「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
苦悩する温泉・・・・・・甲府湯村温泉・旅館明治


太宰はん、顔色悪っっ!(笑)

 兎角と激越だった太宰治の生涯で、最も穏やかで安定してたのが甲府在住の石原美智子と結婚してからの数年間だと言われる。大雑把に言って初期と末期の陰惨で下降倫理に満ちた破滅的な路線と、中期の繊細な心理描写とウィットとユーモアに満ちた路線の二系統に彼の作品は分かれるんだが、後者は専らこの時代に書かれており、実のところ発表のペースもひじょうに矢継ぎ早で、作品数としては最も多かったりする。「富岳百景」、「走れメロス」、「御伽草子」・・・・・・まぁいくらでも挙げることが出来るんだが、しかしながらもし、彼がこうした作品ばかりの作家であったならば、ここまで歴史的名声を得ることが出来ていたかは甚だ疑問でもあったりする。ただ単に技巧的な小説の名手として、一群の中堅作家に列せられるような随分小粒で線の細い存在になってた気がするからだ。そこが小説、ひいてはアートっちゅうモンの厄介なトコだ。

 結婚後すぐには僅かな期間ではあったものの、実際甲府に暮らしもしている。その後は終の棲家となった東京・三鷹に引っ越すんだけど、やはり甲府の町には何度か出かけてたらしい。その際に逗留したのが、今回ご紹介する甲府湯村温泉にある「旅館明治」だった。「正義と微笑」と「右大臣実朝」がこの宿にカンヅメになって執筆されたっちゅうのは、どうやら事実みたいである。要はどうしてナカナカな由緒ある名旅館だったりするワケだ。

 そんな宿に縁あって、っちゅうかコロナ禍での値崩れとGoToトラベルのオカゲもあって(笑)、泊まることが出来た・・・・・・って勿体付けんな、ってね。いやもぉ全然お値段的にはお安い宿だったんっすよ。
 余談だが、大治ゆかりの宿に泊まるのはこれで二軒目だったりする。一軒目は船橋にあった湊温泉・「旅館玉川」である。最も荒れてたと言われる船橋時代、この旅館で最初期の「ダス・ゲマイネ」・「虚構の春」・「狂言の神」が執筆された・・・・・・いやいや、太宰フリークで泊まったワケぢゃない。たまたまだ。詳しくは昔の駄文読んでくださいな。

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 甲府盆地はその地下に温泉を大量に含んだ帯水層ってのがあるらしく、ある深さまで掘ればどこでも大体温泉が湧く。葡萄畑に水撒くための井戸を掘ろうとしたら湧いた石和温泉や、富士を望む絶景で一躍有名になったほったらかし温泉なんかも、同じくらいの深さから温泉を汲み上げてる。そうした中で最も歴史のある温泉地が甲府湯村温泉と言えるだろう。

 ちなみに「湯村」って名の付く温泉は、最も有名なのが「夢千代日記」で知られる但馬にあるので、他には島根の木次にあるのが混同を避けるために「出雲湯村」、そしてこちらは「甲府湯村」と呼ばれている。ここの歴史はしかし随分古く、いくらなんでも弘法大師はハッタリだと思うけど、武田信玄が隠し湯にしてたってのはあながちウソでもなさそうで、まぁ湯治場としては軽く500年以上続いてることになる・・・・・・だけど、残念ながら今では何だかぶっちゃけちょとパッとしない。

