「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
どこまで行くねん!?・・・・・・画素数について


撮像素子の大きさの比較。

 月日の経つのは早いものでもぉ20年近く前になるだろうか、市販デジカメ勃興期の頃、カメラ雑誌では100万画素がどぉだこぉだっちゅうてたような記憶がある。おれはその頃まだあんましデジカメに興味がなかった・・・・・・っちゅうかビンボで手も出せなかったんで、実家に帰った折、積まれてある父親のカメラ雑誌をナナメ読みして、時代もだいぶデジタルになってきたんやなぁ〜、などと他人事のように思ってた。ちょうどWindows95が一大ブームになってたあたりの時期だ。本当にあの頃は笑えるくらいに貧しかった。
 100万画素って4:3のアスペクト比で換算すると横がおよそ1200ピクセル、縦が900ピクセルくらいなんで、今の標準的なノートパソコンでほぼ全画面くらいな感じだろう。つまり、PCで見るには未だに十分なのである。

 東京に引っ越してきてすぐに買ったのがソニーの奇妙な形のサイバーショットの初期モデルだったんだけど、これで330万画素か何かを謳ってた記憶がある。それでも当時はハイエンドに近いスペックで、レンズは何とカールツァイス。ゾナーだかテッサーだかは知らない。当時の経済力からするとホント清水の舞台から飛び降りるような決意でもって買ったコトだけは鮮明に覚えてる。しかし、耐久性は流石ソニーで寒いと電池がすぐ壊れるわ、レンズが上下にグリグリ動くのがバカになってスカスカになって来るわで、あっちゅう間に使い物にならなくなって、すぐにもっと小型のコンデジに移行してったのだった。でも、同じくらいの画素数のが1万数千円で買えるようになっていた。パソコンと同じく、スペックと価格が反比例するっちゅう摩訶不思議な状況が始まってた。
 記憶媒体も恐ろしく値段が高かったんで、なんかひたすらチマチマ撮ってたのも今となっては懐かしい。

 買い替える度に画素数はどんどん上がって行った。コンパクトの分際で450万だ500万だっちゅうてたらすぐに600万になり800万になり1000万になり、ちっこいくせに1400万なんてーのもすぐに登場したのだった。時代は果てしない画素数戦争に移っていたのである。

 今はどうだ。APS−Cサイズで2400万画素、35mmサイズでは実に3600万画素とか恐ろしいことになってる。これは一眼の3:2のアスペクト比で7500×5000弱とかもぉ、1枚の写真を等倍で見たら全体像がサッパリ分からないくらいに巨大なサイズだ。ペンタックス645Dの4000万画素はこの何年か不動の地位を占めてるが、あの撮像素子の面積に今の技術で画素をビッシリ突っ込めば5000万とか6000万・・・・・・いやいやそれどころか1億とか2億なんてのも可能なのではあるまいか?

 要はとんでもなく凄いコトになっちゃってるワケだ。

 当然ながら画像1枚当たりのファイルサイズもバカみたいに大きくなってきている。圧縮の掛かったJPEG形式でも10MBを遥かに超え、撮って出しのおれには無縁とはいうものの、非圧縮のRAW形式だともぉとんでもないことになる。ちょっと出かけて撮って来たものをPCや外付けHDD、DVD−Rにバックアップするのも一苦労だ。

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 実際のところ高画素であることのメリットってどうなんだろ?正直良く分からない。そりゃぁおれだって今は32GBなんてSDHC突っ込んで、撮影モードは最大のLサイズに設定してるんだけど、それは何となく折角の機能なんだし大きい方が宜しかろ、大きく撮ったのを小さくできても逆はムリやろ、程度のケチな了見によるものであって、何らかの積極的な理由や、合理的な理論に基づいてるワケではない。

