており、その後それにも飽きると今度は猛烈に家庭菜園にハマりととにかく熱しやすく冷めやすい性格ではあった。おれはひじょうに彼に容貌だけでなく歩き方まで似てる(大昔のアルバム見た娘が、「何でお父さん写ってんの!?」って訊いたくらいだ、笑)のだけど、性格もかなり受け継いでるような気がする。
 生野区にあった家の鴨居には沢山の写真コンテスト入賞の賞状が飾られてたが、すでに家の中にはカメラのカの字も残っていなかった。そうして使わなくなったのをどうやら結婚したばかりの父親が譲ってもらったらしい。

 例によって例の如く父親はペダンティックな調子で、フィルムの充填方法の伝授くらいにしときゃいいのに、これにはズイコーレンズが使われててどうちゃらとか何とか散々講釈を垂れられて、ようやくおれは持ち出しを許可されたのだった。
 とは申せ、子供の小遣いでフィルム買ってDPE出してなんておいそれと出来ることではない。結局、一人で持ち出して使ったのは5回もなかったと思う。

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 父親がカメラ大好きだったのは間違いない。とにかくニコン命な人で、初めて買ったニコマートに続いて何年後かにはF3かなんかも買って、レンズもけっこう沢山持ってた気がする。そして、オリンパスの能書きの千倍くらいニコンの素晴らしさについて滔々と語られまくったのだった。子供にそんなん話したって分からん、っちゅうねん。
 おれがガキの頃は仏像とか石仏ばっかし撮ってたのが、その後は何がキッカケになったのか接写にハマッて花とか虫のクローズアップばかり撮ってた。ああ、そぉいやどこからかリコーフレックスというローライのデッドコピーみたいな2眼レフの中古を手に入れて、風景写真なんかも撮ったり、スナップ用に京セラコンタックスなんかを買ったりもしてたっけ。

 おれはそんな姿を横目に見ながら、どうにも一枚に気合入れて長考してジックリ撮るってのに違和感を感じてたし、音楽や楽器に興味が湧いて来たこともあって、中高の6年間どころか大学入ってしばらくするくらいまではカメラそのものに触れることも無くなっていた。多分、「カメラ=高尚な趣味、芸術指向」みたいな高踏を気取った(大阪弁で言うところの「イキッた」)感じがイヤだったのだ。だから、おれの大学時代、特に最初の3年間くらいの写真はとても少ない。あっても他人に撮ってもらったモノばかりだ。

 自分で買おうと思って初めてカメラを買ったのは、だから大学もそろそろ後半に差し掛かる頃だったと思う。単車で出掛けて風景の一枚も撮らずに帰って来るのも何だかとても寂しく思え、メーカーも型番も何も忘れてしまったけど、バカチョンカメラを安く購入したのだ。ズームも何もない、フィルムをポンと入れてバシバシ撮って、終わると勝手にジージー巻き戻してくれるヤツだった。ストロボも付いてたかな?ともあれギャラリーの最初期の九州行等はそれで撮ってると思う。

 バカチョンはその後壊れる度に買い直してた。温泉での撮影が多いからか矢鱈よく壊れた。とにかく安くて頑丈であればどうでも良かった。3〜4台は買い直したと思う。フィルムの値段はどういう理由があったのか年々安くなって来ており、36枚撮りの5本パックとかをまとめ買いしてた。DPEについても吉野家みたいに安い早いを標榜するイエローカメラなんてのが登場して、一般市民にも写真の敷居が低くなった時代と丁度重なる。そうそう。使い捨てカメラの「写るんですハイ!」が登場したのもこの頃だ。ワリ見ると高く付くんであまり使わなかったけど、たまにカメラ忘れて急遽買ったりとかは何度かあった。

 その後暗黒のAPS時代なんかを挟んでいよいよデジタルになったんだけど、その辺については過去にも書いたんで割愛しても宜しかろう。

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 ネットで交流の生まれたPさんって方からの勧めもあって、おれは一眼に移行してみることにした。

 初めて買ったマトモな一眼はニコンのD3100だった。マトモったってその当時のエントリーモデルである。おれも歳食ってちったぁ丸くなったのか、これまで依怙地になってたのがアホらしく思えるくらいスーッと素直に面白いなと思えた。
 このD3100、今から思えばエントリー機にしておくのが勿体ないくらい性能の良いカメラだったと思う。もちろんAFエリアも狭ければポイントも少ないとか、ダイヤルの数が上級機に比べて少ないとか、いくつかの機能が省略されてるとか、ISO上限が低いとか・・・・・・まぁ如何にも初心者モデルな造りだったものの、1400万画素とムリして高画素化してないのが結果的に良い方に作用してたのか、ひじょうに素直な発色でヌケ良く写ってた気がしてる。

 それで飽き足らなくなってD7000に移行し、D3100の方はいつまでも銀塩に固執してる父親に新品のSDカードやプリンタまで付けて譲ったんだが、結局彼はそれでも決してデジタルを使おうとはしなかった。まぁ、本当のところは認知症が徐々に進行して新しいことが全く頭に入らなくなってるのを認めたくなくて、手を出そうとしなかったのかも知れない。若い頃から顕著だったワケの分からない無駄に高いプライドが晩節を不幸にしたと思う。
 ともあれD7000は、APS−C機でのその時点でのハイエンドモデルだった。画素数は少し上がって1600万画素。造作もゴツければ、AFポイントも多い。機能もテンコ盛りについてる・・・・・・で、肝心の写りがどうだったのか?っちゅうと、ぶっちゃけD3100より難しかったような気がしてる。まず発色におれとしてはとても違和感があった。この辺からあーでもないこーでもないとあちこち弄り倒す逍遥が始まったのも災いしたような気がするが、何となくヌケもスッキリしない。
 もちろんカメラだけの問題ではない。止しゃぁ良いのに一眼に必要以上の機動力を求めて18−270mmの高倍率ズーム買ったり、逆に18−35mmのF1.8通しなんて明るい以外の性能を度外視したようなヘンなズーム買ったりと迷走したのも悪影響を及ぼしてるに違いない。

 それで心機一転を図るのとヘンに道具のせいにしたくなくて、従前の機材は一切合財売り飛ばし、今はフルサイズでD810である。ケケッ、道具だけはおれもいっぱしのモノを持つようになったもんだ。半ば呆れてしまうな。
 これの評価はおれごときがすべきではなかろう。ファイルサイズとかはモンスター級だけど、とにかく素晴らしいカメラだ。しかし今、改めて冷静に考えてみれば、カメラの良さって詰まるところAF精度と発色(色再現性)の二点に尽きるのではないかとも思う。D3100は安物だったけど、そこがとにかくシッカリしてた。D7000は高機能だったけど、突き詰めるとそこがも一つ頼りなかった。そぉゆうことではなかろうか。

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 さて、何でニコンなのか?疑問に思われる御仁もいらっしゃるだろうからその辺をちょっと詳しく書いてみよう。

 初めに断言するならぶっちゃけおれはニコン党ではない。消去法でそうなっただけのコトだ。最初に一眼買おうとした時、一番惹かれてたのは実はペンタックスだった。昔から庶民的なクセに意欲的なモデルを出すこのメーカーについては、父親の薫陶・・・・・・もとい能書きを散々聞かされてたのもあってワリと好印象だった。
 K−XとかK−Rとか、ボディの色が選べるのも楽しそうだし、バッテリーが最初から単3電池互換になってたり、手ブレ防止機能がボディ内に組み込まれてたりするのは重量やランニングコストの点でとても優れてるように思えた。
 しかし、当時のペンタックスは廃業まで囁かれる危機的な状況にあったのだ。親会社のホヤは上手く行かなければ撤退も視野に入れつつ売り手を探してる、などと報じられてる状況ではサスガにちょっと手を出すのは躊躇われてしまう。買ってすぐにツブれたりしたら目も当てられんやんか。それで脱落。

 次に惹かれてたのはソニーである。どうだろ?α33くらいがエントリー機だった時代かな?一眼がミノルタの流れを汲んでいるのは関西育ちのおれにとって何となく印象が良い。今は「α」シリーズっちゅうたらソニーのカメラのブランドだと思ってる方ばかりになったけど、元はミノルタの「α」なのだ。レンズもだからロッコール以来の伝統で緑色に光ってたりしてカッコいい。
 ところがソニーも業績低迷で未曽有の不振に喘いでいる。五反田のソニー村のビル群もドンドン切り売りされたりしてた時期だ。加えて、製品そのものが基本的な部分でちょっと遅れてるのと、ラインナップに一貫性が無いような風に感じられた。例えば電池の持ちの悪さや、ミラーレスとの棲み分け、レンズマウントの方式・・・・・・何ともゴチャゴチャして足の踏み場もない。そんなこんなでここも脱落。

 オリンパスとパナソニックについては申し訳ないけどフォーサーズってコトで初めから眼中になかった。一眼って要は大きな撮像子でしょ?みたいに思えて、どうにも触手が動かなかったのである。ただ、メーカーとしては、パナソニックはコンデジがかなり好印象だったのでけっこう好きだし、オリンパスも嫌いではない。フジフィルムからはまだ製品出てなかったかな?

 つまり、選択肢の最下位にニコキャノがあったのだ。ニコンは父親がニコン党だったのでどうにも面白くない。一方のキヤノンは企業姿勢がどうにも気に喰わない。創業者を追い出すなんて、なんぼそらゼニ勘定に疎い発明狂みたいなオッサンだったからってやっちゃいけないことだろうし、正直なインプレ記事を書いた写真家を出版社に圧力掛けて干してツブすなんてマトモな企業のやることではなかろう。大体おれは経団連会長とか言って威張ってる、あの御手洗ナントカっちゅうオヤヂが大嫌いなのだ。
 それとコンデジでの印象があまりにも良くなかった。一度パワーショット、ちゅうのを買ってみたんだけど、とにかく発色が陰気で、早々に遥かにチープなGEに取って代わられてたのである・・・・・・で、その辺はエンジン性能によるハズだから一眼だって同じような方向性なのかな?と思ったのだ。余談だが、おれがサードパーティーのレンズでタムロンを買うのが多いのも同じ理由による。シグマはどうにも色が陰気で冷たく感じる・・・・・・トキナーやコシナは良く分かりまっしぇん。

 かくして引き算してったら、思いもかけずニコンが残ってしまった次第である。たしかにAPS−C止める時にメーカー乗り換えることはできたんだけど、あの時点で客観的に考えてD810を凌駕する完成度のハイエンド機は他社に無かった。画素数だけで言えばソニーが既にα7R出してたとはいえ、いささか前衛的過ぎる、っちゅうかトータルでの完成度はいささか劣ってるように思えた。今のα7Uにまで進化してたらそっちにしてたかも知れない・・・・・・マウントコンバーター買って、あちこちのレンズを買い揃えるなんてーのも楽しそうだしね。こないだ出たペンタのK−1もひじょうに魅力的だ。つまりこのままいつまでもニコンかどうかは分からない。

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 これからどうするかは考えていない。取り敢えず今の機器環境には満足しており、買い替えようって気がそもそも起きてないのだし。

 これからも高画素競争は果てしなく続くのだろうけど、個人的にはPC等の周辺機器の能力も勘案すれば今は2000万台で十分ではないかな?と思ってる。Fマウントのレンズ資産が出来ちゃったのはいささか面倒だが、それこそフランジバックが殆どないα7Uとかにしてマウントコンバータ付ければいくらでも流用出来るワケだから。

 また、手ブレ補正の将来性はボディ内方式の方に勝機があるのではないかとも思ってる。ファインダー像や補正段数に難ありとは申せ、レンズ式では不可能な5軸補正だとかが実現できて、何より全体として機材がコンパクトで安価にまとまるのは最大のメリットだろう。
 さらにこれまで70年近くに亘って一眼レフの証であったプリズムとミラーもそろそろ用無しになりそうな気もしてる。液晶ファインダーの不自然さは依然大いに残ってるが、これも日進月歩で改良されてくに違いない。WBやISO、EVの変更が視覚的に直接確認できるのはひじょうに大きなメリットだと思う。これらの点で枯れた技術への拘りの強いニコキャノはもっと危機感を抱くべきでだろう・・・・・・あ!富士フィルムもかな?(笑)。

 まぁ、ダラダラ書いたけど、所詮道具は道具に過ぎない。ゴチャゴチャ言わずにどれだけ撮るか、ですよね?カメラなんて。ではでは。


ニコンD3100。実は隠れた名作だと思うな。

2016.06.11

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