「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
虚空の団地・・・・・・浅野いにお


目下一番の長篇、「おやすみプンプン」の1巻

 クサいのである。
 アオいのである。
 ハッキリせんのである。
 チマチマしてるのである。
 ウダウダしてるのである。

 ・・・・・・それでもどうしたことか浅野いにおにハマってしまった。アッとゆう間に彼の全著作を買い込んで一気読みだ。大人買いだ。

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 最初に買ったのは今度宮崎あおい主演で映画にもなる「ソラニン」だった。行きつけの本屋で平積みになってたのと、その奇妙なペンネームが以前からちょっと印象に残ってたこともあって、読んでみる気になったのだ。まぁ、たとえ失望したとしても2巻完結だから大した痛手ではないだろうという打算もあった。
 とても精神年齢の低いところのあるおれは、新しいものを買うとどうしても帰りの電車で開けてしまう悪いクセがある。家まで待てないのである。なもんでコイツもいそいそと鞄から取り出して混み合う車内で読み始めたのだった。
 未読の人にはネタバレになってしまうのが申し訳ないけれど、粗筋を述べておこう。最近「15秒でわかる昔話」っちゅう動画が話題になってるので、そのひそみに倣ってなるだけ簡潔に纏めてみることにする。

 ・・・・・・学生バンドやってたフリーターニーチャンとOLネーチャンが同棲しててぇ〜、ネーチャンぶち切れて会社辞めてぇ〜、カレ氏は一発逆転狙ってプロモCD作ったけどぉ〜、オトナの事情押し付けるプロダクションの誘い断ってデビューできなくてぇ〜、それで二人の間もモメてぇ〜、急にカレ氏が事故って死んでぇ〜、ネーチャン代わりにバンド入ってライブやんだけどぉ〜、でも何も起こりませんでしたぁ。メデタシメデタシ。

 超早口で読んでようやっと15秒フラット(笑)。才能ねぇな、おれ。

 てっきり主人公だと思われてた片方が話の真ん中あたりでいきなり死んでしまう、っちゅうのがムチャクチャ反則っちゅうか、これまでになく斬新なストーリー展開なだけで、他に語られるエピソードは実に淡々としてるし、大きな盛り上がりもほとんどない。ハッキリせん連中の微妙なやり取りが積み重ねられ、出口のない憂鬱な日常が描き出されるだけだ。死んだ彼に代ってやるライブっちゅうたって、単に学生サークルのハコ貸切の寄り集まりだし、たった3曲しかやらない。そして最後に至ってもなにもドラマは起きず、大きな喪失感を残したまま話は終わる。

 たしかに田舎から親が訪ねてきたり、バンドメンバーに冴えない家業を継いでるヤツがいたり・・・・・・と一つ一つの会話やエピソード自体はとてもリアルだ。画力も相当に高い。ストーリーとは無関係など〜でもいいギャグを唐突に挟み込むという人を喰ったセンスも悪くない。実際、世の中には同じような葛藤や焦燥、煩悶を抱えた青臭いカップルはゴマンといるだろうし、現実がサクセスストーリーのドラマとは違って酷薄で、何ら夢のような救済はやってこないのもまた事実だろう。
 なのにこのフワフワと現実から遊離したような、虚無に近い軽さは何なのだろう?所謂「等身大の若者」を描きながら、どこか全く生気が欠け落ちたような感じは何なのだろう?
 なんとも不思議な、たくさん食ったはずなのに満腹してないような、痒いところを掻き残したような読後感ではあった。

 ・・・・・・で妙に気になってしまって、「おやすみプンプン」だ「虹ヶ原ホログラフ」だ「世界の終わりと夜明け前」だ、と一気買いしたのだった。現時点で売られてるのは多分全部買ったと思う。

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 最初の感触は全部読んでも変わらない。どちらかといえば青臭く、あまり大して大きなドラマは起きず、ハッキリせん人々によって起きる些細なさざ波のようなウダウダしたダウナー気味の物語の積み重ね・・・・・・いや、作品によっては血生臭く凄惨な事件が起きたりするときもあるのだが、それらさえもどこか「対岸の火事」のように淡々と突き放して客観視され、粛々と予定された結末に向かって進んでいくためのシーンに過ぎない感じなのだ。