 「旅館明治」は共同浴場である「鷲の湯」のすぐ隣、元々はこの辺がいっちゃん温泉の中心だったんだろうな、ってトコにあった。何のこっちゃない、これまで何度か通りかかったコトがあるやん。
 前の道路はひじょうに狭く曲がりくねってるのに、奥にも甲府の市街地が広がってるせいでクルマがけっこう通る。だから危ないし、何かゴチャゴチャしてる印象だ。これがなにより温泉場としての印象を損ねてるのではないか?って気がする。現に少し離れた広い道路に面して建つ、新興勢力の宿の方が元気がある印象なんだから。
 足掛かりはメチャクチャ良い。だって甲府駅から直線距離で1kmあるかなしかなんだもん。しかし今時、鉄道使ってやって来る宿泊客なんて殆どおらんだろう。個人ならクルマ、団体ならバスだ。そうなると普通車の離合にも往生するようなこのメインストリートが最大の障害となってることは想像に難くない。
 ディスりたくてこんなことを書いてるワケではないよ。ホント、歓楽型温泉地として決して素質は悪くないんですわ、ココ。歴史も湯量もあって整備すればロケーションも悪くなく、、武田神社やら昇仙峡やら観光地が近くに色々あって、もっと名温泉地になれる可能性は十分あると思う。

 それはさておき「旅館明治」、玄関を入ると上がり框にいきなり太宰はんが立ってたりする。有名なトンビ(インバネスコート)を羽織った姿の写真を実物大に引き伸ばしたものから拵えたものだ。モノクロ写真から起こしたのにムリヤリ着色してるんで、メチャクチャ顔色悪い(笑)。それが却って不健康にして不健全だった太宰らしくて良い。
 余談だけどこのトンビ、着物の上から着るにはとても便利で、上半身が二重になってるコトもあってとても暖かい。実はおれも一着持ってたりする。昔、着物ばっかし来てた時期があって、その時に古着屋で買ったのだ・・・・・・また脱線したな。

 さらには太宰治コーナーなんてのもすぐ後ろに設けられてたりして、古い単行本やら原稿、書簡、年表の類、或いは肖像画や写真等ががチョコチョコ並べられてる。でも「富士には月見草が良く似合ふ」・・・・・・って拓本飾られてもねぇ。

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 案内された部屋は残念ながら彼が逗留した部屋ではなかった。案内してくれた係の人によると、当時は三方が窓になった随分良いロケーションだったんだけど、今は周りに高い建物が出来て眺望が効かなくなり、それであんまし使ってないらしい。それにそもそも当時の建物からはスッカリ建て替えられてて、同じあたりに部屋があるってだけなんだそうな。余談だが太宰はん、何だかんだでボンボンの苦労知らずなモンだから、贅沢にも一人で寝起きするだけなのに続きで二間借りてたという。

 座卓の上にサービスでオーガニックコットン製のマスクなんかが置かれてあるのが、依然猖獗を極める新型コロナの感染拡大を改めて思い出させてくれる。おれたちは終日他の観光客に会うこともないような、極めてマイナーなスポットばっかし回ってるから全然気にしてないんだけども、旅館の側からすると現在の状況は極めてシビアかつシリアスだろう。氏素性の知れない宿泊客に陽性者がいて伝染されたら困るし、だからってお客との接触を避けてちゃぁサービス低下だし、ぢゃぁって宿泊客取らなかったらたちまち食い扶持に窮してしまうし、ホントやりづらいと思う。
 出歩くな一本槍の対策しか打ち出せない国もバカなのではあるまいか。医者やら自称専門家な連中の景気を無視した意見を重視した結果がこのザマだ。今やどうにもならんくらい経済は停滞してる、っちゅうのに。なのにオリンピックは何としても開催するとか、ワケ分りませんわ。

 窓を開けると遠くに山並みは望まれるものの、基本は盆地のノッペリした風景の中、低い家々が櫛比するだけで、これといって特徴のない町並みが遠くまで見渡せる。この雰囲気はどこかに似てる・・・・・・あぁ、何年か前に泊まった山形の赤湯だ。やはりあそこも盆地で、あんましハッキリしない温泉街があって、そしてこんな風に住宅が立ち並んでたな。それなりに拓けた盆地に立地する温泉街って似たような風景になるのかも知れない。

