「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
沼尻への道・・・・・・中ノ沢温泉・沼尻元湯




半露天に近い平澤屋旅館の露天風呂。湯が青味がかって写るのは硫黄分の多い湯の常(ギャラリーのアウトテイク)。

♪汽車の窓からハンケチ振れば
♪牧場の乙女が花束なげる
♪明るい青空 白樺林
♪山越え谷越え はるばると
♪ラララ・・・・・・高原列車は
♪ラララ・・・・・・行くよ
「高原列車は行く」 昭和29年
作詞:丘 十四夫
作曲:古関 裕而
歌 :岡本 敦郎
 有名なエピソードなのでご存知の方も多いだろうが、この戦後歌謡の名曲・「高原列車は行く」って歌、字面から何となく信州の小海線とか、草軽鉄道なんかがモデルなんぢゃないかと勝手に想像してしまうんだけど、実は沼尻鉄道がモチーフになってる。ウソではない。現地に歌碑が建てられてるし、Wikipediaにも載ってたりする。何でも丘十四夫は子供の頃虚弱で、この軽便鉄道に揺られて中ノ沢温泉へ湯治に行ってたのを想い出しつつ、テキトーにそれっぽい単語を散りばめて詞を書いたんだそうな。

 記憶は美化され修正されるって法則通りとも言えるが、歌詞の内容はだから昇華された心象風景であって、まったく実態を反映してない。牧場の乙女は恐らく野良仕事に精出すモンペ姿の農婦だったろうし、あの辺はそこまで標高高くないから白樺林なんてないし、「山越え谷越え」っちゅうたかて、起点の川桁から沼尻まではひたすら谷筋に沿ってダラダラと登ってくだけだし、たかが15kmほどの路線で「はるばる」もヘチマもなかろう。大体が硫黄を運ぶための鉱山鉄道で、爽やかな若人が集う(・・・・・・殆ど死語やな、笑)登山列車ではサラサラなかった。

 ともあれそんな歌の2番に出て来る、「君らの泊りもいでゆの宿か」ってのが、今回紹介する中ノ沢温泉だったりする。

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 温泉は鉄道の終点だった沼尻駅跡から母成峠に向かって1kmくらいさらに坂道を上がってったところにあって、結構離れてる。恐らくトロッコに毛の生えたような鉄道では最後のこの勾配が登れないのと、鉱山から下って来る索道の向きの制約でこんな中途半端なトコを終点とせざるを得なかったんだろう。それはともかくスキー板担いだ観光客とかはタイヘンだったのではなかろうか。驚くべきことに廃線から半世紀以上が過ぎてるにも拘らず、独得の半切妻屋根の当時の駅舎が、何故か移設で向きは90度変えたものの今でも残ってたりする。

 温泉街には10軒ほどの旅館が立ち並んでるが、わりとどこもこじんまりとした雰囲気で、昔ながらの湯治場っぽい雰囲気を今も色濃く残している。驚くべきはその酸性度で実にpHは2.1・・・・・・これは玉川やカムイワッカ、川原毛大湯滝ほどエクストリームではないけど、草津や雲仙あたりとほぼ同様でかなり強烈だったりする。しかし、この辺のアピールがイマイチ弱いっちゅうかヘタっちゅうか、あまり世間的には知られてないように思えるのが残念だ。

 入ったのは平澤屋旅館だった。たしか事前のリサーチで、ここしかもぉみんなで一緒に入れるトコは残ってなかったからだ。外観はワリと新しい3階建てだけど、屋根付きゲートボール場があったり、あちこちの老人会と提携してるプレートが掲げられてたり、「歌って踊って楽しい旅館 舞踊ショー有り」なんて看板が出てるトコからすると、まぁモッチャリとした昭和の行楽の雰囲気で今も売ってる宿のようで、何だかとても好感が持てる。どこもかしこも若者にばっか秋波を靡かせるようになっては、やっぱし面白くない。ダサさも頑張って続ければ立派な価値だとおれは思う。

 目当ての露天風呂は2階にあって、タイル貼りの四角い湯舟が一つあるだけのとてもシンプルな造り。四阿風の屋根に覆われ、周囲も生垣やらアルミパネルの柵に囲まれて解放感はあんましないし、温泉街の裏手に面して杉林が広がるのが見えるくらいで大して眺望が開けるワケでもない。でもまぁ中ノ沢では貴重な存在と言える。すぐ下には道路が通ってて、たまにクルマが通り過ぎて行ったりする。唯一、特徴的なのは脱衣場との出入り口のところに、大きな浮世絵風の美人画が懸かってることだろうか。
 上で述べた通り、湯はとにかく強酸性で、水虫・いんきん・たむし・しらくも・とびひといった、名前聞くだけでイ゛ーッって痒くなりそうな疥癬類には特効ありそうだけど、逆に肌の弱い人は却ってカブレそうだ・・・・・・って、うわわ!子供たちにボツボツが出て何だか焼き豆腐みたいなビジュアルになってるやんけ!