 そぉいや彼の作品のタイトルやセリフにはよく「世界の終わり」というフレーズが使われる。ここまで書いたことから想像つくとおり、それは無論ハルマゲドンのカタストロフみたいな一大スペクタクルではさらさらなく、子供が激情に任せて「みんないなくなっちまえ!こんな世界消えてしまえ!」と叫ぶような、自分自身への無力感と表裏一体になった、純粋だけど薄っぺらで幼稚なアナーキズムの発露の文脈の上にある。もしそこでガーッと何か弾けて暴力シーンとかになだれ込めば従来型のマンガだが、その感情の昂ぶりさえもがストーリーから逸脱することはなく、醒め切った調子で描かれる。どうせ世界は終わらず、明日もまた今日はやって来るのさ、みたいな諦念と寂寞感さえそこには感じられる。。

 この青臭く気鬱でウダウダした人たちによる妙に理性的で構築的なお話の奇妙さは結局、作者が天性のストーリーテラーであることに起因してるのではなかろうか、と思う。よく、キャラクターが作家自身から離れて独り歩きを始める、ってなことが語られることがある。創作の不思議とはそんなもんで、自らの人格が作り出したハズの架空の存在がいつの間にか作品中で作家本人でも制御し切れなくなり、思ってもみなかった動きをするようになるのである。人格の乖離みたいでちょっと怖いけど(笑)。
 しかし、この人に限っては決してそんなことはないんぢゃなかろうか。あくまで登場する様々なキャラクターたちは作者の構築したストーリーの上の駒であり、徹頭徹尾客体化されて彼の掌の上にある。唐突に繰り出されるクダらないギャグまでが冷静に配置されている気がする。

 だから、っちゅうたら失礼だが、ストーリーや構成、カット割りがひじょうに巧い。鮮やかと言っても良い。若いのにもう職人技の領域に到達してるね、これは。張られた伏線が途中で尻切れトンボになることもなく(マンガでは良くあるんだよな〜、これ)、全てが綺麗に収束して行く。「虹ヶ原ホログラフ」なんてアートだなんだと騒がれてるそうだが、実はひたすらそれだけ。言うなれば「絵合わせの快感」だけで成立しているようなところがある。そしてそれは悪いことではない。
 他の全てはリアルに描かれるのに主人公とその血縁の家族だけが落書きみたいな「おやすみプンプン」にしたって、その異様な設定を一枚めくると、道具立てが現代風なだけで、あとはきわめてオーセンティックで手堅いビルドゥングスロマン(教養小説)である(途中で若い叔父のエピソードが延々と続いたりはしてるが)。しかし血湧き肉踊るようなことも何も起こらない・・・・・・って、親が離婚したり、叔父のヨメとデキちゃって筆おろしするなんてぇ話も出てくるには出てくるんだけど、それでも何だかやはりすべては抑制されており、作者が余り感情移入することもなく淡々と冷静にストーリーを紡ぎ出しているのが透けて見えるようだ。

 この、繊細で巧み、でもどこか冷ややかで冷静極まりないタッチは、おれにある作家を思い出させる。川端康成である。そ、ノーベル賞のあの人。独特の修飾に彩られた破綻のない巧みなストーリーと細やかな感情表現でカッチリとできているにもかかわらず、不思議とどれも生々しさや熱気には乏しい。いつも醒め切った作者の視線が作中を支配している。まぁウダウダした人はそんなに出て来んかったけど。
 長篇を描ききるような骨太でコテコテのスタミナ感が無く、ちょっと華奢な中・短篇が得意なところも似てると言っていいかも知れない。

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 そぉいえば浅野いにおの作品に良く出てくる風景の一つに「団地」が挙げられる(あとは川原とか夕景も多い)。現実味を欠いて等間隔で無機質に並ぶあの巨大な箱の群れの中では、実のところ泥臭く、安っぽく、雑多で、零細で、しかし濃密な数々の生活が内包されているにもかかわらず、団地はそんなものは微塵も感じさせず冷たく聳え立つ・・・・・・。
 何だかそれと一緒だと思った。どれだけキャラクター達がいろいろな人間臭くも矛盾に満ちたドラマを繰り広げようと、彼の描く作品世界自体はどこまでも整然とした団地である。つまり、それらが収まる「器」そのものは破綻のない計算され尽くした秩序に支配されているのである。

 繰り返すがそれは悪いことではない。否、むしろその事実こそが「ウダウダした今風の市井の若者達の群像劇」っちゅう、それだけだと掃いて棄てるほど世に溢れてる類型的で凡庸極まりない内容を、再読に値する高水準の作品たらしめてる重要なポイントなのだから。

2009.11.24

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