「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
それは狂王の夢なのか?・・・・・・黒谷自然公園


「しろくじゃく」のケージ。放射状に広がるラインが美しい。

 所謂「素人」のアナーキーなパワーにズーッと惹かれてる。だってさぁ〜、プロカメラマンの撮影したヌードより、アマチュアの撮る刹那的なハメ撮りの方がリアリティとインパクトありますやん(笑)。
 ・・・・・・とまぁ、いつもながらの下世話なボケはともかくとして、正統で体系的な教育なんて実のところ、自由なイマジネーションの邪魔にしかならないってコトなのかも知れない。

 しかしながら実のところ素人の面白さには、意外に低い限界も同時にあるってコトは分かってるツモリだ。それも功成り名を遂げた系の人が一体全体何に覚醒したのかは分からないけど、財力にモノ言わせてガーッとやらかした建造物系でそれは顕著なように思う。さらにそこに欲得が絡むと余計にダメになって、ゴタゴタしてるだけで底の浅いモノになったりする。そして今回ご紹介する黒谷自然公園は、いささか残念ながらそちらに属してるように思われる。
 加えて言うも野暮だがココ、現役施設ではない。廃墟である。それもかなり大規模な遊園地系廃墟であるにも拘らず、現役時代もほぼ無名、廃墟になってからもやっぱし無名っちゅうのがこれまたとても残念なポイントと言える。

 ここの存在を知ったのは実はワリと最近のコトだ。この数年、新東名の開通とかがあって急速にハマッてる中京方面にまたもや出掛けようと思い立って、訪問スポットをあれこれ調べてるうちに行き当たったのである。廃墟系には結構詳しくなってるハズなんだけど、ここについてはぶっちゃけ全く知らなかった。大体、ネット上に情報が殆ど出て来ない。現役時代の様子も全く分からない。ひょっとしたらマトモに営業することもないまま、経営者が亡くなったりして放棄されたのかも知れない。

 その最大の特徴は、何とも言えない支離滅裂さと中途半端感が一貫して感じられる(笑)、ってことだろう。結構丹念に隅々まで回ってみたんだけど、一体全体何をやりたかったのか、最後まで明確なモノは見えて来なかった。以下はその雑駁なルポと、おれなりのちょっとした考察だ。

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 本州に残る最後の全線非電化・単線でありながら「本線」を名乗る巨大なローカル線、高山本線の下麻生って駅から北西に1kmほど、急な山道を上がったところに黒谷自然公園はある。そもそものアクセスが良くないし、真面目に集客しようとしてたとは到底思えないほどに入口は分かりづらく、さらに取り付きのところから坂道は離合に窮するほど狭隘かつ激坂で、本来ターゲットにしてたはずのファミリー層なんかがホンマに来てたらハンドル握るトーチャン涙目になってたんちゃうか?と思ってしまう。今はもう、そんな公園の入口であることを示すものは何一つ残っていない。坂を少し上がったところに破壊されたチャチな鉄柵があったくらいだ。

 しばらく上がると坂の途中にまず白い建造物が現れる。何だろ?と思って見てみたら「炭焼き小屋」って看板が立ってる。何と1日に600kgの炭を焼く能力があった、な〜んて麗々しく書いてあるけど、それは生木の重さだろ?大体、生木から炭を作ると重量比で1/10くらいになるって言われる。炭で600kgっちゅうたら木は6t要るねんで。
 多分、こうした施設に付随してがちなバーベキュー場の炭そのもを自家製造にしよう、な〜んて肚ヅモリがあったのかも知れないが、そもそも炭焼きにはひじょうに時間が掛かる、ってコトをココを始めた人は知らなかったのかも知れない。粗悪な黒炭でも2日、上等な白炭だと2週間くらい掛かるのだ。

 さらにヘアピンカーブを何度か曲がり、何となく駐車場の小屋みたいなプレハブの廃墟の向かいが拓けて平らになってたので、多分これが元の駐車場だろうとクルマを停めた。何となく上の方が明るくなってるんでゴールはもうすぐなんだろうが、それにしても乱暴な道だ。狭いだけでなく、切り崩した法面がそのままなのであちこちにハンパない量の落石がある。そんな崖をくり抜いて得体の知れない赤い鬼の像が祀られてあったり、鶴の置物があったり・・・・・・クドいようだが、本来ターゲットにしてたであろうファミリー層が引き攣って固まるような仕掛けを見ながらさらに、これまでとは違って大分ユルい坂を徒歩で上がって行く。
 道はすぐ二手に分かれ、左は上、右はやや下がってる。こぉゆうトコを訪ねた時のセオリーでまずは一番上まで行くことにする。地面に倒れて(この場合は「斃れて」と書いた方が似つかわしいかも、笑)、色褪せた園内案内の看板があって、ようやくそれで概ね現役時代の姿が分かって来た。
 ザックリ言うとこの黒谷自然公園、岩山の頂上付近を概ね三層に平らに開削してあり、てっぺんが園の中心っちゅうか、遊戯施設が集まってたところ、2段目が未成物件と思われる三階建ての大きなコンクリートの建物とミニ動物園、3段目がクルマを停めた辺りの奥に広がる何らかのスペース・・・・・・多分食事とかそんなんではないかな?ってな構造だ。

