「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
原点の一つかも・・・・・・法泉寺温泉


暮れなずむ中、部屋からの眺め。赤い屋根が現在の小杉館、その奥に回廊で繋がった旧館が見える。滝本館はさらにその奥にあったとのコトだ。

 過去に何度も言及してる通り、1984年の王滝地震で消滅した本物のランプの宿、濁川温泉にその2年前だかに泊まったコト、またその後そうして巨大な土石流に呑み込まれて呆気なくも悲劇的に消滅したコトが本格的に温泉にハマるキッカケとなっんだけど、その数日後に泊まったのが今回取り上げる掛川の法泉寺温泉だ。

 たしか濁川に泊まった翌日が飯田で、陽も暮れかけた頃に公園にテント張ってホエーブス焚いてたら、隣接するお寺の住職が気の毒がって声掛けて下さって本堂の横の部屋に寝させてもらったのだった。そいでもってそのまた翌日は降りしきる雨の中を浜松に下って、ヘロヘロで静岡大学の蜆塚寮ってトコの大広間でシュラフ並べて雑魚寝。この夜はホンマ大変だった。辿り着いた直後に台風がモロに浜松を直撃したのである。中庭に並んだ棕櫚の木が暴風で斜めにしなってた。ホント、あと30分遅れてたら死にハグレに遭ってたわ。
 そいでもってさらに次の日は関西の大学のサイクリングクラブが一堂に会するとかで、浜松駅の北の方のスポーツ公園みたいな巨大な芝生広場に全員集合して何か施設みたいなトコに雑魚寝だったと思う。そうしてそのまた次の日に分宿して泊まったのが法泉寺温泉だった。つまりは濁川の4日後だったってコトになるハズだが、ちょっと記憶が怪しい・・・・・・っちゅうのも浜松到着以降は、毎晩狂ったようにコンパコンパで意識朦朧としてたからだ。二日酔いでチャリのペダル漕ぐってアホやで、太陽が黄色いで、死ぬで、ホンマ。
 ついでに書くと、翌日がこれまたビックリするくらいの豪雨で、それで東海道線の富士川橋梁ってのが流されて、その後随分長い間、その区間は単線運行になってたような記憶がある。その日、両岸に自衛隊が出動して警戒する中、天竜川を渡ってナゼかスズキの工場見学なんてさせてもらったっけ・・・・・・ん!?法泉寺に泊まった日だったっけな?
 おれたちのグループはその後、掛川とか袋井北部の山中をみんなで走ったんだけど、至る所で土砂崩れが起きてたのだけは、二日酔いでアタマ濁りまくってたのにも拘わらずナゼか妙に鮮明に覚えてる。

 ・・・・・・で、今回のタイトルである肝心の法泉寺温泉なんだけど、これがもぉ殆ど覚えてないんですわ。断片的になんか小川を望むように古い木の外廊下があったこと、小さな空色タイル貼りで小判型の浴槽があって、「やっぱし鉱泉は沸かさんといかんから風呂は小さめなんやなぁ〜」って思ったことなんかはそれでもおぼろげに想い出せるものの、その日そもそも旅館の部屋に泊めさせてもらったのか、風呂を借りただけでやっぱしいつものテン泊だったのか・・・・・・どうにもこうにも忘却の彼方に消えてしまってるのである。

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 ・・・・・・長かったコロナ騒ぎもようやっと一段落したので、久しぶりに泊まりで旅行に行くことにした。

 春にコロナ禍の間隙を縫うようにして山梨に行ったっきりで、その後の第5波だったっけ?往年のコルグのモデル名みたいなデルタだラムダだ変異株だと毎日エラい勢いで陽性者数が増え、おれも一応はまだチョロッと立場もあったりもするんで、不承不承ながらの自粛生活を送ってたのだ。恐らく日本人の多くが同じように2021の夏を過ごしてたと思う。ホンマ、日本人はマジメっちゅうか同調圧力に弱い・・・・・・おれも含めて(笑)。
 いきなりムチャクチャ遠方ってのも人出が読めないんで、静岡方面でコースを組んでみることにする。

