「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
塚原温泉の記憶


土石流とかあったらイッパツで流されそうなトコに浴室があった(ギャラリーのアウトテイク)。

 大分の鶴見・伽藍岳が噴火するかも知れない(※)。そうなると千何百年ぶりってことになるらしい。

 九州は熊本から阿蘇を通って別府付近まで、西南西から東北東の方向に巨大な地溝帯となっており、少しづつこれが広がっていると言われる。その大地の裂け目に噴き出したのが阿蘇や九重連山を代表とする火山群であり、その東の端のちょっと北あたりに鶴見・伽藍岳はある。雲仙普賢岳の噴火あたりを皮切りに、熊本の地震や阿蘇の活動活発化等、西から東に向かうようにしてこの近辺での活動はちょっとづつ活発化してきているように見える・・・・・・まさか遥か昔に活動を終え、すっかり開析の進んだ両子山までが再び噴火するなんてことまではなかろうが。

 あらゆる角度から見て日本一の温泉郷と呼べる別府は、この並び合う2つの火山の東麓に広がっている。温泉地としてのその規模は世界的にも有数と言われる。伽藍岳が北、鶴見岳はその南約3kmに聳え、スゴく雑駁な言い方をさせてもらうならば、北側の方が鉄輪だとか明礬・柴石と鄙びてリチュアルでディープな雰囲気が強い。泉質的にもこっちの方がクセがあると思う。
 俗に別府八湯と呼ばれ、浜脇・別府・観海寺・堀田・明礬・鉄輪・柴石・亀川のエリアに分かれてるが、今は柴石なんかは寂れてしまい(・・・・・・って元々寂しい山峡の湯の佇まいだったけど)、名物の蒸し湯なんかも建て替えによってただのサウナみたいなんになっちゃったみたいだ。

 過去に駄文で触れた別府の野湯群も伽藍岳の麓に点在してる。今では鍋山の湯とか鶴の湯、へびん湯なんてそれらしい名前まで付いちゃって、誰もが知るようになり、挙句の果てはおぞましい強盗殺人事件まで起きる始末だ。だけど40年近く前、初めて訪ねた頃は名前もテキトーだったし、ホントに地元の好きなヤツしか来ない知る人ぞ知る野湯だった記憶がある。

 そんな伽藍岳の別府から見て反対っちゅうか真裏っちゅうか、火口の西側直下にあるのが今回取り上げる塚原温泉である・・・・・・と言っても、「火口乃泉」なんてこじゃれた名前の市営日帰り温泉施設になった現在の様子についておれは全く知らないし、特段新たに知りたいとも思わない。おれの中での塚原温泉は、頑なまでに湯治場の佇まいを守り続けてた30年以上前の当時のあの鄙びた情景のままで止まっている。

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 直線距離だと上記の通り別府の温泉街から山挟んですぐ近くなんだけど、所在地としては別府市ではなく由布院町に属してるし、実際に行こうとすると明礬温泉から十文字原高原に上がり、一旦日出にまで北上して、自衛隊の演習場に沿うように山をグルッと回り込んで行かなくてはならない。だからアクセス的には宜しくなくて、別府観光のついでにちょっと立ち寄るにはいささか遠く、分かりやすい観光スポットってワケでもない。おれだってそこが別府周辺の最後の秘湯の一つだって予備知識があったから行ったのだ。
 当時は東九州自動車道なんかもまだなくて、県道をひた走り、最後はダートで一気に上がってたっけ。そうだそうだ。おれココは2回訪ねてて、最初の訪問の時はこのダート、GPz900Rをひたすら腰浮かして行ったんだった。

 遥か昔は数軒の湯治宿が建ち並び、小規模ながらも温泉街を形成してたと言われるが、おれが行った時にはもう一軒だけしか残ってなかったと思う。重厚な古民家のような・・・・・・って書けたら良いんだけど、実際は青い軽量瓦のちょっとだけ古い2階建てのフツーの民家が塚原温泉だった。向かいにも小さな建物があって、「郵便」って古風な琺瑯看板が軒下に下がり、昔ながらの鋳物の郵便ポストが立ってた記憶がある。何分昔のことであり、またフィルム代にも事欠く時代だったんで、その後のなるだけ見たものを写真に残すような撮り方をしておらず、今となっては細かい配置が判然としないが、多分あそこは売店だったんだろう。本当にそこは長期逗留の自炊客だけを相手にした湯治場だったのだ。何一つ観光の要素はなかった。