 削り取られた小山の周囲を周回する直径20mほどの丸い舗装路が、ここのメインアトラクションであったと思われる「ゴーカート場」だ。ただもぉひたすら丸いだけ、グルグル回るだけの道。インディカーレースかよ(笑)。それにそもそもこの小ささでは、動力付きのマトモなゴーカートは走れんのとちゃうん?それかあらぬか、灌木が放埓に伸び放題の小屋の前には三輪車が何台か打ち棄てられてあった。しっかしこんなんでグルグル回らされたら、ほぼ児童虐待の世界やで(笑)。
 後は土産物売り場だったと想像される建物と、それに隣接して事務所兼、経営者が暮らしてたのではないかと思われる建物、さらに他にもいくつか小屋はあったが、やはり最も目に付くのは円形の巨大なケージだ。入口にはすっかり色褪せた「しろくじゃく」って看板が出てる。内部は元からのトロピカルな植物とその後侵食して来た雑草類に覆われて、ホンマのジャングルとなってた。

 続いては二層目。件の三階建てコンクリートの屋上に道からスッと行けるんで、ケッコー高低差があるコトが分かる。この建物も大概ワケが分からない。3階には唐箕や万石といった昔の農機具や機織機、真空管のTVやら何だか良く分からん工作機械等々が脈絡なく放置され、そのまま朽ちている。箪笥や応接ソファみたいなただのガラクタもある。キチンと磨き上げればそれなりに価値のありそうなグニョグニョした切り株なんかもあったな。何か民俗博物館的なコトをやろうとしてたんだろう。
 2階は何部屋かに仕切られてるが、どれもほぼガランドウ、あるいはワケの分からない資材置場、いたずらで壁に吊られたマネキンが不気味で印象に残るくらい。1階はさらに細かく小部屋に仕切られており、動物の檻になってたカンジだ。
 しかし最もワケが分からないのはこの建物の2階あたりから出てる、結構立派な吊橋だろう。踏板が呆れるほどボロボロに腐ってて、渡ると漏れなく転落サービス付きなので眺めるだけにしたが、渡った先にはさらに別の鉄の橋があったりして、何らかの施設に繋がってたと思われる。

 だんだん細かく記述するんも疲れて来たが、あとちょっとです。今しばらくのご辛抱を。

 1階は細長くて細かく仕切れらた小屋が何棟か並んでるんで、鳥や小動物を飼ってた、あるいは飼おうとしてたんだと思われる。しかし巨大なコンクリートの基礎はサッパリ分からない。この上に何らかの建物があったのか、それとも基礎が出来たところで力尽きたのか・・・・・・今はコンクリートのひびにさえシンネリと侵食して伸びた木々に覆われようとしてる。
 そいでもって3層目。本来は裏手から下る道があったようだが、今は藪に覆われてしまっており、元来た道を引き返して行ってみたが、物置みたいなプレハブが並ぶばかりで良く分からなかった。言えるのは、こんな粗末なトコでメシ食わされたりしたら、とんでもなく冷え冷えとした気分になっただろうなってコトだ。高山本線の駅にあった古い木造便所を移設したトイレ、なんてのもあった。でもそれをありがたがれと言われてもねぇ・・・・・・。

 散策は終わった。

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 ・・・・・・冒頭に書いた通り、この黒谷自然公園に関しては情報が極端に少なく、どんな人が作って、いつからいつまで存在したのか、現役時代はどんな様子だったのか、何一つ分からない。あくまでおれの勝手な想像だけど、ごく一部分だけはようやく開業に漕ぎ付けたものの、全体としてはほぼほぼ未完成のままその内放棄された、ってのが正解ではないかと睨んでる。

 通常こうした個人の拵えた施設は、たとえそこが未成物件であれ、何がしかの強烈な思い入れとかコンセプトが看取できるものだが、ここではそれが希薄である。それが何とも寒々とした印象を与える。かといってただひたすら欲に目が眩んで作ったとも思えない。こんな辺鄙で不便な山のてっぺんにお客が引きも切らず来ると本気で思ってたんならキティガイだ。そらまぁ「あわよくば」くらいのスケベ根性はあったにせよ、やはりここに何らかの理想郷を作りたかったんだろう。
 ところが、この人の精神世界には具体的に表したいテーマが何もなかったのである。多分、真面目に商売に邁進するだけの人生で、拘りの趣味なんかも持たなかったんだろう。結局幾許かあったのは、消えかけた遠い昔への懐古と郷愁だけ・・・・・・そう考えると、何となく合点が行くような気がする。

 昔はあちこちで炭焼いてたよね。
 昔はもっと山には獣も鳥もいたよね。
 昔は手作業ばっかで百姓やるのも大変だったよね。
 昔は国鉄の汽車に乗って街に出掛けてったよね。
 昔はクルマがあるだけでスゴいコトだったよね。
 昔はテレビが観れるだけで感動してたよね。
 昔は吊橋渡って行くのが怖かったよね。
 昔は、昔は、昔は・・・・・・

 黒谷自然公園の脈絡のなさは恐らく、おぼろげで儚い「昔」ってキーワードだけで繋がった古い記憶の中の雑多な事物の脈絡のなさから来てるのではなかろうか。そしてココの面白さは、そうした貧弱なイマジネーションの発露をどえらいスケールでやろうとした・・・・・・そのアンバランスさ、異様さにあるように思った。


謎の吊橋の下に残る鳥獣舎と謎の建物の基礎。

2020.10.15

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