「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
山上たつひこ頌


「山上龍彦」として作家になってからの近影。小説も抑制の効いた佳作揃い。


 (タテノリの8ビートで)
 ♪死刑〜!
 ♪死刑〜!
 ♪頑張れ頑張れボクのパンツゥ〜
 ♪ムチムチ太ももオーチャクキン(←註:ここは記憶が曖昧)が〜
 ♪女の怯える声を聞くと〜ぉ〜
 ♪だんだん興奮、してくるのじゃぁ〜

 B面はたしか「筋子のブルース」ってなタイトルだった記憶があるが、曲の方は忘れてしまった。ま、覚えてても何の役にも立たないだろうけど(笑)。
 これ、たぶん75年前後に出た、「がきデカ」のテーマソングである。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 70年代に小学生だった男性で、「がきデカ」の洗礼をまったく受けてないヤツなんていないんぢゃないだろうか。それほどまでに衝撃的だった。

 おれは立ち読みだったといえ、それ以前に「光る風」をリアルタイムで読んでたので(たしか連載は少年マガジンだったような気がする)、数年の雌伏の後にチャンピオンで復活したとき、同じペンネームの違う作家かと思ったもん。
 まぁ、実は「喜劇思想体系」がその間に挟まってて、読めばその懸隔はよく理解できるのだけど、いかんせん連載が男性誌だったため小学生の眼には入らなかったのだ。いや、見つけたところで本屋のオバハンの厳しい監視をかいくぐって立ち読みをすることは不可能だったろう。

 衝撃は小学生だけではなかった。マンガ界には激震が走った、といっても過言でない状況になった。少年誌の出版社はこぞってギャグマンガを前面に押し出すことに躍起になり、雨後のタケノコのようにエピゴーネン・・・・・・おっと、そこまで言うと言い過ぎだろうか、フォロワーが次々と現われたのが何よりの証拠だ。
 小林よしのりだって、秋本治だって、新田たつおだって、みんなデビューは「がきデカ」の二番煎じみたいな作品だったのだ。どれもこれも型破りで破壊的なキャラが主人公でメチャクチャしまくるスラップスティック。秋本なんざデビュー当初のペンネームは「山止たつひこ」なんだもんな〜。これをエピゴーネンと言わずして何と言おう。
 異説を唱える方も多いだろうが、おれは戦後のギャグマンガ史を塗り替えた作家は2人しかいないと思ってる。一人は言うまでもなく赤塚不二夫、そしてこの山上だ。けだし、前者が誰もが認める天才だとするなら、山上は万人受けはしないが、玄人筋に熱狂的なファンを数多く生んだっちゅう点で、やはり鬼才、って喩えがよく似合う。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 とは申せ、当時は毎週の少年チャンピオンを楽しみに読んでたものの、おれはむしろ「魔太郎が来る!」や「ブラックジャック」の方を一生懸命読んでた気がするし、今になって思えば「がきデカ」は彼の作品中でそれほど優れているとも思えない(本人も失敗作だった、と思ってるらしい)。ギャグの衣をまとって道徳や価値観に果敢に切り込んで行ったとはいえ、そこはやはり少年誌連載、っちゅう制約の中で、実のところこまわり君のエロ・破壊・アナーキーといった反社会性にはガチガチに足枷が嵌められてたのだろう。
 洗練はされていないもののギャグのパワーや破壊性、っちゅう点では「喜劇思想体系」がやはり圧倒的だし、洗練された笑い、っちゅう点ではマンガ家としては末期の作品である「大日本行楽図鑑」や「湯の花親子」の方がはるかに優れている。無論、半田溶助に代表されるような、作者自分自身による「がきデカ」の劣化コピーのような作品群は、読んでても痛さばかりが目立つ(まぁ、それなりにおもろいんだけど・・・・・・)。