 今でもハッキリ覚えてるのは、玄関入ってすぐの鴨居のところに細かい料金表が掲げられてたコトだ。部屋、敷布団、掛布団、マクラ、TV・・・・・・今では通常、宿の部屋に備え付けられてて当然のモノが全て1日ナンボ、1週間ナンボ、1ヶ月ナンボってなレンタルになってる。当然ながら長く借りるほど得にはなるものの、全部借りたら意外に高くつくんだな~、って気がした記憶がある。
 ともあれ、かつての湯治宿は基本持ち込みで、布団や鍋釜を背負ってなんて言われるが、ホンマにそんなシステムになってるのを見たのはこの時が初めてだったんで、おれはエラく感動したのだった。

 館内に内湯があったのかどうかは覚えてない。多分無かったんぢゃないかって気がする。どっちの訪問の時も少なくとも立ち寄り客は他にいなかった。ひょっとしたら年寄の湯治客はいたのかも知れないが館内はひっそりと静まり返っており、あんまし人の気配がしてなかった。もっと図々しく上がらせてもらって部屋その他の様子なんかも写真に収めとくべきだったんかも・・・・・・って気付いた時には後の祭り、あの情景はもう二度と見られない。

 外の浴室・・・・・・っちゅうか湯小屋は、小さな白土化した沢を床板が所々抜けて危なっかしい木橋で渡ったトコにある、青いトタン屋根でコンクリートブロックで作られた、素朴よりはむしろ粗末で殺風景と呼ぶべき混浴だ。内部は洗い場の隅に内部で2つに仕切られた浴槽が一つあるだけ。源泉がそのまま塩ビパイプから注がれる。泉質は火口近くの温泉では典型的な酸性緑礬泉ってヤツだろう。強烈な酸性で入ると身体がすぐにピリピリしだす。酸による腐食を避けるためだろう、浴室内は全て木で出来ていた。

 別に眺望が開けるワケでも、色んな湯舟があるワケでもない。混浴の内湯に湯舟が一つ、これがしみじみとエエんだ。

 「上の鉱山に露天風呂があるよ」って宿の人に教わったので、旅館の裏手の山道を上がってくと、数分でベンチカットになった白土鉱山に出る。草一本生えない一面の白土地帯の数ヶ所からは、轟音を立てて噴気が上がり、強い硫黄臭が漂う荒涼としたトコだ。実際「塚原地獄」とも呼ばれてた時代がかつてはあったらしい。しかし、こここそが伽藍岳の火口底なんだってコトは随分と後になって初めて知った。これほど火口近くの温泉ってのも珍しいように思う。ある意味、日本一危険なロケーションと言えるだろう。
 鉱山はやってんだかやってないんだか、プレハブのボロい鉱山事務所やユンボなんかはあるものの人の姿はまったく見当たらない。ひょっとしたら最盛期を過ぎて、その頃はもう注文が入った時だけ細々と採掘してたのかも知れない。
 件の露天風呂、とは片隅に置かれたポリバスだった。炎天下の仕事で大汗かいた後ならともかく、そのまま入るにはいささか温かった。

 この白土鉱山については後日譚がある。ちょっとニュースにもなったんでご存知の方も多いかも知れない。二度目の訪問の数年後だったか、いよいよ鉱山が閉山になって原状復帰しようとしてたのか、はたまた新しい地獄巡りとして売り出そうと整備してたのかは寡聞にして知らないけど、ユンボで整地してたら突然、火口の火口の真ん中付近が陥没してドロドロの熱い鉱泥が噴き出したのだ。それは段々と直径を拡大しながらそのうち周囲に小山を作り、日本では珍しい火山性の泥火山となった。その後もじわじわと拡大は続いており、現在では直径15mくらいにまで成長し、立派な火口湖となりつつある・・・・・・つまり消長を繰り返しつつ、シンネリと活動は活発化して来てるのだ。

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 長引くコロナ禍に加えて、今回の火山性地震増加もあって、塚原温泉は折角リニューアルしたにも拘らず、長期間に亘って休業を強いられてるらしい・・・・・・って、元々のアクセスの悪さもあるから、再開したからってお客さんが急に殺到することもないだろうし、その前にひょっとしたらホントに噴火して、吞気に温泉なんて言ってられんコトになるかも知れない。それはマグマからの恵みを享受するのと引き換えの、負わねばならない宿命なんで仕方ない。

 何十年か前、僅かな時間だったけれども、如何にも湯治場然とした何のアメニティもない、しかし濃密なリアリティに満ち溢れた塚原温泉のロケーションをおれたちは体験することが出来た・・・・・・それはとても幸せなことであり、一抹の寂しさを感じつつも良しとしなくちゃいけないんだろう。


※:実は一昨日(7/27)にレベル「1」に引き下げられた。取り敢えずは安心だけど、駄文のタイミングとしてはミスったかも(笑)。


浴室内部の様子(ギャラリーからの再掲)。2人とも若い!(笑)

2022.07.29

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