 言うまでもなくデジカメの写真とは点描法の極致なので、なるほど細かい方が高精細なんだろう、とは思う。より滑らかに諧調を表現することだってできるだろうし、解像力だって期待できるし、トリミングして引き延ばしても強かろう。そら容易に分かる。
 しかし、一方でいろんな弊害もある(らしい)。一つは画素が細かくなるほどに手ブレに対してシビアになること、もう一つは画素そのものが小さくなることによる捉える光量不足と暗所性能の低下がある(らしい)。また、レンズ側での解像力にも限界があって、1mmあたり何本の線まで解像出来るか?ってな公式も存在しており、いくら受ける側の画素数細かくてもレンズがそれに見合ってないといかんのである(らしい)・・・・・・らしいらしいと列挙するのは、おれにサッパリ光学的な知識がないためで、伝聞や側聞に素直に従うしかないのだ。

 ただ、感覚的に言うと、それら諸説について何となく正しいような気がしてる。コンデジでは500万画素くらいまでが少々乱暴にとっても手ブレが少なかったし、何となく画面のキレっちゅうかシャープさがその後の800万だとか1000万だとかより良かったように感じるのだ。1400万は三脚に据えても何となくボヤーッとすることがあった。
 実際、撮像素子の面積の小さいコンデジに関しては、今はちょっと画素スペック的には少し退行して、1000万画素前後で目下落ち着いている印象である。多分それくらいがレンズ等も含めると最も総合的に高性能を出しやすいのだろう。

 今、おれのカメラはニコンのD7000っちゅうて1600万画素ほどなんだけど、件の2400万画素よりも良い意味でのルーズさがあって扱いやすい気がしてる。店で買いもせんのにあれこれ試してみてそう感じたのだ。そして、ちょっと前まで使ってたD3100の1400万画素はさらにラクな感じだったと思う。いやナニ、手ブレ防止機能の付いたレンズを潤沢に買える身分でもないので、落ち着いてシッカリ構えて写さないといけないことが多いのだが、1600万に画素数が上がってから僅かにシビアさが増したようなのである。

 高画素のメリットの一つにA3全紙で印刷したときに違いが出る、なんてーのもあるけれど、A3対応のプリンタのある家がどれだけあるんだろ?っとタンジュンに思う。それに細かい理屈は分からないけど、プリンタってプリントデータをスプールするときに各社独自のエンジンでもって何か処理掛けるモンだから、元々の画素数はそのまま反映されてないって話も聞いたことがある。
 それにそもそもCMOSセンサには、ワザとちょっとボカすローパスフィルタなるパーツがレンズと撮像素子の間に入ってると言うではないか。レーシック手術とかで視力を5.0くらいに上げといて、ほいでもって見えすぎて困るからっちゅうて擦りガラスでできた眼鏡をかけるようなもんだ。最近はローパスフィルタレス、なんてモデルも増えて来つつあるけれど、モワレ(規則的なパターンの上等に出来る実際には存在しない縞模様)や偽色(センサーが判断を間違えて実際にない色を作り出す現象)が出やすかったりと扱いがむつかしいみたいで、まだまだ少数派だ。
 大体、画像処理エンジン、っちゅうのだって各社そここそが秘中の秘でいろいろ競い合ってるワケで、そこで一体どのような演算と処理が行われてるのかは分からないが、少なくとも撮像素子表面でとらえた情報がそのままファイルに落とされてるのではないことだけは間違いない(そんなことしたら意味不明の白黒になってしまう)。要は、あらかじめ散々お手盛りになった状態でデジタルの画像は可視化されるのである。

 俗に言われる「画素数なんて1000万もあれば十分」、って案外ホントなのかも知れない。

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 それでも何だかんだで画素数はますます上がり続けるのだろう。しかし、それに見合ったレンズはあんましないから、ほとんどの場合、宝の持ち腐れになってしまう。まるでPCに於けるCPUやRAM、HDDなんかと同じで、ユーザーの本当のニーズからいささか遊離した地平で不毛に、無機質に機能だけが進化し続ける。

 猫に小判、
 豚に真珠、
 馬の耳に念仏、
 デブのオッサンにデ・ローザ、
 成金にフェラーリ

 ・・・・・・実はおれたちゃみんな、あらゆる道具に関してそんなんになっちゃってるのである。おだてられ、踊らされ、担がれながら、そうして大切な内面の何かを擦り減らしてってるのである。

2013.06.15

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