 早速風呂に向かう。観光旅館としては素っ気ない長方形の浴槽が一つあるだけ、至ってシンプルな浴室で、無色透明で柔らかくて温めのこれまたあんまし特徴のない湯が溢れてる。そぉいや昔、隣の「鷲の湯」に立ち寄ったこともあったっけ。今は休業してるそうだけど、老朽化で建て替えでもするのかな?それとも近所の人さえ来なくなったってコトなんかな?中はどんなんだったっけ?・・・・・・泡沫のようにぼんやりした考えやら疑問やらは湧いてくるものの、部屋に着いてソッコーで1本空けたビールが回ってどうにも頭の中はグニャグニャだ。

 ともあれこのダウナーな至福は、あくせくしながら立ち寄り湯を繰り返す温泉の入り方ではナカナカ得られないモンだと思う。これはこれでアリな温泉の入り方なんだろうなぁ〜・・・・・・ハハハ、齢喰っておれもヤキが回ったで(笑)。

 ・・・・・・実はこれくらい書いたら、これといったネタがなくなってしまった。細かいコト言うと、部屋の壁のあちこち傷んだトコに上手く千代紙を貼り付けて意匠っぽく見せてたりが印象に残ったりもしたが、あとは食事も部屋も館内の様子も、近頃濫用されまくっていささか食傷気味な「昭和感」に満ちてるかなぁ〜、っちゅうくらいなトコだ。つまり「80年くらい前に太宰が長期逗留して作品を執筆した」ってなエピソード以外は、実は至極平凡で平均的な昔ながらの観光旅館ってコトだ。
 ウリがこれだけぢゃいつまでも持たないだろう、ってことは旅館自身が他の誰よりも知悉してるに違いない。逗留してた部屋が残ってんならまだしも、建て替えでとっくに無くなってんだし。しかし大規模に手を入れようにもとにかく前の通りは狭いわ、すぐ裏手には湯村山の急斜面が迫ってるわ、オマケに降って湧いたようなコロナ禍で将来が見通せないわで二進も三進も行かなくなってる、ってのが正直なところなのではなかろうか。

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 夕食後、下駄ばきで周囲を散策してみる・・・・・・が、下駄の音を鳴らすのが恥ずかしくなるほどに人っ子一人歩いてない。これぢゃただの夜の住宅街やんか。パブやらカラオケスナック、小料理屋も何軒かあるにはあるが、遥かコロナ以前からツブれてたんぢゃねぇの?って言いたくなるような絶賛廃業中の廃屋と化したトコが目立つ。唯一、温泉街にはいささか不釣り合いなライブハウスだけがちょっと賑やかで、中から演奏する音が聴こえていた。乱入して爆音鳴らしたくなったぞ(笑)。
 いくらなんでも寂し過ぎるやろ!?と思って逆に北の方に通りを歩いてみるが、「弘法湯」ってちょっと大きな旅館があるくらいで、やはりこれといって温泉街らしい店もなければそれらしい賑わいも風情も感じられない。ただもう民家が建ち並び、狭い道が奥に向かって続き、時折クルマが通り過ぎてくだけだ。

 温泉地としてこのままぢゃ先細りだろうってコトはやはり、温泉地の人たちが他の誰よりも知悉してるに違いない。そんな危機感からか近年、「甲府湯村温泉」から「信玄の湯・湯村温泉」に名称を統一して、ポータルサイトなんかを拵えたりもしてる。しかし当然ながら名前を変えてポータル作っただけではラディカルな改革にはならないだろうし、それどころかヘタすりゃ看板に偽りありとか言われかねない。やはり実態を変えなくちゃならないワケだが、それには強力にイニシアティヴを取って物事を推進できる人材とチーム、そして莫大な費用が掛かってしまう・・・・・・嗚呼。

 太宰治ゆかりの場所だけあって、温泉宿も温泉場自体も苦悩しまくってるなぁ〜(笑)・・・・・・そんな印象のまま甲府湯村温泉の夜は静かに更けてったのだった。

2021.10.12

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