 しっかし伊豆以外の静岡で温泉宿っちゅうの、案外むつかしいんっすよ、これが。そもそも温泉・鉱泉数がそんなに多くない上に寸又峡だとか梅ヶ島だとか、狭い範囲に集中してるケースが多く、また南アルプスの麓の長い谷のどん詰まりとかで、コースに組み込みにくかったりもする。浜松だけは長い谷の奥でないとは申せ、大半は浜名湖畔の舘山寺周辺に固まっており、元は団旅向けの観光旅館が殆どで、おれが好むような侘しい一軒宿みたいなんんがあんましなかったりもする。

 今回の旅のコースを考えると、泊りは掛川か袋井あたりになる。でもあっちは何年か前に倉真温泉・「落合荘」に泊まってるんで、もっかい同じトコに泊まるっちゅうのも何となく芸がない。もう少し奥に行くと倉真赤石温泉ってちょっとディープなトコもあるんだけど、ここは日帰りオンリーで宿泊はやってないハズだ。んん〜、たしかもっと昔にはかなり手前の市街地寄りにもう一ヶ所、一軒宿の鉱泉があったような気がするんだけど廃業しちゃってんのか記憶違いなのか、良く分からない。そしたら残るのは昔行ったことのある法泉寺ってコトになる・・・・・・そんな消去法で宿泊場所は決まったのだった。何だかホンマ、温泉への情熱が薄れちゃってるよな〜。

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 ・・・・・・久しぶりのお出掛けなもんで、欲張ってあちこち訪ねるスポットを詰め込み過ぎたせいでスッカリ遅くなってしまった。夕暮れが迫る中到着した法泉寺温泉は、昔も何となくこんなカンジだったかなぁ〜という気はするものの、余り特徴のない草深い雰囲気とのトコである。その名の通り、法泉寺ってお寺の横、低い山裾に包まれるように「滝本館」・「小杉館」という二軒の小さな宿が侘しく固まる。ロケーションはまさにおれ好みの「村の湯」だ。恐らくは近郷近在の農閑期の湯治場として地元に根差して地味に続いてきたような、そんな雰囲気がある。泊りは少し高台になって建つ滝本館の方だ・・・・・・って、こんなんやったっけ?何かこぉ、寺の奥のもっと日当たりの悪いトコに並んでたような気がするんだが。

 案内された二階の角部屋から見ると、隣の小杉館も良く見える。小さな谷川が流れ、対岸にはそれに沿うように今はもう使ってないと思われる古い木造の建物があって小杉館とは木の廊下で川を跨いで繋がっており、昔泊めさせてもらったのはあるいはそっちだったのかも知れない。

 何はともあれ、宿に着いたらまずは風呂だ。コロナの宿泊制限で泊りを絞ってるのか、元々そんなにお客が少ないのかは分からないが、離れになった男女別の露天風呂は閉鎖中で、内湯も片方だけが沸かされていた。とかく油代の掛かる鉱泉宿は大変なのである。
 大きなガラス張りで天井の高い浴室には、大きな岩風呂がドーンと一つ。そりゃ燃料代も掛かるわなぁ〜、ってな立派さだ。泉質は単純硫黄泉だそうだけど、若干アルカリのヌルヌルが感じられるくらいで無色透明・無味無臭、清澄で柔らかく、特にこれといった特徴はない・・・・・・って書くとナカナカ一般的にはご理解いただけないんだが、これだからこそ鉱泉宿はしみじみして良いのだ。

 もぉ殆ど覚えちゃないけど・・・・・・ってか連日連夜の深酒でそもそもアタマに入んなかったのかも知れないけど(笑)、法泉寺温泉はおれにとって原点の一つなのかも知れない・・・・・・唐突にそんな気がした。

