「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
文豪の宿・・・・・・角間温泉・越後屋旅館


歴史を感じさせる越後屋全景(ギャラリーのアウトテイクより)。

繊細な障子の格子が印象的。ちょっと畏まって撮ってみました(同上)。

 若い頃から貧乏旅行ばっかしで、文化人や有名人が逗留したような瀟洒で上品な高級旅館にはあんまし縁がない。唯一絡むのがつげ義春ってなチョーシだから、そらないわな〜(笑)。

 ・・・・・・って実は、そもそも高級旅館ってモンにさほど興味が湧かないのだ。いやいや、貧乏人の負け惜しみとかではなく、マジで興味湧かないんっす。だって快適さとかって、行き着く先はどれもこれも一緒のワンパターンな気がするんですよ。仏教の十道図を見ればお分かりだろうけど、あんなにも地獄のイメージはイマジネーション炸裂で多種多彩なのに、対する極楽のイメージは何とも凡庸で、眠気を催すほどに退屈で詰まらないぢゃないですか。それとどこか似てる気がしません?

 さてさて、そんな数少ない経験の中で、信州・角間温泉の越後屋旅館はとても強く印象に残る宿だった。ここは「宮本武蔵」や「新・平家物語」で知られる小説家、吉川英治が30幾つになって筆一本で身を立てようと決心して、長期逗留して作品を書きまくった宿なのである。
 ・・・・・・え!?あ!?そう、つまりまだ売れる前っちゅうワケやね(笑)。まだ文豪になってまへんがな。だからお世辞にも高級とは呼べない安宿である。 ただ、世に出るキッカケとなった想い出の場所ってコトで、売れっ子になってからもとても贔屓にしており、しばしば泊まりに来てたらしい。でもまぁ他にも横山大観、武田泰淳、壺井栄、若杉慧等が泊まったコトがあるっちゅうから、やはり文人・文化人に愛された宿なのは間違いなかろう。そぉいやぁ武田泰淳は部屋に色紙があったっけ。

 吉川英治は今ではもう大分忘れられかけた存在なんだけど、戦前から昭和30年代に掛けて一世を風靡した「超」の付くベストセラー作家だった。カテゴリーとしては、今風に言えば「エンタメ系時代小説」みたいな感じだろうか。思えば昭和40年代前半くらいまでの大河ドラマの原作なんて、大体彼か山本周五郎あたりからだったんぢゃないかな?

 ・・・・・・ともあれ前フリと全然ちゃうかったね。ゴメンなさい。ココ、全然高級ちゃいまんねん。でも溢れる風情とは裏腹に今でもとてもお安い値段で泊まれる素晴らしい旅館なんっすよ。

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 渋・湯田中温泉郷は10ヶ所の点在する温泉場の総称であるが、角間温泉はこの辺では一番拓けた渋温泉街の川の対岸の高台にあって、素晴らしく鄙びた湯治場の雰囲気を残す。お寺みたいな「大湯」という共同浴場を中心に数軒の旅館が固まるだけで、一切歓楽の雰囲気のない、今時珍しいほどにひっそりと落ち着いた温泉場だ。
 実は左岸の湯田中や渋はこれまで何度も訪ねてるんだけど、こっち岸の温泉場には数回しか来たことがない。角間に至っては初めてだ。もちろん知らなかったワケではない。まぁ、さほど深い理由はないが、渋・湯田中も何ヶ所か行ったし、多分どこも似たような佇まいだろうし、それよっかもっと他のトコ行きたいな〜、ってなカンジで何となくそのままになってたのだ。
 ダラダラと坂を上がってって、その時代離れしたシブい情景が開けた時、おれはこれまでここを放たくってた自身の不明を羞じた。

 明治初年の建築という、妻面をこちらに向けた独特の造りの建物はひじょうに繊細かつ重厚。裾板部分までガラス張りになった二階部分が一階よりも迫り出してるのは、古い湯治場の建物でたまに見掛ける作りだ。明治の頃は1階だと土埃も舞えば、冬場は雪でドロドロになったりするから、湯上りに涼みながら外を眺めることができるスペースを狭い敷地で確保しようとした結果ではないかと思う。

 内部もほぼ創建当初のままであまり手を入れずに保たれてるんだろう。玄関からもぉバッキバキのシブさ。建物は奥に向かってウナギの寝床状に細長く延びており、案内されたのは一番奥の少し離れになった二階の部屋だった。どうやらこの奥の方の部分は大正時代に増築された、いわば「新館」に当たるようだ。今では全部古いが。
 残念ながら部屋の入口と控えの間はいささか不似合いなクロス張りで改装されてしまってるが、室内は建てられた時のままに細かい桟が印象的な障子や明かり取りが並ぶ激シブ仕様。こんな素晴らしい部屋に泊まれて一泊二食8千円っちゅうのは余りにも破格だろう。ちなみにさっき下から見えた玄関上あたりの部屋が最も古いみたいだが、その分老朽化も激しいらしく、今はあまり使ってないみたいだ。おれたちゃむしろそっちで良かったんだけどな〜。

 早速風呂に入らせてもらうことにする。男女別ではなくそれぞれ趣向を凝らした「ローマ風呂」・「大浴場」・「檜風呂」の3つが直列に並んでおり、元々は混浴だったんだろうが、今は適当に貸切にして譲り合いで入るようになってる。
 まずは「ローマ風呂」。脱衣場と浴室の間に仕切り壁がなく、脱いだらすぐ目の前が浴槽なのは、この辺の共同浴場にも共通するスタイルだろう。何がローマなのか良く分からないが、まぁ恐らくは控え目な円柱や石像が「ローマ」っちゅうこっちゃね。
 ここが何より変わってるのは細かなタイル張りの浴槽で、ソファーっちゅうかスポーツカーのシートっちゅうか、深く低く腰掛けて足を前に投げ出して寝そべって入るようになってる。最近のスーパー銭湯の「寝湯」に近いと言えばお分かりいただけるだろうか。広さはそれほどでもない。2人並べばもう一杯いっぱいなので、何だかカウチソファを湯の中に沈めたようなカンジだ。ん!?これこそがローマなのか?ロマンスシートちゃうんか?

