「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
げに救いがたきはオバハンかな・・・・・・日光沢温泉


山小屋然とした日光沢温泉玄関


シブい佇まいの鉛丹葺きの屋根が並ぶ旅館全景。実に素晴らしい。

 奥鬼怒四湯の中で未だ秘湯の佇まいを最も色濃く残しているのが今回取り上げる日光沢温泉だろう・・・・・・っちゅうたかて、加仁湯から先、500mほど奥に入るだけだ。そんなに離れてるワケではない。しかしここから渓谷は急に狭くなり、道もすぐ先で細い登山道に変わって裏日光に至る。そんなどん詰まりのようなところの僅かに拓けた平場、対岸の切り立った崖を望むところに日光沢温泉はある。

 ここだけは唯一、未だ如何にも古い山の湯らしい佇まいを保つ。すなわち、増築を重ねた赤い鉛丹葺きの屋根の木造の建物が複雑にいくつも繋がり、間もなく到来する冬に備えてか、玄関脇はじめあちこちの庇の下には薪が積み上げられている。
 温泉場であると同時に山小屋の雰囲気もあるのは、実際ここが登山基地になってるからだ。その点では、北アルプス・燕岳直下の中房温泉、あるいは八ヶ岳連峰・硫黄岳の大岩壁を望む本澤温泉等に通じるところがある。

 何ちゅうか、こんなトコまで来やんとこうした宿はもうナカナカないのが今の日本のお寒い実情だ。古いものを古いままに少しづつ手直ししながら大切に使う・・・・・・そりゃぁもちろん手間ヒマは掛かるし、火事とかには注意せんならんし、耐震性や耐風性、あるいは快適性では劣るだろうけど、何だかんだでコストは抑えられるし、何よりも積み重なった歴史だけが醸し出せるリアルで重厚な雰囲気は、どれだけ優れた建築家や工務店入れたって再現できないものだろう。だからこそ古民家ブームなんかもあるワケだけどさ。

 ・・・・・・ってまぁいきなりむつかしくなってもいけない。今日のあとの予定はここに泊まるだけだから、まだまだたっぷり時間があるのだ。

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 玄関前では茶色い柴犬が2匹、尻尾を振って出迎えてくれた。入口横に貼り紙があって、大きいのが母犬で「チャング」、少し小さいのが子供で「わらび」っちゅうらしい。

 案内されたのは、正面の建物二階の6畳の部屋だった。小さな卓袱台が一つあるだけで、あとは何もない。内壁は近年補修されたらしい杉の板壁で、恐らく隣の部屋とは文字通り薄い壁一枚になってるようだ。今はまだ両隣に宿泊客が到着してないからエエけれど、防音もヘチャチャもホチョチョもないと思われる。平たく言やぁそれって街ではレオパレス並みに粗末なんだろうが、そんなアラさえも何とも山の宿らしい味があって好ましい。
 部屋にはナゼか小さいながらも床の間だけはあって、良く分かんないけどとても立派な書の掛け軸が掛かってる。ナニナニ・・・・・・「深届京帳無来客時斉山禽自賛名」、う〜むサッパリ意味不明やな。手書きの註が右下に貼られてあって、そこには「故・白石宙和先生の書」とあった・・・・・・誰やそれ?って調べようにもネットが繋がらない(笑)。まぁなんかそれなりのオーソリティーで、存命中はココを定宿にしてたような人なんだろう。(※註1)
 驚いたことに、部屋の電灯は二又ソケットが使われた極めて古いタイプのものだ。もちろん刺さってるのは今や国内では絶滅寸前の白熱灯だ。実はこの宿の主は古風な姿に拘って、それを維持するためにかなり隅々にまで細心の努力を払ってるんぢゃないかって気がした。

 障子を開けると、幅1尺ほどの濡れ縁がある。大昔の温泉場の絵葉書とか見ると、ここで柱にもたれかかって足を延ばして涼んでる浴客が写ってたりするコトが多い。おれもちょっとやってみたろか・・・・・・が、止めといた。男一匹五尺の身体、ってな昔の人ならともかく、平均以上のおれの体重で乗っかったら一気に崩れ落ちそうなくらい華奢に思えたからだ。こんな文化財級の建物、デブが元で壊したらシャレなりまへんで。

 早く着いたおかげで、ありがたいことにまだ他に宿泊客の姿はない。そんなんで取り敢えずの一服の後、風呂に向かうことにする。天気は相変わらず快晴だ。秋空が抜けるように青い。

 浴室は2ヶ所の混浴の露天風呂と、男女別の内湯となっており、微妙に泉質が異なってるみたいだった。まずは露天風呂。内湯の大きな窓を開けて向かう。
 露天風呂は小さな沢っぺりにあるのと、そこから階段を10段ほど上がったトコに分かれており、実際名前も「露天風呂・上」「露天風呂・下」となってるようだ、ここでヘンな色気出したネンネン趣味で、取って付けたような「ナンチャラの湯」とかにしてたら却って興醒めになってしまうトコだが、あくまでぶっきら棒に呼んでるのがこれまた如何にも山の湯らしくて好ましい。湯船にもこれといったざーとらしい演出はなく、下はコンクリート素塗りで地形に合わせたような五角形の湯舟に若干青味がかって白濁した湯が湛えられ、上の方は四角い湯舟で鉄分が含まれてるのか無色透明ながら底が黄褐色に染まる、っちゅうのが若干異なるくらいである。どちらもひじょうに素朴な造り。ただ上の方は多少造作が設えてあって、大きな碁盤目に鉄平石みたいなんが敷き詰められてあった。広さは両方とも6畳くらいなカンジだろうか。

 「湯屋」と呼んだ方が似合いそうな別浴になった内湯もシブい造りだった。細長い湯舟がポンとあるのが男湯で、その半分くらいの四角い湯舟が女湯だろう。やや石灰分を含んでいるのか、析出物で湯舟から洗い場に掛けてはゴテゴテに白く固まっている。あとはカランが1つあるだけ・・・・・・これだけ書くと中の様子は大体書いたことになる。
 脱衣場も比較的最近改装したようで、部屋とよく似た杉の板壁になっていた。そぉいやぁここまでの通路も同じようになってたっけ。やはり、宿の主は絶対に信念を持って昔ながらの佇まいの維持に努めてるようだ。

 湯上りに玄関入ってすぐの古風な薪ストーブのあるところで涼んでいると、いつの間にかさっき加仁湯で見た手白沢温泉のクロがノソッと入って来て、三和土の上に寝そべってる。出迎えてくれた茶色い柴犬もいて、クロは少し離れて大人しく見てるだけである。みんな客商売のところで鍛えられてるだけあってか、特に吠えることもなく、かといってムダに愛嬌振りまいてベタベタしすぎることもなく大人しくしてる(※註2)。やっぱし山深い場所ゆえ、熊の見張り番としても犬は大切なんだろうな。

 夕食はやはりこれも山の宿らしく、食堂に一堂に会して一斉に始まるスタイル。意外と言っちゃ失礼だけど、こんな辺鄙な山奥とは思えないくらいに素朴でありつつもシッカリした内容の料理が並ぶ。いつの間にか館内は宿泊客で一杯になってたようで、座敷はかなりのスシ詰めだった。大半は翌朝から登山に向かうみたいで、それっぽい格好の人ばかり。おれ達のようにただここに泊まりに来たのは少数派に思えた。

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 ・・・・・・って、ここまで全然タイトルとちゃうやんけ!アホ!ボケ!カス!と思われた貴方は正しい。悲劇はこれからだった。

 山の宿の夜は早い。夏なんかだとまだ夜ちゃうんか?みたいな真っ暗な時間に出発する人が大半だったりする。それは午後になると山の天気は崩れることが多いからだ。雷なんか鳴り出したらシャレになんない。今はもう秋なので夕立の心配はないけれど、今度は日暮れが早い。だから空が白み始めるとやはりすぐに宿を発つワケだ。そんなんでとにかく早寝がルールとなってる。

 おれたちも今朝は随分早くに家を出て来たし、明日は明日で回りたいトコが何ヶ所か残ってる・・・・・・いや、そんな理由なくても旅先では絶対に夜更かしはしない主義なんだし。ましてやここは温泉宿っちゅうよりは山小屋に近いのだ。
 そんなんで夕食後はサラーッと旅館の内外を回って、夜の帳に包まれる宿の様子を撮影したりしたくらいで、サッサと布団に入ったのだった。ヤルこたぁ夕食前にとっくに済ませてるし(笑)。他の人たちも概ね同じように明日の行動予定を考えてか早寝するようで、じきにみんな静かになった・・・・・・隣の部屋を除いては!

 クチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャ、いつまでも大笑いしながらオバハン共が話し込んどるワケっすよ!クッソしょうもないどぉでもエエような話を!延々と!他はみんな寝静まったっちゅうのに!声の感じからすると5〜60ってトコだろうか。
 まぁそれでも宿の消灯時間は22:00ってなってたんで、うるせぇなぁ〜!と思いつつも我慢してジッと布団に包まってた。しかし、一旦気になりだすと時間の過ぎるのは異常に遅い。
 そうして22時になったが、オバハンたちの姦しいお喋りはいっかな終わる気配がない。おらぁ実はかなりナーバスな方なのだ・・・・・・単なるワガママが大半だけど(笑)。5分、10分、15分、時計はナカナカ進んでくれない。そうしていい加減おれも堪忍袋の緒が切れた。
 だからって冷え込んでるのにイチイチ部屋の外に出て隣まで行ってドアを叩くのも鬱陶しい。おれは蒲団を仕舞う半間の押入の向こうが隣の部屋だろうと思って、押入にカラダ突っ込んで奥の板を叩いたのだった。向こうは随分驚いたに違いない。だって壁だって思ってたトコがドンドン鳴るんだから(笑)。もちろん大声なんて出さない。押し殺した低い声でおれは言った。

 ------消灯22:00ですから、静か・・・・・・

 ・・・・・・くらいでピタッと会話は止んだ(笑)。まぁ黙ってくれりゃぁ何でもエエねん。とにかくこれでようやっと安心して眠れるわ・・・・・・。

 しかし15分後、おれは自分の甘さを思い知ることになる。今度はヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソ、小声で話し始めたのだった。いや、だから声は筒抜けなんだ、ってばさ。小声なら大丈夫と思ったのか何なのか、これまたいつまで経っても終わる気配がない。余計、気になるってば。再び5分、10分、15分・・・・・・

 ------全部、声、ツツ抜けなんです!山小屋のマナーもルールも知らんのですか!?

 今度は流石に静かになった・・・・・・ってーか、水を打ったように全館シーンとなっちゃったやおまへんか(笑)。何だかんだであちこちの部屋で小声で話してたりもしてたみたいだ。あ〜あ、おれの声がいっちゃんデカかったんだ。トホホホホ。

 少しのスペースも惜しいハズの山小屋なのに、よく「談話室」なんてーのが設けられてるのは、ありゃチャンとワケがあるのだ。消灯時間過ぎても話し込みたけりゃそこまで行って話せ!っちゅうこっちゃね。他の早発ちのお客さんにメーワク掛けんな!っちゅうねん。ホント、恰好だけはいっちょ前にビシッと揃えて、こうした基本を知らないニワカが増えてトラブル起こしてるのが今の日本の山・・・・・・いや、あらゆるレジャーの場で起きてることであり、そして、面倒に関わるのを忌避して見て見ぬフリで、そうした無作法を誰もその場で咎めたり叱ったりしないから増長してったりするのが実態なんだろう。実に困った世の中だと思う。

 しかししかし翌朝、さらにおれは自分の甘さを思い知らされることになる。

 ・・・・・・何とそのオバハン一行、おれたちが起きた時間にはとっくに出発した後だったのだ(笑)。いや、決しておれたちが朝寝坊だったワケではない。俗に女の方が寝不足には強い、な〜んて言われるけど、あらマジかも知れない。ホンマなんちゅうタフなスタミナや。いやはやもぉ完全に負けましたわ、なんか。



※註1:気になって後から調べてみたら、栃木県書道連盟に属するかなりな書家だったみたいだ。
※註2:天才犬として有名だったというクロは、この翌年亡くなったそうだ。日光沢には「サンボ」ってのが増え、今は3匹いるらしい。


内湯の建物をバックに。露天風呂は手前と左上方の2ヶ所。


上の方の露天風呂に入る。

2022.03.06

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