「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
観光パンフレットに想う

 
今は消滅して更地になってしまった横浜・弘明寺の中里温泉の単なるコピーなパンフ。泣けてくるね。

 旅に出掛けた時、パンフ類はかなりマメに集めてる方ではないかと思う。

 根がやはりどこかビブロフォリアだからだろう。そこに何でも集めたがる蒐集癖が加わった結果、大きな段ボール数箱分のパンフレットやらチケットの端っこみたいなんが溜まっていた。かなり膨大と言って良い。
 実際役に立ったことはこれまで何度もある。良く読むと一般的なガイドからは消えてしまった未知の温泉やスポットが消し忘れで残ってたとか、ディープな情報が出てたとか・・・・・・まぁ何でも予断なしに接した方がエエ、っちゅこっちゃね。

 もちろんそのまま死蔵するつもりはサラサラなかったものの、だからってこれらを纏まった形でデータ化するのが死ぬほどめんどくさい作業であることは火を見るより明らかで、それでこれまでひたすら蓄積するだけだったのである・・・・・・あ、一度、クリアファイルに挿し込んでくだけはやったっけ、途中まで。そしたら今度はクリアファイルが足りなくなって来て、20冊ほど纏めたところで疲れ果てて放棄した。そうして、ひたすら積みあがったバラバラのと、ファイルに取り敢えずは収まったのとがゴチャァ〜ッと段ボールに入ってたんだ。

 しかし状況は一変した。今のおれはとにかく、時間だけは売るほどある。林先生ぢゃないけど「今でしょ!?」ってな、ちったぁ殊勝な気持がようやっと起こって、それでスキャナーでの取り込みを始めたのだった。あぁ、そうそう。朝の連続テレビ小説で神木隆之介演じる主人公が、ひたすら集めた植物標本の模写とキャプション作りに精出してるのを見て、アテられたってのもあったんだ。

 ・・・・・・それはしかし、やはり予想通りタイヘンな作業だった。

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 まず、何を取り込んでるかっちゅうと、旅館のパンフ、入湯券・駐車券・乗車券の類、観光協会が配布してるマップやブックレット、珍しいトコでは絵符なんかも若干あったりする。ただ、あまりにページ数が多くて開いてフラットベッドの読取台に載せようにもチャンと開かないようなのはもうスッパリ諦めて割愛することにした。
 ・・・・・・そう、おれの持ってるのはスキャナったって家庭用のチープな複合機なんで、最近の本を開いて置いたら歪みの補正から何から勝手にやってくれる(・・・・・・だって分厚い本とかだと、開いても横から見ると富士山型になるもんね)ような高度なヤツぢゃないのだ。オマケに遅い。それに何より原紙サイズの制約があって、横方向がA4の縦の長さ、奥行きは横の長さに少し足したくらいが限界なのである。

 でも上に挙げた取り込む対象の大半はその広さに収まるし、まぁそこまで苦労せんやろ、と見込んだおれは大甘の甘納豆は大納言だった。

 ・・・・・・まずとにかく真っ直ぐ、全体を綺麗に読み取らせるのが至難の業なのだ。用紙の角を読取台の角のガイドに合わせてセットするんだけど、キッチリ読ませようとすると、タテヨコどちらも端っこから数ミリ隙間を空けなくちゃなんない。それも真っ直ぐに。そこをちゃんと調整してやんないと読み取りが斜めになったり欠けたりと美しくない。プレビューボタン押して、ウンニュ〜とかゆうて読み取る画像がPC上に出て来て、チャンと置いたハズの用紙がナナメってた時の絶望感よ!フタを開けて息を殺してホンの少し動かして再びプレビュー、うわ!またもやナナメ!・・・・・・ひたすらこれを繰り返してる。
 おれの置き方にも問題あるんだろうが、用紙そのものに問題ある場合もある。チャンと四角になってない、折り方がおかしい、分厚過ぎてキチンと畳めずフタ閉めるだけで動いてズレる・・・・・・etc。

 あと、サイズがどれも微妙に異なるのも困る。曲尺でいちいいち寸法図っては「ユーザー独自サイズ」とかで設定し直さなくちゃいけない。厄介なのは例えば見開きタイプなんかだと、内側ページはホンの少し短くなってたりする。こぉゆうのを手を抜いて、4ツ折りだからって同じサイズで読み込むとまたもや変な余白が生じたりする。

 そんなんだから、例えばA4三つ折りなんかだったら、まぁ綺麗に折り目伸ばして裏表で2回スキャンすれば終わるんだけど、B4三つ折りとかは実に6回スキャンしないといけなかったりして、ホンマに作業ペースが上がらないし、しょうむない単純作業のワリに神経ばっかし使う。
 たまにワケの分からない折り方のパンフレットが出て来たりもする。現時点で最もヘンだったのは、鬼首の吹上温泉・峯雲閣だろうか。B3の紙をムリヤリA4六ツ折にしたような、端っこに箸袋くらいの余りが出たちょっと説明しにくい奇妙な折り方で、1枚の紙が裏表で全14ページになってた。凝ってみたかったんやろねぇ。

 何だかんだでブツクサ文句言いながらも、既に700頁分くらいを画像化した。当初は高精細にも拘って300dpiのPDFでやろうと思ったが、ナンボ何でも地味なんでフツーにちょっとばかし大きい程度のjpgだったりする。
 面白いのはやはり旅館のパンフだろう。それも公営よりは民営。何かもう百花繚乱とでも言おうか、そこの主人だか女将だかの趣味趣向が炸裂してたりするのが見てて飽きない。

