「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
昭和のかほり・・・・・・石巻山「温泉」・ナツメ別館


横から見るとペラペラに見えるナツメ別館。
実は斜面の下の方に向かって建物が雛壇状にある(ギャラリーのアウトテイクより)。



ある意味このモチャッとした感じはトータルコーディネートされたモノなのかも(同上)。

 この国で昭和への懐古がいつから始まったのかについてはおれも良く分かってない。嚆矢は恐らく西岸良平の「三丁目の夕日」辺りではないかって思うんだけど、実はこの不思議な感触の作品連作がビッグコミック誌上で始まったのは、昭和ど真ん中な1974年(昭和49年)だったりする。当時、ビッグコミックってちょっと大人の読むマンガ誌であって、子供心にも「何でこんな絵本みたいな画風のがこんなトコで連載されてんだろ?」って訝しんでた。申し訳ないけど、そんなに熱心に読んだ記憶はない。大体、ジャンプやマガジンの立ち読みはお目こぼしで許してもらえても、ビッグコミックとかあのサイズのヤツは、「まだボクには早いで!」ってなカンジで窘められたりしたもんだし。

 80年代初頭・・・・・・つまり昭和50年代後半から、既に昭和への懐古の予兆はあった。今でも覚えてるけど、新京極の詩の小路ビルってNW系のちょっとばかしトガッたオネーチャンが来るような雑居ビル(今でもあるんかな?)に、今のネオレトロな駄菓子屋の先駆けみたいな店ができたのがワリと古い例かもしれない。あるいはゲルニカのアルバムや須山久美子の「虫の時」等の音楽作品、また早くは花輪和一、その後の原律子や丸尾末広のマンガなんかも昭和への懐古を全面に打ち出した先駆けだろう。
 つまり、まずはアングラ〜サブカルの文脈の中で昭和懐古はだんだん形作られてった気がする。ただ、それらがフォーカスしてたのは、古くは大正から昭和40年代と、今よりもかなりアバウトで時代の幅が広かったし、あくまでレトロ趣味のモチーフの一つとして採り上げられる「昭和」だった。
 それが「喪われた黄金時代としての昭和」に変質し、高度成長期の昭和30年台から40年代半ば、あるいは1960〜70年代くらいに限定されてったのは、おそらくバブル崩壊後の90年代半ば過ぎからのように感じてる。もちろんそこにノリノリ、アゲアゲ、イケイケの果ての、こんなハズではなかった破綻への失意が大きく横たわってるのは間違いなかろう・・・・・・いやまぁ全部おれの勝手なアテ推量だけどさ。

 かくして今や「昭和な」というコトバはそれなりに確かなコンセンサスは得た。だけど、ちょっと独り歩きして濫用されるだけでなく、誤用さえされてるようにおれには思えるんだが、やっぱ便利なんでついつい使っちゃうんだな、これが。それにおらぁかなり同時代的に生きて来たんだし、少なくとも平成以降の生まれのヤツがしたり顔で昭和を語るよりはちったぁマトモだとも思う。

 ・・・・・・いやはやもぉのっけからハナシがいささか硬くなってしまって申し訳ない。石巻山温泉・「ナツメ別館」を取り上げる上で、そうした「昭和」は不可避の要素だろう。

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 愛知県は豊橋市の北東にランドマークとして聳える石巻山は、標高自体400mにも満たないものの、低いなりに独立峰なその山容の美しさからか、古くから山岳信仰の遥拝山として、また修験の行場として信仰を集めていた。今も石巻神社の山上社を始めとしてその痕跡があちこちに留める。山体は石灰岩から出来ており、特殊な植生やここにしかいない陸生貝が棲息してるらしい。
 何でこんなトコに仮にも温泉を名乗る施設があるんか?っちゅうと、元々「秘密坊の洞窟」ってトコから湧出してた水が霊泉と崇められており、明治期になって豊橋第十八連隊の軍の療養所が建てられたのがルーツとなってるんだそうな。その跡地が戦後のレジャーブームの中で、現在の石巻温泉郷となった・・・・・・のだが、残念ながら規定泉ではない。だから今はもぉ温泉とは名乗ってない。ともあれそうした歴史的経緯もあって頂上直下まで車道が通じており、アクセスは容易だ。その終点附近にこの旅館はある。

 そもそも何でここに泊まろうと思ったのか?っちゅうと、朝早く、まだ登山客がやって来ないうちにに山に登って、てっぺんで思う存分撮影したかった・・・・・・それだけだったりする。ま、あんましホメられたハナシではないか(笑)。旅館からだと徒歩僅か20分で山頂に行けるっちゅうのである。

 しっかし、最初の下社から分かれて上がってく道路からしてもぉ昭和だったりするのね、これが。モロ昭和3〜40年代のまだあんましクルマが普及してなくて、性能も高くなかった時代のドライブウェー、って印象。とにかく幅員が狭い。対向車来たら離合も気を遣ったろうが、結局一台もクルマは下って来なかった。そんなに不人気スポットなんかと逆にちょっと不安になってしまったな。
 何せ低い山なんで7〜8分で到着。大きく壁に「ナツメ別館、喫茶ロールストーン」と出てる。石巻だから「ロールストーン」ってアータ、このベタなセンスがまた絶妙に昭和やね。そらまぁ「石橋」引っくり返して「ブリヂストン」ってのがあるけどさ。別の壁の上にはでっかく「ナ」・「ツ」・「メ」って電飾看板もあって、これがまた昭和っぽくて良い。今でも光らせてるんだろうか。
 建物は急斜面に建ってて立体的。駐車場脇の階段を上って表玄関へ向かう。こうした立地の宿泊施設でたまに見る最上階が玄関やロビーになっててそっから下に降りてくタイプだけど、近年新たに建てられることはめっきり減ったように思う・・・・・・ってか、玄関の三角屋根の意匠がこれまた昭和感横溢ですがな。有名な例だと「日本一のモグラ駅」で名高い土合駅の駅舎なんかもそうで、登山とか山小屋をイメージさせる安直・・・・・・もとい定番デザインとして、昭和のあの頃に流行ったのだ。

 ロビーに入って思わず、「コレコレ!コレですよぉ〜!」ってつぶやいてしまった。一言でゆうてこの「モチャッとしたカンジ」こそが行楽での昭和テイストではないか?って気がする・・・・・・って、愛知県の行楽地全般のセンスがデフォでモチャッとしてるのは事実なんだけどね(笑)。ダサいのとはちょと違う。
 ちょっとクドい柄のカーペット、ゴタゴタと飾り付けられたダルマに凧に招き猫に腹出した布袋に日本人形に活花に縁起物の熊手に水石に・・・・・・脈絡があるようでないような、ひたすら足し算で積み上げた、そんな何とも過剰で危ういバランスを保ったこのセンスは間違いなく昭和だ。カウンター脇の冷蔵ケースが「チェリオ」なのも小技が効いてるな(笑)。

 着いたのが遅かったので、おれたちにしては珍しくすぐに夕食。どうやら本日の宿泊客はおれたちだけみたいである。当然ながら夕食もどこか昭和を感じさせるコンテンツだった。食事が昭和センス、ってのも説明しづらいっちゃ説明しづらいが、要は今となってはオーソドックスでこれといった新味のない、モズクの酢の物にヨコワ・イカ・ハマチ・甘海老の刺身四種盛り、海老・キス・シシトウ・レンコンの天麩羅盛り合わせといった、むしろ手堅すぎる基本の組み立てに、ムリクリに花びら添えたり、イクラの粒をちょっとイカに乗せたり、春雨の飾り揚げを付けてみたりといった、演出っちゅうにはいささか地味な小技が相俟って、ここでもやはり「モチャッととしたカンジ」が溢れてる。あと、味付けの濃さっちゅうか平明さがこれまたナカナカだったな・・・・・・あ!別にディスったワケぢゃないからね!誤解せんといてや!あの建物のあの雰囲気の中で、洗練の極みみたいな味だったら逆にスベッてたもん。

 唯一あんまし昭和ぢゃないカンジがしたのは、意外なことに浴室だったりした。直線基調で余分な装飾も特になく、四角い湯舟がドーンとあるだけの内湯と、近年増築されたらしいウッドデッキのような展望露天風呂はどっちもスッキリした印象で、この全館モッチャリした昭和な雰囲気の中では、却って異質な感じがするくらいだった。敢えて触れるまでもなかろうが、泉質は・・・・・・まぁ、フツーに山の水だった。石灰岩の山から湧いてんだから、まぁエビアンみたいなモンだろう。
 遠くに豊橋市街の夜景が望まれる。光がかなりチラチラ揺れて見えるので、明日の天気がちょっと心配になる。

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 ・・・・・・心配は杞憂に終わった。若干雲が広がって来て午後は分からないけど、朝日は昇りそうだ。予定通りに朝食前、まだ薄暗い、夜が明けきる前から行動して、バシバシ撮りまくって山から下る。最後はハシゴ場があったりして予想以上に険しかった。それにしても朝日の当たる遮るもののない山頂って、野外撮影のロケーションとしては最高だ。
 昨日は気付かなかったけれど、ナツメ別館の一段上の通りにも旅館らしき建物が何軒か並んでる。しかしどれもゾッとするほど、見事に廃墟物件と化していた。かつては随分と流行ってたんだろうが、復活することは今後もう二度とないのではなかろうか。だってこんな近場にワザワザ泊まり掛けで来る人なんて、今の時代殆どいなくなっちゃってんだろうし・・・・・・何のこっちゃない。この石巻山温泉に最後、唯一残って頑張る旅館がナツメ別館ってワケだ。
 周囲に本館もないのにどうして別館なのか、不思議に思って女将さんに訊いてみたところ、ちょっと面白い答えが返って来た。元々は蒲郡の近くの三谷温泉で叔母さんが元祖「ナツメ旅館」をやってたらしい。そこで旅館業のアレコレを修行して一生懸命金貯めて、暖簾分けで建てたのがこの旅館なんだという。だから「別館」・・・・・・「でももう、三谷の本館はとっくに廃業して残ってないんですよ」とのことだった。

 中村草田男が「明治は遠くなりにけり」って詠んだのは昭和6年のことだった。明治が終わって僅か20年ちょっとである。昭和は終わってもう30年以上が過ぎてる。このナツメ別館、宿自体の佇まいだけでなくそこへのアプローチ、周囲の状況含め、ある種の「昭和有形文化財」としてもっと注目されて良いように思うし、旅館も自覚的にそういった売り方をしてみたら、かつての賑わいの幾許かは取り返せるのではないかって気がする。


打って変わってプレーンな造りの内湯(同上)。


近年増築されたらしい露天風呂もスッキリしてる(同上)。

2022.05.01

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