 たしか短編で「囚人69号」ってーのがあったはずだ。山上自身が主人公のこのマンガ、石井隆の濃密なエロに対し、自分が子供だましのようなスカートめくりだのなんだのの「がきデカ」を描いてることに苛立ち、ブチ切れて、連載を本格的エロ劇画にいきなり描き変えて逮捕される、ってなこれまたアホらしいストーリーだ。
 笑いで誤魔化してはいるものの、十分に作家の苦渋を思わせる。

 呉智英は山上を「分水嶺を越えた笑い」と評している。それまでの陰鬱でややSF調の社会派からギャグへの転身を正確に表した形容だと思う。いや、もっと忌憚なく言うと、彼が超えたのは理性だったのかもしれない。つまりは発狂した笑い・・・・・・いや、笑いの中だからこそ許される狂い、傾き・・・・・・彼は表現者としてのアジールを笑いの中にとても不器用に求めていたように、おれは今では思うのだが、悲しいことに笑いの世界もまた、、色んなしがらみに縛られたトコだった、ってコトか。
 彼がエロそのものを描く気がなかったのは言うまでもないだろう。今となっては恥ずかしいコトバだが「反体制」の一つのツールとしてのエロだったし、笑いが反社会的・・・・・・もっと言えば革命的であることを知悉していたのもこれまた言うまでもない。
 なのに、体制に盾突くどころかそれよりはるかに小さい企業や組織の前に彼の意気込みは萎縮し挫折せざるを得なかった。

 あくまで噂の域を出ないが、昔、マンガに詳しいヤツから、「がきデカ」人気が頂点を極めたころから彼は精神に変調をきたして何度か入退院を繰り返していたと聞いたことがある。事実だとすれば、笑いを最後の拠り代にした誠実な表現活動と商業主義の相克は実に何とも痛々しい。

 そうしてすり減らしながらもしかし、「枯れた笑い」の世界に辿り着けたのはやはり鬼才ゆえの才能のなせる業だろう。数多くのギャグ(コメディぢゃないよ)マンガ家が苦闘の果てで、人格崩壊を起こして筆を折っている状況を考えると驚嘆すべきことだと思う。このタフさ、っちゅう点では「ぼのぼの」で復活した「いがらしみきお」を思い出す。
 それでも結局1990年に正式にマンガ家の廃業宣言をするのだが、その前あたりの作品は肩の力が抜けてて実に面白い。

 小説の方もこれまた多彩な作風だが、抑制の効いた渋い佳作をコンスタントに送り出している。その渋さが、マンガ家時代に較べるとも一つ人気が出ない理由なのかも知れないが、恐らく彼自身は鬼面人を驚かすような作品を書いてまでして人気を得ようなどとは、もうこれっぽっちも思ってないに違いない。

 ・・・・・・それでも、と思う。

 やはり「龍彦」ではなく「たつひこ」として、またマンガを描いて欲しい。3年、いや5年に一度でいいから。ビッグコミックに読みきりで載った「がきデカ」の後日譚、おれは家宝にして持ってます。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 それにしても冒頭に紹介した曲、これっておれの中では、「アホッ♪アホッ♪アホォ〜のサァ〜カタッ!」とひたすら「アホの坂田」を連呼するだけの名曲「アホの坂田のテーマ」と並ぶ70年代ナンセンス企画モノレコードの金字塔だと思う。
 そぉいやアホの坂田のB面は「♪プ〜ルバァ〜ルのぉ〜」ってな歌いだしの、ムード歌謡(ほとんど死語やな)みたいな曲で、最後に「兄ちゃん、フランス人形買うてな」ってセリフが入っていた。おそらく記憶に間違いはない。

 ホント、下らないことほど忘れないもんだなぁ〜。

 ちなみに最後に私的な余談を一つ。おれの温泉やら行楽エッセーは上にも挙げた末期の作品に強い影響を受けていることを告白しておこう。八丈島のキョンッッ!!


うわ!見つかった!!ネットはスゴい!おれの記憶も確かやったがな!(笑)

2007.01.22
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved