「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
村の湯(Y)・・・・・・中村温泉の記憶


当時のネガはナゼか褪色が激しく、デジタルでサルベージしてもこんなカンジ。

 「中村温泉」って名前からして何ともまぁ、如何にも平々凡々とした村の湯な感じで、何とも好ましい印象がある。

 今は平成の大合併で姫路市の北寄りの一部に組み込まれてしまった、旧・香寺町にある地味な冷鉱泉なんだけど、昔から中村「温」泉って呼ばれてる。現在は「休養センター香寺荘」って元々は町営施設だったのが健在のようだが、今回取り上げるのは県道を挟んで北に200mほど離れた山裾にポツンとあったもう一軒の宿、「城山荘」って方だ。
 宿の名前の由来は、後方の山・・・・・・っちゅうよりは小高い丘が中世の昔、恒屋城ってお城だったことに由来する。廃城となったのは随分古くて、羽柴秀吉の中国遠征の頃らしい。そんな故事にあやかってか、宿は冒頭の画像の通りお城みたいに黒瓦に白壁造りで窓の少ない面白い形してた。中世の山城はどちらかっちゅうと、掘っ建て小屋に毛の生えたような造りが一般的だったんだけどね。

 きょう日、鉄道で行くモノ好きなんてまずおらんだろうが、播但線の溝口って駅から北西にちょっと行ったトコで、開発が進んだせいですぐ近くにまで雛壇の新興住宅地や工業団地が迫っている。
 山挟んで西側の隣の谷筋には、古くから「姫路の奥座敷」と称される塩田温泉があったりするんで、一帯は鉱泉湧出地帯なのかも知れない。こちらも今では旅館も少なくなっていささか寂れてしまったものの、それなりに温泉郷を形成して名前も通ってるのと比べると、随分と中村温泉はマイナーな存在だったりする。あぁ、そぉいや職場の連中で「夢乃井」に泊まった翌日、姫路セントラルパークで絶叫マシンに乗ったことあったっけな。

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 北摂、丹波から播州辺りに掛けての一帯の風景に対し、おらぁ昔から憧憬に近い気持ちを抱いている。そしてそれがガキの頃の鉄道趣味と密接に繋がってるコトは間違いない。素直に認めます、スンマセン・・・・・・って謝ることぢゃねぇか(笑)。
 当時、鉄道模型の本っちゃぁ山崎喜陽が主催する機芸出版くらいだったんで、みんな月間の「鉄道模型趣味」を丹念に読むしかなかった。最近では核家族化で家が狭くなった影響か、はたまた中産階級が貧困化したせいか、そこまで大作が発表されなくなっちゃったんだけど、昔は何号にも亘って大きなレイアウトの発表が行われてたりした。どんな考えで作ったとか、どんな製作上の工夫したとか、まぁマニアックっちゅうか素人にはサッパリその良さも意味も分からんヲタな記事である。そいでもって、何年かに一度そうしたアーカイヴ記事を寄せ集めて・・・・・・もとい、まとめて単行本が出されたりする。それもかなりエエお値段で。
 今から思えば随分と箆棒で阿漕な商売だったと思うが、クローズドなマーケットで市場を寡占してたからできたんだろう。

 そんな一冊に山吹色の表紙の「レイアウト・モデリング」ってのがあった。その前の「全書」その後の「テクニック」とで三部作みたいになってた記憶がある。調べてみると初版が1972年だから、もぉ50年も前のハナシだ。その中に日本の鉄道レイアウト(・・・・・・最近は「ジオラマ」と呼ぶ方が増えたみたいだね。プラモデルかよ!?)の歴史を変えたとまで言われる、坂本衛・「摂津鉄道」が収められていたのだった。
 ちなみに小学校で同級生だったT原君から借りて初めて読んだのは、少し後の70年代半ばくらいだったと思うが、既に、戦車のプラモデルでジオラマのリアリズムを知ってただけに、本当に摂津鉄道の作り込みは衝撃的だった。

 それは現代で言うところの「スーパーリアリズム」を、鉄道レイアウトの世界に持ち込んだ嚆矢だったと言える。恐らくは1930〜40年代くらいの晩秋から初冬にかけて、北摂から丹波、播州といったあたり、近畿北部の平野の末端の寒村での一瞬の風景だけを切り取ったようなシーナリィは、従来のループだ8の字だ、やれリバースだドッグレッグだ・・・・・・とスペースに隙間なくギッシリ線路を埋め込んだ真ん中に、大体いつも対角線状に駅だかヤードだか分らん何本もの線路を詰め込んで、後は隙間にテキトーに、いつの時代のどこの地方のどの季節かも良く分からないチグハグな建物を置いた中を新幹線とD51が並んで走るような、言っちゃぁ何だけど、いわば「プラレールの延長線上のレイアウト」とは完全に異なる世界観だった。
 もちろんそれが、おれがしょっちゅう言及する名著、河田耕一・「シーナリィガイド」で提唱された「リアルな鉄道レイアウト」の愚直なまでの実践であったのは言うまでもない。ただ、この本はあくまでそのための資料集であり、いわばコンセプトを示しただけに過ぎず。それをホンマに巨大なレイアウトにまで作り上げちゃったのは、やはりこの摂津鉄道が初だったのではあるまいか。

 配線はサイズの大きいHOゲージとは申せ、6畳一間を丸々使うくらいの広さなのにエンドレスが1本あるだけ。駅っちゅうたかて、上下線に貨物側線が1本の亜幹線〜ローカル線の最もシンプルなスタイル。ナンボ何でもそれだと走らせる愉しみが薄いと思ったか、駅からは農業倉庫へ向かう側線や河原に下ってく砂利取り線が出てたような記憶がある。要は線路はスカスカなのだ。
 後は偏執狂的に作り込まれた藁葺屋根の村の家々、刈り取られた田圃、葉を落とした木々・・・・・・要はかつて日常に転がっていた当たり前の風景が、素材や技術が向上した今となっては結構素朴だけど、当時としては恐るべきレベルの精密さで作り込まれてたのだった。

 ともあれそうして刷り込まれてしまったのだ。「原風景」を持ち得なかった者の原風景として。

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 話を中村温泉に戻そう。告白するならば、ココに関する記憶はひじょうに少ない。

 とにかくここは難攻不落っちゅうか手強くて、それまで2〜3度、湯が入ってないとか留守だとかで門前払いになってたのが、ようやく92年末ごろに入れたんだった。冷鉱泉ってとにかく沸かす油代が掛かるから、一日中沸かしっ放しにしてるトコはよほど儲かってる大旅館くらいだろう。そんなんでそんな平日の昼間にいきなりポッと訪ねても、湯船が空っぽで断られることが多いのである。
 たしか香寺荘はいつでも入れたものの、どぉにも国民宿舎っぽくて何となく味気なさがある・・・・・・いや、別にディスる気は無いんだけどさ。でもやっぱ、城山荘に入ってみたいのが人情ですやんか。それでちょっとばかし意地になってしつこく再訪を重ねてたのだった。
 かくしてダメ元で夕暮れ近くに何度目かのアタックで立ち寄ってみたところ、その日はたまたまポロッと入れたのである。

 写真が残ってたらもう少しは芋づる式に色んなことも想い出せるだろうに、生憎チャンと写ってるのが殆どない。当時はデジタル前夜だったから当然銀塩写真ばかりで、現像してみないとどう撮れてるかは分かんないし、そんなアホみたいにフィルムを消費できるはずもなかった。季節だって厳しい。風呂は冬ゆえの猛烈な湯気に加えて時間も遅くて薄暗く、写真はどれもストロボが湯気に反射してハレーション起こして何が写ってるのかもサッパリ分からなかったりするのだ。
 入湯料が当時の標準くらいの500円だったコト、外観同様、建物内部も何となくお城の中みたいになっててとても寒く、風呂出てすぐに湯冷めしそうになったコト、随所に古い瓦やら石臼が意匠として埋め込まれてたコト、湯が炭酸鉄泉特有の赤褐色で、フィルターで鉄分を除去してないのか、ひじょうに濃厚でちょっとザラッとした感じがあったコト、五右衛門風呂ではなかったけど丸くて深い独得の湯舟だったコトなんかはそれでも断片的に想い出す。
 何となくもうあの30年前の時点で既に、ちょっと終わりかけてるっちゅうか、あんまし商売する気がないような印象だったな。

 調べてみたところこの鉱泉、源泉自体は村のモノで100年以上の歴史があり、その管理を任されてた瓦職人が宿を建ててやってたらしい。そりゃ至る所に瓦が使われてるワケだ。しかし2004年にその御主人が亡くなり、そのまま宿も廃業してしまったとのコトだ。ただ、鉱泉水自体は自然湧出で今も源泉からは炭酸と共にボコボコ出てるらしい。その後、使われなくなった建物を会場に展覧会が開かれたり、新たにオーベルジュとして再出発する話なんかもあったみたいだけど、結局実現しないまま今に至ってる。
 ちなみに平らに切り崩されて工業団地となった東の方にも鉱泉宿があるって噂を聞いたことがある。割烹旅館を名乗って今も健在の「美香荘」ではないかって気もしてるが、確認しようと思ってるうちに関東に移ることになったんで、結局真偽は不明のままだ。

 これで大体、中村温泉に着いての個人的な記憶、またその後ネット越しに知り得た情報については述べたことになる・・・・・・ね!?ホンマ少ないっしょ?

 ぢゃぁなんでこんな風に一稿を割いたのか?

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 ・・・・・実は目下、あっち方面に移住しようかと思ってるのである。

 いや、分かっちゃいる。ガキだった昔、穴が空くほど読み込んだ上記の本に載ってた風景なんて、もはや僅かに残滓を留めるだけだ、ってコトは分かってるんだ。そんなことは。大体、おれが目を輝かせて読んでた時点で既に、それらは過ぎ去った風景であり、かなり喪われつつあったたのだから。

 見渡す限りの田圃や畑、ため池、疎林、重厚な土塀に囲まれた家々の向こうに低い山々が連なる風景は今や、郊外型のスーパーや安価な労働力を求めて進出してきた工場、ベッドタウン化が進んで密集する新建材の薄っぺらな住宅、国道沿いのチェーン店、風景を上下にぶった切る高速道路、バカみたいに巨大な箱でしかない物流倉庫、ゴルフ場・・・・・・色んなものに蹂躙されてしまい満身創痍だ。
 僅かな残滓ったってそっちはそっちで、農地はいつしか耕作放棄された荒地に変わり、母屋に離れ、土蔵、納屋、ヘタすりゃ長屋門まで備えた重厚な田舎造りの家々は、藁葺屋根は腐れ、瓦は落ち、土塀は崩れ、蔦がはびこり葎が敷地を覆い、至る所で「古家付き土地、別途農地3,000u付きウン百万」とかで投げ売りされてるのが寂しい実態だ。

 温泉・鉱泉の類も極端に少ない。高温泉は突然変異的に唯一、有馬があるくらいなもので、後は冷鉱泉が大半、それも山間部にほぼ集中しているだけでなく、廃業したり、日帰りスパに変貌して昔日の面影の欠片も残ってないトコも多い。
 執着のキッカケとなった鉄道だって、ホンマもぉお寒い限りの状況で、山陰本線、福知山線、加古川線、播但線等は電化されて味気ない電車が走るだけになった。非電化で田舎の風情を残すのは西端の姫新線くらいしかない。盲腸線な支線は大半が廃線になっちゃった。篠山線は遥か昔に力尽き、飾磨港線、鍛冶屋線、三木線、高砂線なんかももう喪われて久しい。唯一北条線が三セクになって以降も何とか頑張ってるだけだ・・・・・・いや、この未曽有のコロナ禍で、最初に挙げた路線だってヤバくなってる区間があちこちにある。
 またこの30年で間違いなく来ると言われる南海トラフ巨大地震の震源も近いし、その前に中央構造線動いたらどぉすんねん?っちゅうのもある(それ言い出したら関東も黄信号だろうけどさ、笑)。さらには地球温暖化の影響なのか何なのか、近年は梅雨末期の水害が目立つ・・・・・・まぁ、近年のマイブームである巨石・磐座、これだけはもぉマジでウジャウジャあるかな?

 移住するメリット(!?)、っちゃぁせいぜいそんなモンだろう。後はまぁランニングコストくらいか?・・・・・・それだってしかし、都市ガス来てなくて割高なプロパンだったら、チャラになりかねんわな〜。

 あ〜でもない、こ〜でもないとそんなことをウダウダ考えてたらナゼか唐突に、寂しくボサボサ草深い中に埋もれたようにあった中村温泉を想い出したのだった。
 籠坊でも国領でもなく、山空海でもない。ましてや武田尾や塩田でもない。鹿ノ子でもない。増位や見土呂でもない。おれがガキの頃に刷り込まれたイメージの中の近畿北部の風景に最もピッタリだったのは、日暮れ前のあの城山荘のどことなく侘しい佇まいだった。


土蔵みたいな室内がムチャクチャに寒かったのだけはハッキリ覚えてる。

2022.03.22

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