「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
宿が消え、そして湯も消えた・・・・・・塩沢温泉「湯元山荘」


すぐ向こうを林道が通る混浴の露天風呂。湯気がすごい(ギャラリーのアウトテイクより)

対岸に見えるのが源泉槽。発達した石灰華がグロテスク(同上)。

 それなりに施設がチャンと付随した日本の温泉・鉱泉の数のピークっていつだったんだろう?ってたまに思うことがある。

 件数的に言えば、ボーリングで千m以上の深さから源泉をブチ抜いたようなクアハウス・スーパー銭湯がこの数十年で全国的に相当増えてるんで、実はそんなに減少してないような気もする。
 ただ、しょっちゅう嘆いてるように「一村一湯」のように日本各地のいろんな隅っこで昔から細々とやってたようなトコは間違いなく減少している、ってのもあるワケで、何だかんだで総合勘案すると昭和40年代初頭くらいがピークだったなのかなぁ〜?って漠然と考えてる。

 例えば先日、ちょっと気になって今は亡き十王坂鉱泉について調べてたら、「茨城の鉱泉めぐり」(中村はな,週刊てんおん編集部,1969)という本に行き当たった。表紙の写真だけで感涙モノの本で是非とも読んでみたいと思ったものの、今は稀覯本の仲間入りしちゃってて、タマに古書で出回ってもベラボウな値付けになっており、とても気軽に手が出せない。
 仕方なくさらに深掘りしてたら、「茨城県の温泉今昔」(甘露寺・飛田・堀川、日本温泉科学会、2012、註1)って論文に行き当たり、ようやく「茨城の鉱泉めぐり」で取り上げられた鉱泉群・全124ヶ所の全容が判明した次第である(未訪のまま終わったのもあって、全部で150くらい実際はあったみたいだ)。名前見ていやもぉゾッとした。殆ど喪われた鉱泉だらけ、っちゅうても過言ではないくらいに無くなっちゃってるんですわ。茨城県だけでこの惨状なんだから、全国となるとホントもぉ分からない・・・・・・ってそれはともかく、これらの踏破に8年を要し、書籍の刊行が昭和44年、あくまで推測だけどこんな本を出すってコトは間違いなく喪われ行くものの記録って意味もあったろうから、やはり昭和40年代初頭くらいが分水嶺だったような気がする。

 一方でこの時代は一種の発展期でもあった。というのも、戦後復興から高度成長期に移る中、全国的なレジャーブームを背景に温泉開発が盛んになり、今のクアハウス・スーパー銭湯なんかよりは随分小規模とは申せ、あちこちでボーリングが行われ、雨後の筍のように新興温泉が現れた時期でもあったからだ。要は昔ながらの零細なのは淘汰されつつ、新興勢力が拡大してたワケである。

 こんなんに統計あるのかどうか知らないし、恐らくほぼ無名のままヒッソリと消えてった特に冷鉱泉には、そもそもチャンと情報化されてなかったんもあるだろうし、ボーリングで掘り当てはしたものの温泉場にならなかったトコもあるだろうし、だから正確なピークは何とも掴みようがない。

 さて、今回ご紹介する塩沢温泉は乗鞍岳の南西麓あたりにある温泉である。大層な前フリしちゃったものの、恐らくここは古くからの温泉場ではなく、後に挙げた方、すなわち高度成長期のレジャーブームの時に掘削で生まれた温泉ではないかと思ってる。
 また実は今も源泉からちょっと離れたところに「七峰荘」って引き湯してる宿があるんで、温泉地としては消滅してない。しかし、ここが有名だったのは、最も源泉近くにあった宿が廃業した後も地元有志の手によって維持される露天風呂の存在が大きかった。

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 素晴らしく晴れ上がった朝、前日の濁河温泉近くの日和田高原ロッジキャンプ場を発ち、国道を北に御岳山を下って行くと「あゝ野麦峠」で有名な野麦街道に合流する。高山から松本に抜ける旧い街道で、明治の富国強兵政策で生糸生産が盛んになって、飛騨から信州に向けて多数の女工さんが越えて行ったルートだ。余談だが、何か「女工哀史」とかゆうて十把一絡げで悲惨だ悲惨だと刷り込まれるコトが多いけど、全部がそうってワケではなかった。実は待遇が劣悪になったのは時代が下がって、しょうもない中途半端な新興資本がこの生糸生産に参入するようになって、それで無茶するトコが出て来たのだ。
 それはともかく高山市内方向に曲がってすぐ、高根って集落から再び外れて山に分け入ってさらに細い林道を下った谷川の対岸に塩沢温泉・湯元山荘はあった。おれたちが行った時点で既に宿は廃業しており、上述の通り露天風呂だけとなっている。気前の良いことに何と無料。

