「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
生き残るのはこんな宿・・・・・・北温泉


有名な天狗湯にて。

 前回は那須に点在する廃墟を紹介しながら、観光地として終わってる様子を中心に書いてみたんだけど、その時泊まったのは、あまりにも有名すぎて今更感のある北温泉だった。日帰りでは訪ねたことあるが泊まったコトないし、旧館部分なら安く泊まれるみたいなんで改めて行ってみることにしたのだ。そしたらまたもやGoToトラベルの割引も乗っかるという。もぉタダ同然のメチャクチャな実費負担である。金券貰っといて言うのもなんだけど二階ナントカって自民党のジジィ、ありゃホンマに国賊やで。

 北温泉は俗に「那須七湯」と呼ばれる古くからの温泉の一つである。残りは那須温泉、三斗小屋温泉、大丸温泉、弁天温泉、高雄温泉、八幡温泉となっているが、別府七湯等に較べるとこれがもぉ全然盛り上がってない。弁天温泉は前回書いた通り廃業寸前だし、八幡温泉は・・・・・・ウッヒャ〜ッ!何とあの「絶望閣」やんけ!
 「七湯」と呼ばれる歴史ある名湯群ながらほぼ壊滅状態にあるっちゅう点では、秩父七湯に近いと言えるだろう。

 さて北温泉、アクセスの悪さでは三斗小屋温泉の次くらいに悪い。いやまぁロープウェー下りて徒歩3時間の三斗小屋とは比較にならないとは申せ、駒止ノ滝にある駐車場にクルマ置いたら、谷底に向かって600mほど歩かなくちゃならないのだ。下って行くとすぐに、巨大な砂防ダムの直下、ガレた沢の少し高くなったトコに、時代から隔絶されたような佇まいの木造三階建ての一群の黒い建物が固まっているのが望まれる。これこそがポツンと一軒宿の北温泉旅館だ。あとは何もない。

 その歴史はかなり古く、江戸時代の初め頃にまで遡ると言われる。公式サイトから引用すると、元々は源泉が多く枝分かれして流れてる様子から「岐多」、あるいはそれが転じて「喜多」だったのが、明治期になって「北」になったらしい。「岐」の付く地名は例えば「桧枝岐」、あるいはおれが定宿にしたいと思う「湯岐」等、栃木から福島にかけて結構多いような気がする・・・・・・そらまぁ「壱岐」に「隠岐」、「岐阜」なんてあるけどさ(笑)。
 実際、建物の中心部分である「松の間」は安政年間に建てられたものなんだそうな。「安政の大獄」の安政やね。ホント、木造建築ってチャンと建てると丈夫で長持ちするってコトが良く分かる。ちなみにおれたちが案内されたのは「竹の間」って明治期に増築されたトコだった。

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 ぶっちゃけ再訪だし、あまりにも有名な秘湯(!?)でしょっちゅうあちこちでその古色蒼然たる佇まいは紹介されてるから、新鮮な驚きはなかった。でもやはり古いものは良いよなぁ〜、って思わせるだけの重厚な雰囲気が建物の内外に溢れている。
 薄暗い館内、低い天井と煤けた太い梁、迷路状になった廊下、行燈になった行き先案内、古い奉納品らしい扁額、そして入ってすぐ左手に見える温泉神社と如来三尊の祀られた龕・・・・・・意外だったのは若い人の宿泊が多かったことと、女将の日本語がいささかたどたどしかったことだろうか・・・・・・って、これは別に中国資本に買収されたワケではなく、主人である日本人の旦那と結婚したものの先立たれてしまって孤軍奮闘してるかららしい。跡取りはおらんのかいな?

 ともあれ部屋に荷物を置いたら何はともあれまずは風呂にGO!だ。風呂は有名な「天狗の湯」を筆頭に6ヶ所に点在しており、混浴もあれば別浴もあり、女性専用(目の湯)なんかもあったりする。まずは最奥にある宿泊者限定の家族湯。コンクリートで固められたトーチカみたいな浴室は家族湯あるあるでメッチャ狭いが、雰囲気的には如何にもな湯治場らしさが溢れる。
 その隣が打たせ湯。キャンプ場の炊事場みたいな作りで、これまた素っ気ないコンクリの目隠しの向こうに二条の湯が落ちる・・・・・・って、おれ、実はあんまし打たせ湯は好きぢゃないんだよな〜、これが。耳元でビチビチベチベチうるさいし、肩凝りに効くっちゅうけど、効くまで当たってたらどんなけ時間掛かるねん?って気もするし。意外に身体の他の部分は冷えるし。そんなんですぐに天狗の湯へ移動。

 3枚の大きな天狗の面が飾られたこの浴室こそが北温泉を象徴する場所であることは、論を待たないだろう。おれが温泉に求めるモノって詰まるところ”Natural”、”Ritual”、”Primitive”、”Sexual”、”Chaotic”の5つのキーワードに要約されるんだ、ってずいぶん昔に主張したことがあるんだけど、それは今も変わってない。そしてここにはその全てがあるような気がする。
 極めて古い湯治場のスタイルを残し、廊下の奥がそのまま浴室になったような構造。とにかく長く浸かることだけを考えて浴槽の周りには洗い場と呼べるようなスペースは殆どない。薄暗い中、大きな四角い浴槽がドーンと一つあるだけだ・・・・・・いや、そんなこたぁどぉだって良いんだ。この空間の放つ異様に濃密な土俗の香りには何物にも代え難い磁力がある。
 いやもぉココに入っちゃうと、新しく作られたと思われる河原の湯とか後の浴室なんてどうでもいいや、って気分になって来る。それくらいのインパクトとリアリティが月並みとは申せ天狗の湯には感じられる。それに大体、殆どの泊り客はヘタレなのか綺麗好きなのか何なのか、昔からの浴室はパスするもんだから、芋の子洗い状態だったし。誰もいない相の湯と泳ぎ湯ももちろん入った。こんなトコまでワザワザやって来て、河原の湯だけで満足してこれらの温泉に入らない人の気が知れんわ。

