「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
いい宿・・・・・・赤倉温泉「三之亟」


川から見た旅館全景。増築を重ねてることが良く分かる(ギャラリーのアウトテイクより)

巨大な混浴の浴室全景。洗い場は手前に僅かにあるだけなのが如何にも湯治場らしい(同上)。

 トヨタの今の章男社長が就任した時に、「もっといいクルマづくり」ってのを経営ヴィジョンだか何だかに掲げていたのをふと想い出した。ぶっちゃけ最初クルマ関係のニュースか何かで知って、「何ぢゃいそれ!?」って思ったんだけど、平明な文言で従業員に深く考えさせる、っちゅう点でナカナカどぉして、練りに練られた上でのコトバなのではあるまいか?って気がして来る。
 畢竟それは「いい」って何なのか?「いい」を生み出すにはどうすりゃエエのか?を考えろってコトに尽きるんだろう。殆ど「美とは何ぞや?」な美学の追及に近い所があって、恐らく一意の正解はない。人の好さそうなカオして、そこはやはり純利益一兆円企業の総帥だけあって一筋縄では行かない。結構したたかでズルいスローガンでもある。変化し続けること自体が求められること、ってな判じ物めいたオチがまぁ着地点だろうか。

 「いい」って誰しもあまり深く考えずに使ってる。まぁおれだってパカパカ使ってんだから、あまりエラそうに書く資格はないんだけど、今日はそんな「いい」宿ってコトに考えが及ぶと、ナゼかいつも想い出してしまう赤倉温泉「三之亟」について書いてみたい。ホント、いい宿だったんですよ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 赤倉温泉と名の付く温泉地は新潟・妙高にもあり、むしろこっちの方が有名だったりするんだろうが、今回ご紹介するのは山形県の赤倉温泉の方だ。陸羽東線沿いに東の鳴子から始まって中山平・瀬見と素晴らしい温泉地が並び「温泉街道」と称される一角にあり、駅から2kmほど下ったところに10軒ほどの旅館が集まって小さな温泉場を形成している。
 訪ねたのはもう15年ほども前のことになってしまった。東日本大震災、また結果的にはその前震活動の一つであった内陸型の岩手・宮城内陸地震が起こる前、まだ長閑だった頃だ。カンカン照りの夏の暑い日で、日差しの照り付ける昼前の温泉街はヒッソリと静まり返っている。

 その入り口付近、小国川に面して増築を重ねた建物が並ぶひじょうに古めかしい印象の宿が「三之亟」である。別に大きな看板が出てるワケではない。むしろ控え目なくらいなのがまずいい。好感が持てる。実はココ、提灯宿に加入してたりもするんだけど、そぉいやぁあの悪趣味な「日本秘湯を守る会」の巨大提灯を見た記憶がない。いやホンマおれ、あれが嫌いなんっすよ。
 とかく貧乏宿・安宿を取り上げることが多いおれだけど、誤解のないように申し上げとくと、ここは赤倉温泉第一の老舗旅館にして規模的にも一番大きい。ウソかマコトかその創業は平安時代くらいまで遡ると言われ、ヨユーで千年超えている。事実であるとするならば、山梨の西山温泉・慶雲館なんかにも匹敵する日本有数の古い歴史を誇る宿ってコトになる。

 そんな歴史を物語るかのように重厚な雰囲気をそこここに残した宿の内部の佇まいがこれまたいい。永年に亘って磨き込まれて黒光りする木の柱、どこまでも延びる赤い絨毯、やや低い天井、折れ曲がり上がったり下がったりな廊下、様々な手の込んだ意匠、そして何よりも空気感・・・・・・それらは長い時間を掛けて重層的に醸成されるモノであって、決して一朝一夕にできるモノではない。ましてや怪しげな温泉コンサルタントとかが高い金ボッタクリつつ、結局は金太郎飴で薄っぺらなアイデアしか並べられない宿作り企画なんかとは根本的に異なる。
 そらまぁ池之坊満月城やホテル大東館の火災事故を例に挙げるまでもなく、増築を重ねた古い木造建築の迷路状に繋がる構造は防火上の観点からだと、イザっちゅう時に逃げ遅れたり、消火活動がやりにくかったりとひじょうに好ましくないんだろうが、「らしさ」の点ではやはり一番だと思う。