 慌てて内湯に移動して、シャワーの湯で洗い流してやったのだった。

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 実は中ノ沢温泉自体には源泉がない。湯は全てさらに上流に6〜7km、安達太良山の火口原である沼ノ平から少し谷筋を下った辺りにある沼尻元湯からの引き湯となってる(沼ノ平の末端だから沼尻なんだってコトに、今更ながら気付いた)。湧出量は驚異の1分間に1万リットル超え、家庭用の風呂なら50杯分が湧く。そしてこここそがかつての沼尻鉱山でもあった。

 温泉街からさらに登って行くとリフト数本の小さなスキー場があって、冬はゲレンデになると思われる草地の斜面の中の道を登れるだけ登ったところでクルマを捨て、あとは尾根伝いに山道を行く。意外にハードな道のりだ(今はもう少し谷筋に沿った道が整備されたみたいだ)。鉱山の現役時代もこんな風にしてえっちらおっちら登ってたのかどうかは良く分からない。途中、渓谷がえぐれたところには白糸の滝という大きな滝が懸かり、かつての索道の支柱の残骸らしきものも望まれたりする。

 小さな子連れってこともあり、休み休みで2時間近くかかっただろうか、遥か谷底に広がる沼尻元湯の全景が見えた時は、何とも言えない感動に襲われた。

 白土化した荒れた沢一面が源泉湧出地帯となっており、草津の湯畑のような硫黄採取のための大きな木の樋が3列、100mくらいの長さに連なっている。その最奥では大きな穴から熱湯がガボガボと音を立てて噴き出していた。これが中ノ沢にまで引かれてるんだろう。一帯には所謂「卵の腐ったような」と称される硫化水素特有の匂いが充満してる・・・・・・ってかコレ、今日はスッキリ晴れて風があるからまだ良いけど、多分かなりヤバいレベルのガス濃度ではなかろうか。そぉいやこのちょっと先の沼の平で何年か前、登山客が硫化水素にやられて大量遭難した事件を想い出したりもした。硫化水素って空気より重いから、谷筋や窪地に溜まりやすく、曇りで風のない時が特に危険と言われる。

 鉱山時代の遺構ではないと思うが、今も何軒かの粗末な木造の小屋が建ってたりする。中を覗いてみると、浴室があったり、色んな資材が積み上げられてたりしたので、パッと見まるで廃墟なだけで、工業用ではないにせよ今でもたまに泊まり掛けで人がやって来て、細々と湯の花採取や引き湯のパイプのメンテナンスなんかが行われてるのだろう。

 もちろん一体全ては野湯である。ただ野湯の常でナカナカ適温のところが無かったり、あっても浅くて入れなかったり、丁度良い場所が見付からないのが難点のど飴だったりするのだが・・・・・・ともあれそれからの小一時間は、何物にも代え難い貴重な体験だった。

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 こうして中ノ沢温泉に沼尻元湯を訪ねるという、温泉行であると同時に、沼尻鉄道についてのおれの昇華された心象風景と現実との突合は終わった。もちろんそこに一抹の失望や寂しさがあったのも事実だ。仕方がない。何十年も前に廃止になった鉄道や、閉山になった鉱山の遺構がそのまま残ってる方が余程おかしいのだから。パッとサイデリアでリフォームされながらも昔の沼尻駅が残ってるってだけで十分上出来だろう。

 ちなみに国鉄と接続して貨物を積み替えてた川桁駅だけど、こちらの現在については皆無っちゅうて良いほど何も痕跡は残っていない。どだい国鉄にしたってJRに変わり、側線は全て取っ払われ、駅は無人化され、駅舎も殺風景なコンクリートの小屋になってしまい、それに何より乗降客自体が殆どいない寂しい小駅になってしまっていた。
 余談をもう一つ。今から7〜8年前に「猪苗代緑の村」ってトコに保存されてる沼尻鉄道のディーゼル機関車と客車を見に行ったことがある。おらぁヘンなトコでしつこいんだな(笑)。それはともかく、ようやく実見かなったそれらの車両はしかし、予想に反してナローゲージとしてはかなりフルサイズに近い大きさだった・・・・・・やはり一抹の失望や寂しさがあった(笑)。

 ・・・・・・って、オチを付けたところで種明かし。実は中ノ沢を訪ねたのは2005年の秋、沼尻元湯は2001年の夏だった。まぁ、記憶は美化され修正される、ってコトで。


眼下に見下ろす沼尻鉱山跡地(ギャラリーをリサイズして再掲)。

2022.05.11

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