 それにしても絵に描いたような山峡の温泉宿って雰囲気だ。きつくカーブした谷川を渡る森林鉄道のティンバートレッスル風の木橋、その土台は大きな木の生えた巨岩で、橋を渡った袂に「湯元山荘」なる平屋で羽目板張りの、実際はそんなに古くないのにどことなく古い木造駅舎を思わせる建物が悄然と残る。周囲には他に施設もなく、森が広がるばかりだ。
 もちろん廃業してるので玄関の扉は閉ざされているが、全体としてそれほど荒廃した雰囲気はない。ただ冷静に眺めると、旅館というにはあまりに建物が小さく、ひょっとしたら営業してた当時から日帰り専門だったのか、あるいは素泊まりオンリーで座敷に雑魚寝とかだったのかな?って気がした。
 肝心の露天風呂は、建物から数m下った川べり近くに、混浴で10人は軽く入れる丸いのがある。屋根も何もなく湯船だけっちゅうのが何とも素朴で良い。湯は対岸のクルマを停めた辺りにポンプ小屋があって、そこから川を越えて黒いゴムホースで送られており、耳を澄ますとドムドムドムドムと低くポンプの音が響いている。

 泉質は何だか良く分からない。とにかく石灰分と鉄分を大量に含んで光の加減で緑色にも褐色にも見える、低温泉や鉱泉、また掘削泉によく見るタイプ。恐らくは炭酸鉄泉系ではなかろうか。すぐにヌルヌルになって掃除がかなり面倒だったりする泉質であるのは間違いない。対岸の貯湯槽からオーバーフローした湯、また湯船の溢れた湯から析出して盛り上がった成分にさらに苔が生えたりして、黄褐色と深緑のマダラになった何とも言えないゴテゴテ・デロデロしたグロテスクな石灰華を作っている。

 湯からも大量に炭酸ガスが出てるようで、それに反応する虻やらブヨが、まだ気温はそれほど上がってないにもかかわらず既にワンワン飛び回ってる。夏の露天風呂の必需品のハエ叩きを振り回しながら入浴。入ってしまえばそれほど咬まれることもないけれど、ヤツ等は本当に油断も隙も無く、こちらの目の届かない場所を狙ってたかって来るんで厄介だ。
 湯はかなり温めで、今の季節ならいつまでものぼせることなくユックリ入れそうだけど、秋冬は加熱しないとやや厳しいのではないかって思った。

 それにしても滅多にクルマなんて通らないとはいえ、狭い谷川を挟んで5mほどの対岸が林道なので、もぉ丸見えっちゃ丸見え。屋外に脱衣場があるワケでもなく、ほぼ野湯に近い。このワイルドさはナカナカ心地良い。現役当時からこんなんだったとしたら、拵えた人はナカナカに渋くてマニアックなセンスの持ち主だったと言えるだろう。
 しかし、逆に言えば、そりゃこれぢゃぁ採算ベースに乗りにくくてツブれもするわな〜、とも思ったのが忌憚のないところだ。ここまでオープンな造りはいささか敷居が高いっちゅうか、やっぱ客選んぢゃうモンなぁ〜。

 そうして考えると、ココはチャンとした施設として長続きするには初めからムリがあったワケだ。

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 宿の廃業は1998年、露天風呂の閉鎖は2015年だったという。「廃墟の湯」などといささかありがたくないネーミングまでされつつも、貴重な村の観光資源としてそこそこ役に立っていたみたいだが、ポンプが故障してどうにも立ち行かなくなって、そのまま閉鎖されたらしい。さらにはイヤな話だけど、露天風呂に付き物のワニのトラブルなんかも閉鎖を後押ししたみたいだ。
 析出物の多い温泉の場合、俗に「金気が詰まる」などと言ってボーリングした孔が自身の析出物で段々塞がって行ったりして、そうなるともう一回掘り直しなんてこともあると聞く。タトゥーの彫り直しみたいだな(笑)。もちろんポンプ内部が析出物で詰まる可能性だって単純泉なんかと比べればはるかに高い。どんなコストにもイニシャルとランニングがある。自然湧出とは異なり、掘削泉で泉質が濃いと掘る費用だけでなく、長く維持するのにもそれなりどころかかなりのコストが掛かるのだ。そんなん有志だけで負担するには到底無理な金額だろう。

 廃墟になってた建屋もそのまた3年後くらいにいよいよ老朽化が進んだか、解体されて更地となり、今では藻の生えたただの汚い水溜りになった露天風呂跡が無残な姿をさらしてるだけとのコトだ。とても素晴らしいロケーションだっただけに残念でならない。おれが億万長者なら、スポンサーになってもっかいボーリングしてあげるんだけどな。


註1: http://www.j-hss.org/journal/back_number/vol58_pdf/vol58no4_261_272.pdf
註2: 余談になるが、今から数十年前に、自転車で野麦街道を高山から松本に抜けている。その途中、熱出してしまって仕方なくこの辺の温泉民宿に泊まったんだけど、それがこの塩沢温泉だったかどうかがどうしても想い出せない。写真も残っておらず、あくまで参考の話として書き添えておくことにする。


この当時、ハエ叩きは必需品でしたな(同上)

廃業してからもそれなりに手入れがなされてた湯元山荘をバックに(同上)

2020.09.08

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