 到着が遅かったせいでそのまますぐに一階の別部屋で夕食・・・・・・ってウワワ!これマジでスゴくね!?ってなくらいに料理がテーブル一面に並んでる。おれの中でこれまでの圧倒的なボリュームの一位は島原の岩永旅館、僅差で福島・湯岐温泉の和泉屋旅館なんだけど、この二軒はまぁ突き抜けた別格であって、それに続く見事さだ・・・・・・多けりゃ良いってモンでもなかろう、っちゅうご意見は当然あるだろうけどさ。
 面白いのは和食を基本にしながらもローストポークやパイシチュー、エビチリ等々、あちこちに洋食や中華のテイストも盛り込まれててとてもバラエティに富んだ献立になってることだろう。こうしたヒネリが効いてるケースっちゅうのには大抵 料理好きの娘さんとかがいて、その人が古典的な組み立てに終始しがちな料理に新味を取り入れてるコトが多かったりする。
 それにしても一品一品どれも美味いし、チャンと鰻やトロロといった地元特産品のツボも押さえてあったりもして、死ぬほどハラ一杯になりつつも最後まで間然とさせるトコのない料理の数々だった。いやホンマ、料理のクオリティで行ったらこの宿、相当にスゴいわ。

 もちろんそこには、こうした平凡な風景の中の鉱泉宿としての必死の生き残り戦略があるんだろう。特に温泉街も門前街もなく、そこまで周辺の観光名所に恵まれてるワケでもない宿に、おれみたくワザワザ指名買いでやって来るのはやはり全体からするととても少数派だろう。大抵はな〜んも考えず、それこそ沸かしはダメだとか。硫黄の匂いがせんと温泉ぢゃねぇとか、オネーチャンのおるような店は無いんかい!?とか、太平楽を並べられる無知でノー天気な客ばっかしだし、そしてココが大事なんだけど、金を落としてくれるのは実はそぉゆうパンピーなのだ。
 そんな中、昔ながらの鉱泉宿が生き残って行くのは大変なコトは良く分かる。料理で差別化するしかないし、差別化ったって、結局は原価と手間ヒマ掛けるしかない。

 業界にとっては起死回生の頼みの綱、っちゅうか神風とも言えたインバウンド需要も完全に途絶えてしまった。色んな産業があるのに不公平だとの批判だらけだった、二階っちゅう妖怪の謀略以外の何物でもないGoToキャンペーンも、喪った大きさからすると一時的なカンフルにしかならなかった。

 ・・・・・・アカンなぁ〜、酔いが回るとどうもすぐに考えが堅い方に向かってしまう。おらぁシラフの方がむしろアバウトで朗らかなんだろうな。

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 翌朝、宿を辞する際に、もう40年近く前にどっちの宿か分かんないけど、大学生のサイクリング集団でこの温泉に泊まったコトを話した。そしたら若女将がハッキリと覚えてらっしゃった。彼女はまだ小学生で、関西方面から学生さんが沢山来ると聞いてちょっとミーハーにワクワクしてたんだそうな。ちなみに当時、宿は川向いのお寺の滝のすぐ横にあって、小杉館と並んで建ってたそうである。二軒ともその後、元々建ってた方から川の反対側に移転したらしい。おれの記憶は正しかったのだ。
 ともあれそうして夕方になって汗まみれになった学生集団がやって来たんだけど、その中の年長のリーダーだった青年が、当時「シブがき隊」として人気絶頂だったモックンこと本木雅弘みたいでカッコ良かった、っとのコトだった・・・・・・もちろん、おれではない(笑)。第一、おらぁ下級生で引率される側だったんだし。

 法泉寺温泉・・・・・・おらぁ舘山寺しか知らないや〜!って人も、一度、あっち方面の宿の候補に加えて見られては如何だろう?ホンマに落ち着く良いトコで、素晴らしい料理が待ってます。 


浴室内部の様子。

2021.12.06

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