 続いては大浴場・・・・・・はぁ?じぇんじぇん「大」ちゃうやんか(笑)。そらまぁ、ローマ風呂よりはデカいけどさ、どうだろ?湯舟は詰めたら7〜8人が入れるくらいだが、洗い場はかなり狭い。知らんバカはこの狭さにクレーム付けるかもしれないが、この狭い洗い場もまた湯治場としての旅館の歴史を物語る。昔の旅館の内湯には洗い場なんて殆どなかったのだ。
 ローマ風呂と同じく「文明開化当時の西欧趣味」とでも言えば良いのだろうか、分からないなりに想像を逞しゅうして一生懸命拵えた「異国情緒」みたいなのが全体的に感じられる。明治になってまだ何年も経ってない時代の、それも東京から遠く離れた信州の片田舎の温泉場でここまで拵えた情熱がスゴい。とりわけ特筆すべきは、一部とは申せ創建時のものが残るタイルだろう。経年劣化でかなり釉が落ちてかすれて来てるが、今ではまず入手不可能な手の込んだ意匠のタイルが、これだけ随所に残ってるのはたしかにとても貴重と言える。

 これら2つの特異なレトロモダニズムに比べると、檜風呂はかなりフツーと言えるだろう。檜の湯舟と洗い場はオーソドックスでどこでも見かけるタイプであり、どうしてここだけが違うのか良く分からない。ひょっとしたらここだけ建て替えたのかも知れない。

 他にも館内は随所に、ある意味魔訶不思議な演出が見られる。三和土の階段や廊下に丸く埋め込まれた木の意匠とか、廊下の半円形の明かり取りの窓とか、上がり框の細かいタイルの細工とか、どれも「見たことないけど多分西洋って概ねこんなんカンジちゃいますか?」的な独創的なセンスが見てて飽きない。和洋折衷でモッチャリしながら自由闊達、とでも言おうか。

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 夕食もこれまたナカナカにシブい内容だった。奇を衒わないオーソドックスな組み立てで決して目を奪うような派手さはないけれど、信州らしい、また季節を感じさせる食材が要所々々にあしらわれており、かなりボリューミーで美味い。くどいようだがこれで1泊2食8,000円。過当競争の結果、どこに泊まってもクオリティに対して相場が安めなのが渋・湯田中温泉郷とは申せ、いくらなんでも良心的すぎるんとちゃいまっか?って言いたくなってくる。

 女将さんは、建屋が古くなってることをちょっと申し訳なさそうにしてたけど、どうもこの辺の感覚のズレ、っちゅうか思い込みが今の日本の古くからの観光地に共通してある問題なんぢゃなかろうか?温泉場に来てまでデザイナーズマンションとかシティホテルみたいなんに泊まりたいとは誰も思わんだろうし、よしんば居ったとしてもそぉゆう場違いなアホはそもそも来なけりゃ良いのだ。
 最たる例が金髪の女将・ジニーさんで有名だった銀山温泉・「藤屋」の例だろう。経営コンサルタントの無責任な口車にでも乗せられたのか、止しときゃぁいいのに、よりによって借物ジャパネスクが作風のウリな隈研吾に頼んで、彼の特徴である「得体の知れないムリヤリ理感溢れまくりのモダン和テイスト」(笑)な作りに建て替えてしまった。もちろん理由はそれだけではなかろうが(一気に1泊2食3万円以上の高ビーな商売に切り替えたりもした)、結果、商売は低迷し、古い銀山温泉の町並みを心から愛してたジニーさん、その景観壊したんが何とまぁ自分の旦那っちゅうんで愛想尽かして国に帰るわ、旅館は倒産するわでどうにもならなくなってしまったのだ。

 越後屋旅館、また角間温泉に同じ轍は絶対に踏んで欲しくない。料理はウデの良い料理人雇えばいくらでも良くできるだろう。日本らしいおもてなし、っちゅうたかて実はその手のセミナーやスクールはワンサカあって、これも実は付け焼刃でどうにでもなる・・・・・・まぁどうせレクチャーされるのは座布団の上に折り鶴置いとくとか、苔の生えたようなしょうもないネタが多いんだろうが(笑)。
 しかしながら、佇まいを維持するコト、これは本当にむつかしいし、コストだってかる。大体、「佇まい」なんちゅう極めて抽象的で曖昧模糊としたものを、シッカリと看取し、自分の中で消化し、具体化するにはそれなりの資質だって求められるだろう。

 ・・・・・・な〜んて、しゃっちょこばった演説になり始めたらそろそろ仕舞い時ですわ。ともあれこの角間温泉・越後屋旅館、自分の中での「定宿にしたい温泉宿ベスト10」に入ってることだけは間違いない。断言できる。本当に素晴らしい宿だ。


今はもう手に入らなさそうな凝った意匠の古いタイル張りの浴室(同上)。

2019.11.02

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