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 段々と興味深い事実も見えて来た。例えば地域的に近いトコはサイズや折り方が同じコトが多い。恐らく、田舎で引き受ける印刷屋さんにあんまし選択肢がなくて同じトコに発注してるからではないかと想像してる。印刷の粗さなんかも同じだったりするんで、この見立ては結構図星だろう。
 右開き左開きなんかも地方によって偏りがあるし、あまり使われないホチキス綴じが妙に多い地方があったりもする。もちろん、大温泉地の有力旅館なんかは資金力があるんだろう、そうしたA4三つ折りのどんぐりの背比べ状態から抜け出すためか、サイズや用紙が特殊だったりもする。
 逆に、かつてはチャンと作ってたパンフをコピーして(それも白黒で)使ってるようなトコは、なかなか商売が苦しいんだろうな〜、って感じがリアルに伝わるようで身につまされてしまう。これもまた「現時点で」って但し書きが付くが、横浜は弘明寺駅裏の公園の片隅にあった中里温泉のパンフなんかは泣けたな。必死で呻吟しながら打ったであろうワープロでの表面の5行ほどの解説と、裏面はヤフーマップか何かのキャプチャーだけなんだもん。

 すでに消滅した温泉地や廃業した旅館のモノが出て来ることも多い。それどころか観光パンフなどでは発行元の自治体自体が平成の大合併とやらで消滅してる例も多い。そこにどれだけの希少価値があるんだろう・・・・・・ってな、ぶっちゃけさもしい了見も首をもたげて来たりするんだけど、やはりそれ以前に、昭和の終わりから丸々平成の30年間を挟んだこれらの資料からは、どれだけ日本が寂しくも薄ら寒い状況になってったかが透けて見えるようで、いささか慄然としてしまう。

 ・・・・・・ってか、今や紙媒体の最たるモノの一つであるパンフレット自体が淘汰されつつあるのが実情だ。入場券とかだって一緒、電子マネーで片付く時代なんだし、イチイチ発券してもぎってなんて必要なくなって来てるのは間違いない。

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 ノスタルジーはさておき、冷静に考えてみると旅館のパンフレットって実に奇妙で矛盾した存在だと思う。今では大体、フロントのカウンターなんかに置かれてあったりするんだけど、それを手に取るのは既にその旅館にチェックインしてるか入湯のみかは知らんけど、とにかく客なのである。そんなんに今更パンフ渡したってナンセンスだって思いません?
 例えば車のディーラーが新車買った客にそのモデルのカタログ渡して「ね!?好いでしょ!?このクルマ!」ってやるか?っちゅうハナシだ。そらまぁおれみたいに記念に持っておきたいって変人も居るには居るだろうが、大抵は購入を考えてる人に向けて作られるのがパンフってモンだ。

 ・・・・・・それもそのハズ。実はアレ、本来は旅館に置くものではなかったのである。

 かつては温泉地の麓の駅前等に旅館紹介所っちゅうのが存在して、本来的にはソコに並べるものだった。紹介所を今の観光案内所みたいなモンと思ってはいけない。もっと狭くてボロいい、プレハブの箱みたいな建物であるのが普通だった。そうした限られたスペースの棚に置いてもらうため、あんな風に殆どがタテに細長い形状になってる。あのフォルムは必然だったワケである。
 今みたいにネットもなく、携帯電話もなく、それこそ交換局に繋いでもらうような時代、旅館に予約を入れるなんてのはかなり至難の業だった。どだい遠方から電話掛けると、バカみたいに料金が掛かる。電報を長文対応にしたようなテレックスなんてのはあるにはあったけど全ての旅館に備わってるハズもなく、往復はがきで申し込む、なんて悠長なトコもケッコー普通に見られた。だから今夜の宿が決まらないまま駅まで到着しそこで宿を探してもらうなんて、ちょっとした温泉地なら当たり前に見られた風景だった。どうだろ?昭和の終わりごろにはまだあったな、紹介所。

 ・・・・・・で、お客はそこで棚に並んだパンフを見較べたりしてお願いしてたワケですわ。ちなみに今の感覚からすると驚かれるかもしれないけど、紹介はタダではなかった。一般的には紹介料500円とか払わなくちゃいけない。だから「『無料』紹介所」なんてワザワザ明記されてたりもした。

 そんな時代のいわば旅館のしきたりとか所作みたいなモンが戦後、ナゼか山奥の一軒宿の秘湯みたいなトコにまで伝播し、広く根付いたっちゅうのが実態だ。これはおれの単なる推測だけど、朝鮮特需の後、昭和20年代後半より始まった国内レジャーブーム辺りからそうした流れが確立したのではないかと睨んでる。
 そしてそんなんが今や電話もファックスも繋がればネットも繋がり、それどころか「じゃらん」だの「楽天トラベル」だの、スマホ片手にホイホイ予約できる時代が到来したにも拘らず、上のような大いなる矛盾を抱えたまま随分永く生き残ってしまってた、っちゅうのが正解なのである。つまり、パンフが必要な時代なんてネット時代の遥か以前に過ぎ去ってた。
 旅館の宣伝するなら、ホームページの方が何千倍も理に適ってるのだ。「理」、論理的にも合理的にも。

 長引く不況、コロナ禍、歯止めが効かなくなったインバウンド、労働集約型で3Kな事業構造、大手資本の参入による寡占化、地球温暖化がもたらす異常気象、明らかに静穏期を過ぎ活動期に入ったと思われる地震や火山災害の増加、後継者問題・・・・・・旅館業界は苦しい状況が続いている。総件数の統計を見ると、1987年(←正にバブルの真っ最中!)をピークに旅館は減る一方らしい。

 限られた紙幅の中で色とりどりに意匠を凝らして競い合う旅館のパンフレット・・・・・・今のそんな業界の現状を見ると、何だか自らの供養のために撒かれた散華のようにも見えて来る。

2023.10.03

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