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 古色蒼然たる部屋、と言やぁ聞こえは良いが、やはり古いだけあって全体に歪みが出て来てるせいか、あちこちから隙間風が入って来るもんだからスース―して寒い。厳寒期にこの部屋あてがわれたらタマランやろなぁ〜、って気がする。もちろん全てが当時のまま残ってるワケではなく、壁も畳も襖も手が入ってる。恐らくオリジナルのままなのは柱や張り出した縁側、窓枠や手すり、ガラスの一部といったトコだろう。昔の板ガラスは圧延技術が未発達だったせいで、微妙に凹凸があって外の風景が歪むからすぐ分かる。今はこの風合いを作ろうにも逆に作れない貴重なモノらしい。見下ろすと、露天風呂の残骸らしきものが入口のすぐ横にあるのが見える。古い絵図にも現在とは異なる露天風呂みたいなのが描かれてあったし、時代と共に浴室も移り変わって来ているんだろう。
 謎だったのは、庇の腕木の下に咬まされた持ち送りに、装飾的な意匠と共に大きく梵字が刻まれてたことだ。部屋から見えたのは「タラーク」と「カーン」で、他の部屋がどうなってたのかまでは分からない。あくまでおれの勝手な想像だけど、ここは古くは天狗信仰を中核に据えた、修験の行場的性格が強かったのではないか?って気がした。つまり旅館っちゅうよりは宿坊で、そいでもって今神温泉のようにみんなで温泉入って一心不乱に天狗経だか真言陀羅尼だかを延々と唱える・・・・・・みたいな。
 何だかとても抹香臭いカンジがするのは、それは今の感覚で見るからであって、当時としてはまぁアシッドとかトランス系のレイヴパーティーみたいなモンやね。湯にのぼせそうになりながらひたすら単調なお経を唱えるんだから、かなりなナチュラル・ハイだったろう。このキャパからするに、団体での講なんかまで組織されてたのかも知れない。

 ・・・・・・バカな夢想に耽ってるうちに食事の時間になった。

 場所は「亀の間」という、古民家を移築したという川近くの大広間になる。昔の古い写真を見ると何となく今と建ち方が異なってるし、さらに奥にもう一つ大きな建物が見えるんで、かつては「鶴の間」ってのも別にあったんだろう。実際、打たせ湯と家族湯の前あたりには現在も不自然に平場が広がっている。川に近いんで、鉄砲水とかで流されて片方は再建されないまま今に至ってるのかも知れない。
 食事内容についてはあれこれ書かない。そのうちアップするギャラリーでも見ていただければ良い。要は簡素な山小屋の食事を頑張って若干観光向けにしてみました〜、って内容だったが、贅沢言っちゃいけない。ここは毎朝、クルマで納入業者が勝手口に届けてくれるようなロケーションではないのだ。便利な時代になってゴルフ場にあるような電動カートが置いてあるとはいえ、それでも毎日600mの急坂を上って、上の駐車場まで取りに行かなくちゃいけないのだから。それも何往復も。

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 翌朝、温泉神社のところにサンダルがあるので賽銭箱の裏の扉を開けて、ペタペタと急な石段を温泉神社まで登ってみた。意外に立派な拝殿が建つ。先客がいる。柄からするに二匹いる有名な看板ネコの「モモ」の方だ。昨夜は帳場附近で愛嬌を振りまいてたが、習性で朝の見回りをしてるんだろう。
 見下ろすと朝日に照らされた宿の全景が見える。黒い屋根が微妙にずれた角度で折り重なるように並んでいる。よくこんな所にこれだけ大きな建物をいくつも詰め込んだモンだ。今の建築基準法では絶対にそのままの再建は不可能に違いない。複雑に繋がった屋根の上をネコは軽い足取りで下って行った。

 今なお北温泉は、下界とは隔絶されたむしろ山小屋に近い粗末な温泉場であり続ける。単なる物見遊山以上の「何か」を予め了解していないと愉しめない場なのだ。それが分かってないバカが不潔だの汚いだのボロいだのアメニティがないだのと、己の無知と不見識を省みずディスるワケだ。しかしそんな連中の雑音に耳を貸して媚びることなくやって来たからこそ(・・・・・・ってか、やろうにもやれなかったからこそ)、この宿は生き残ってるのだと思う。第一、補修費は嵩むだろうけど、借入金の返済とか償却費なんては極めて身軽だろうしさ。顧客ニーズとやらに一喜一憂・阿諛追従・右顧左眄(・・・・・・ってクドいなおれも)した挙句、唯一無二で強烈な個性を失って、資金面で重荷を抱えたまま消えて行った温泉宿が多いことを思うと、生き残るのは結局こんな宿なんだと思った。


有名なつげのイラストを意識してみました・・・・・・ちょっとアングルは違っちゃったけど。

2021.05.06

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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