「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
天人五衰


弁財天も天人に属してる

 天人にも五衰があるという。

 そもそも天人とは何ぞや?ってトコからなんだけど、仏教の世界観の中での想像上の存在であって、ひじょうに長生きで面白おかしく楽しく生きており、空飛んだりもできるらしい。普通、吉祥天だとか弁財天だとか天女を想像しがちだが、実は男女の別があって男の方はけっこういかつかったりする。例えば四天王・・・・・・増長天・広目天・多聞天・毘沙門天なんかがそれだ。んん〜・・・・・・余り面白おかしそうには見えないな。
 その住まう世界は仏教の説く十界のうち、輪廻があるとされる六道------天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道------の最上位に位置している。さらに天道の内部は細かく28の世界に分かれているのだが、これ以上の説明はいつまで経ってもキリがないので止しとくことにしよう。
 とまれフワフワと風に乗って蝶よ花よとまことにお気楽で結構そうに見える天人も、リインカネーションの中にあるからして実は生老病死の四苦からは逃れえず、いつかは老いて来るのである・・・・・・で、その兆しが五衰っちゅうワケである。異説はいくつかあるものの一般的にそれは次の5つとされている。

    一、衣裳垢膩・・・・・・服が汚れる
    一、頭上華萎・・・・・・華鬘が萎びる
    一、身体臭穢・・・・・・身体が汚れて臭う
    一、腋下汗出・・・・・・こりゃ文字通りやね
    一、不楽本座・・・・・・自分の立場にいることを厭う

 実のところこれは「大の五衰」といって全ての天人に不可避のモノで、これとは別に努力でどうにかなる「小の五衰」というのもあったりする。それは以下の通りだ。

    一、楽声不起・・・・・・良い声が出なくなる
    一、身光微暗・・・・・・身体の光が失せる
    一、浴水着身・・・・・・肌が水を弾かない
    一、着境不捨・・・・・・執着するものが出来る
    一、身虚眼瞬・・・・・・無闇に目を瞬かせる

 仏教っちゅうのはまことにスコラ哲学的というか「空想観念論の童話」みたいなトコがあって、よくもまぁ想像だけでこんなにいろいろどぉでもいいコトを考え付くもんだと半ば呆れてしまうのだけど、この天人五衰の考えは仏教の根本理念の一つにして日本人が大変好んだ無常観にもよく合致していることからか、これまで文芸作品のタイトル等にも使われてきた。三島由紀夫の最晩年の傑作・・・・・・と書きたいトコだが正直かなりの駄作である「豊饒の海」シリーズの最後の一作、あるいは私淑して止まない中上健次の「千年の愉楽」の中の一作なんかが想い出される。

 マクラだけで終わりそうにないからまとめると、とにかく天人五衰。天人でさえもいつかは衰え、老醜を晒さねばならない時が来る。況や人間に於いておや、なのだ。

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 思えばもう四半世紀もヨメを撮り続けてるワケで、ホンマもぉよぉシンネリと飽きもせず、一体全体全部で何万枚になるのか真面目に数えたことがないので良く分からないんだけど、間違いなく言えるのは大半が服着てないハダカの写真だ、ってコトだ・・・・・・ハハハ、あまり断定口調で勿体ぶって言うことでもないか(笑)。
 一種の定点観測として見ても、ここまで長期間、かつ大量に撮ってる例ってそんなに多くないのではないかと思う。

 自ずとその年齢も知れようというものだけどそれは言わない約束でしょおとっつぁんってコトで、まぁお蔭様でっちゅうかたいへん幸いなことに、今風な言い方をすると客観的に見ても美魔女なトコがちょとあって、これにはぶっちゃけ随分助けられている・・・・・・ってーか、むしろ昔より遥かに体型がビシッと引き締まって来てる。ただしその分元々小さい胸がより小さくなってしまったのは、いくらおれがオッパイ星人や巨乳マニアでないとはいえいささか残念ではある。でもまぁ、乳首が真っ黒だとかプラムのようにデカいとか、乳輪がバカみたいに広いとかよりは全然許せるけどね(笑)。

 とは申せ、そんな威張れるモデル体型でないことは本人もおれも重々承知してる。平たく言えば純日本人体型とでも言おうか、上半身と下半身のボリュームバランスが若干宜しくない(笑)。いやいや、流石に下半身デブと言うほどまでではないが、これだけはどうにもならないのだ。ヨメ曰く、上半身はいくらでもトレーニングで引き締められるけど、下半身はどんだけ頑張っても厳しいんだそうな。余談だが、たいへん不思議なことに鍛えるコトは身長にも影響があるようで、何と昔より2cmくらい伸びた。

 脚だってさほど長いワケではない。足も幅広甲高だし、足首にしたって農耕馬のようにシッカリしてる・・・・・・そこまで自虐的に書いたって仕方ないか(笑)。しかし一方で腰の位置はそれなりに高い所にある。
 この一大矛盾はヒップが吸収してる。要はヒップがタテに長いのである(笑)。ヨメの名誉のためにも申し上げておくと、決してデカいワケではない。長いのだ。余所の家に上がり込んでナカナカ帰らないのを「長ッ尻」などと称するが、文字通り長い。
 も一つ名誉のために加えるならば、決して垂れてはいない。今でもハリがあって弛んでもない。脚の間から尻の肉が写ってしまってるようなショットがあるけれど、昔からあれくらいが大体正しい位置だったし、よくよく確かめてみるとありゃ太腿の肉なのだ。そぉいや「あと太腿廻りが5cm細かったらなぁ〜・・・・・・」っちゅうヨメの嘆息をこれまで何度聞かされたことか。

 総論すると細かいアラはあるにせよ、贔屓目とかヌキにしても恐るべき日々の鍛錬によって十人並みよりは随分マトモな器量を保ってるのだ・・・・・・今のところ。 しかしながらやはり、衰えは日々じわじわと忍び寄ってきている。これはもぉどぉしよぉもなく揺るぎない事実であって、残念ながら毎日見てるおれが一番良く分かる。例えば・・・・・・って、止しとこう。

 ま、大の五衰は非現実的でどれも当てはまらないけれど、小の五衰で言うならさしずめ、必死の努力にも拘らず2番目3番目あたりがちょとヤバくなって来てるワケですわ。

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 だからこそ、だ。この数年、時間との競争のようにヨメの写真を撮ることを加速させてるのである。

 「TWO−DOGS」というたいへん優れたサイトがある。初めて見付けたのはもう随分以前のことになる。ここに展開される廃墟ヌード作品の数々は、おれなんて束になって掛かっても足許にも及ばないほどクオリティが高い。この4〜5年、完全に更新が止まってしまってるのがとても惜しまれるが、それはともかく「Prolog」と題された序文の中で、「残された時間を一生懸命記録するんだ」ってな行がある。
 実際、モデルとなられてる女性は当時でもすでに結構な妙齢に達しておられたようで、ある種の切実さがあることが画面からもひしひしと伝わってくるような気がする。その後、別のHNで全然路線の違う作品を投稿されてることも知ったが、たしかにかなりの御年齢ではあった。
 とな申せ、作品の冷たく硬質な印象の一方で、ぶっちゃけ添えられたキャプションのいささか韜晦はともかく過剰なまでのリリカルさは、あらゆる表現から抒情性を極端に排したいおれとは路線が異なっていていささか違和感もあったし、当時はまだ衰えに対して無頓着でもあったから、あまりリアルに迫って来なかったっちゅうのも偽らざるところだ。

 今は分かる。
 今なら、分かる。
 だから、撮ってる。

 砂時計の砂のように、細く、しかし確実に落ちて失われていく「若さ」を何とか画像の世界だけも留めたい。その一心だけだ。

 そのためだけに6〜70万円をいっぺんに機材に費やすとかのムチャクチャをやったと言ってもあながち過言ではないと思う。仕事に行かんと食えないので仕方なく毎日職場には通ってるけど、本当は毎日でもヨメを連れ出して撮れたら、とも思ってる。クルマもワンボックスか何かに乗り換えて放浪仕様にしてしまえば、ネコも連れて行けてベンリかも知れないなぁ〜・・・・・・などと真剣に妄想に耽ってる自分がいる(笑)。

 ・・・・・・どこまで続けられるんだろう?

 これだけはもう分からない。5年か?10年か?15年か?いくらなんでも20年はムチャだろう・・・・・・まぁ、考えたって詮無いことで、とにかくそこまでは色んなロケーションの中に連れ出して、なるだけ余分な夾雑物を取っ払って撮りまくるのが半ばおれの責任ではないかと今は思ってる。

2015.04.08

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