 宿泊客も発って静まり返ったそんな風情溢れる館内を浴場に向かう。ところどころに貼り出されたマジックによる手書きの浴室案内図がこれまたいい味出してたりする。老舗なのに一部の隙もない張り詰めた緊張感ばかりでなく、謂わば「ユルさ」みたいなのが敷居の低さっちゅうか、ホッとさせてくれる。こんなのも詰まらない計算づくでは絶対に出来ないことだろう。

 最高に「いい」のが浴室であるのは言うまでもなかろう。いくつか点在する浴室の中で最も古い、「岩風呂」と呼ばれる半地下になったちょっとした体育館ほどもあるだだっ広くて天井の高い混浴の内湯は、一段高く洞窟状になった高湯に中湯・深湯という3つの浴槽からなり、奥から手前に向かって温くなっている。
 「昔之湯」と刻まれた扁額の掛かる暖炉状のスペースや、良く分からない樋の引かれた洞窟なんかもあって、かつてはそれらからも源泉が出ていたのかも知れない。浴槽の水面の高さは恐らく外の川と同じだろう。要は元々は川っぺりに自噴する温泉がそのまま浴槽になり、囲われて湯屋になり、宿になって今に至ってるワケだ。
 源泉は湯船の底の岩の割れ目からも湧出している。泉質は無色透明無味無臭の至ってクセのない清澄な湯で、かなりの高温。浴槽と浴槽の間の湯壺みたいなところでは翌日の朝食にでも使うのだろうか、籠に大量の玉子が入れられて温泉玉子作成中だった。
 外は真夏日で、中にしたって湯が湧いてるにも拘らず、森閑とした浴室内には不思議と涼しげといって良いほどの雰囲気が漂う。もちろんそれは重厚で古色蒼然とした内部の造作による落ち着いた空気感がもたらすものなんだろう。
 如何にも古い湯治場らしく室内の殆どを浴槽が占めており、洗い場は殆どない。カランも申し訳程度に3つほど備わるだけだ。分かってないヤツは文句タレるだろうが、それが本来的な湯治場ってモンなのだ。いささか大袈裟に過ぎるかもしれないが、こうした温泉に入浴するという行為は、文化と歴史を体験して学ぶ、ってコトに他ならない。それが分からなかったりイヤっちゅうんなら近所のスーパー銭湯に入ってろ、ってこってすよ。

 風呂から上がり、失礼なコトとは自覚しつつも好奇心からちょっとだけ館内を歩いてみた。ところどころ、部屋の襖が開け放たれてる。フツーに畳があって、座卓があって、床の間や違い棚があって・・・・・・要は何一つトリッキーな要素のないフツーにただの和室なんだけど、簡素でありながら決して粗末ではなく、手入れを怠らずこざっぱりとした印象で、ムダに華美に流れていないのがいい。

 軒の深い玄関脇の囲炉裏の間で涼みながら、素直に「いい宿だなぁ〜」って思った。これ見よがしで押し付けがましく、奇を衒ったような演出めいたものはどこにもない。風呂はまぁかなり巨大で目を惹いたものの、そんなコテコテしい演出があるワケでもなく、昔ながらの風情を昔のままに大切に残してるだけのことである。
 しかしそれにはコストも掛かればひどく骨の折れることでもあり、伝統やら歴史を標榜しながら実践できている宿って案外少ないっちゅうのが世の実態だ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・このように三之亟自体は断じて貧乏宿ではなかったけれど、当時の我が家は間違いなく貧乏だった(笑)。

 もちろん貧乏にだってキッチリ松竹梅のランクっちゅうモンがあって、そりゃぁ日々の食事にも事欠くような松レベルの貧乏からすると、それでも何とか普段の生活を倹約してテント泊で家族旅行に出掛けられてたくらいだから梅レベルくらいではあったんだろうが、とても一泊二食で泊まれるほどのヨユーはなかった。なもんで残念ながらここには小一時間ほど立ち寄っただけで、食事や他のもてなし等については分からないし、書きようもない。でも多分きっとそれらもいいんだろうな、って気分にさせてくれる。

 本当にいい宿って多分そぉゆうモンなんだろう。

  
浴室内部の意様子(同上)

2020.04.26

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved