「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
天科温泉・旅館こやすの記憶


混浴の内湯はやはりシブい(ギャラリーのアウトテイクより)。

入口から見たところ。グラッシーで明るい雰囲気の浴室(同上)

 山梨の笛吹川沿いには、清澄な湯の湧く温泉が点在している。大きくて有名なところではやはり、かなり市内に近いトコにある笛吹川温泉・「坐忘」とか、谷に下ったトコにあるウソかマコトか信玄ゆかりの露天風呂がウリの川浦温泉・「山県館」、三富温泉・「白龍閣」あたりが挙げられるだろう。

 しかし、おれの中であの界隈での一番は、川浦温泉のちょっと上流にあった小さな一軒宿、天科温泉・「旅館こやす」だった。「だった」と過去形で記さにゃならんのが悔しいけれど、もう廃業して10年くらいになる。いつかはチャンと泊まってみたいと思わされる素晴らしい佇まいの旅館だったが、その願いは叶わぬままになってしまったのが本当に惜しい。廃業の理由については知らないが、多分まぁ、お決まりの経営者の高齢化や後継者難、交通事情の改善による日帰り客へのシフト、あるいはコストを無視した行政からの杓子定規な耐震補強や浴室構造への手直しの要求ってトコではないかと思う。

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 塩山市街から国道140号、通称「雁坂みち」をダラダラと上がって行く。このルートは100番台国道としてはかつて結構な難所で、平成10年(1998年)に秩父と長大なトンネルで繋がるまでは、クルマは峠の手前で行き止まりとなっていた。
 そっから先は国道とは名ばかりの登山客しか通れないような山道が続く、所謂「酷道」だったのである。そぉいやぁ30年ほど前に単車のソロで川浦温泉に入った時も甲府市内からピストンで往復して、夜は市内のカプセルホテルに泊まった記憶がある。道ももっと今より狭かった。
 つまり天科温泉は、かつては山に向かう道のどん詰まり・・・・・・とまでは言わないものの、それなりに山峡の秘湯だったワケだ。それがトンネルが繋がったことで路傍の温泉となってしまった残念な例と言えるだろう。便利になるコトで喪われるものはやはりある。

 ちなみに「こやす旅館」ではなく「旅館こやす」が正しい。「こやす」の由来は、旅館の前に大きなお堂に祀られた子安地蔵があって、そっから取られてるみたいだ。

 重厚な黒瓦の屋根が印象的な建物の玄関には、大きな原木を輪切りにした板に太い字で「こやす」と書かれた看板が懸かる。脇の「歓迎***御一行様」と縦書きになった黒板も大きく、10組くらいは書けるようになっていて、コンスタントにそれなりの数の宿泊客がいるのではないかと思われるが、今は昼下がり、宿の中は静まり返っていた。
 上がると、太い梁が歴史を感じさせる。結構な広さでいくつものガラスケースにお土産品が並べられてたりして、かなり賑わってる印象。特筆すべきはこうした一軒宿の旅館で往々にしてありがちな手入れの行き届いてない荒れた感じがどこにもなく、隅々まで古いなりにキチンと掃き清められてることだろう。これはやはり大切なコトだと思う。

 一人500円払い、案内された浴室に入って目を見張った。脱衣場は男女別に分かれてるものの、内部は混浴という古い形式を残すタイル張りの浴室は、川に向かってU字型に窓が5面も並ぶ一種の展望風呂になっており、ひじょうに明るい雰囲気。良い意味で裏切られた気分。
 湯船はあまり他に例のないダルマ型・・・・・・っちゅうか、手塚治虫のマンガに出て来る「ヒョウタンツギ」みたいな形をしている。頭の部分に湯の注ぎ口があって熱目の湯、胴の部分がぬる目の湯ってな寸法だ。詰めて入れば頭に5〜6人、胴の方に12〜3人は入れそうな感じ。旅館自体の規模からするとかなり広い。実際にはそれほど深くはないのだけれど、湯船部分のみタイルが鮮やかなマリンブルーで、何となく深そうに見える。
 洗い場含めタイルの剥がれもなく、意匠も今風な感じだけど、全体の構造はちょっと古めかしい感じなトコからすると、内装だけは近年新しくされたのかも知れない。

 湯は弱加熱だから(・・・・・・どうやらこの界隈は標高が上がるほど、湯の出る層が深くなってくみたいで、泉温が低くなってくような気がする)油代も掛かるだろうに、保温マットがギッシリ浮かべられることもなく、何だか全体的にとても大らかな印象。泉質は冒頭に書いた通りで、この近辺に共通する無色透明・無味無臭、弱アルカリ性でクセのないもの。やや低目の泉温もあって、いつまでも飽きずにボーッと入ってられそうな柔らかな湯だ。そしてここもまたやはり、手入れが行き届いていた。
 後はおそらく元家族湯だったと思われる小さな浴室が女性専用で別にちょっと離れてあるだけ。露天風呂があるワケでもなければ、ジェットだなんだと仕掛けがあるワケでもない。ただもう大きな浴槽が真ん中にデーンとあるだけの、グラッシーな午後の浴室は、湯の注がれる音だけが静かに響いてるだけ・・・・・・だから良いのだ。

 毎度のことで申し訳ないけど、一生懸命叙述しても、これで大体「旅館こやす」について書けることは終わりだ。その滋味深くもシブい、そして矜持の感じられる佇まいを全然伝えきれないのは本当に申し訳ない。もうないのだから、「行ったら分かります」とも書けないし。

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 甲府盆地周辺でも、おれが愛して止まないようなこうした小さな温泉・鉱泉宿はこの30年くらいの間でも随分と数を減らして来ているし、そのペースは段々と加速しているように見える。代わりにどうでも良いようなスーパー銭湯みたいなんばかりが増えた。

 元々、どこも零細な家族経営で資本力もないため経済基盤が弱く、組織の点でも県や市区町村はおろか、せいぜいその温泉地の組合程度の繋がりしかないため発言力もないという、モロに中小企業の群れなのが旅館業界であり、この衰退は経済原則からすれば、不可避の自然淘汰と言えるのかも知れない。

 しかし、その土地土地の歴史や習俗と表裏一体になって連綿と続いて来た、それぞれが独自の個性を持った業界であることもまた事実だろう。よろず屋がどこもかしこもコンビニに取って代わられるのとは違うのだ。安易に「文化」というコトバを持ち出したくはないけれど、こうした一軒宿の小さな温泉場の佇まいが、現在国を挙げて世界に喧伝する「ジャパネスク」の一部をなしてることは、控え目に言っても間違いないと思う。

 この数年、訪日客は増加の一途を辿っており、昨年はついに3千万人を突破したという。そらまぁ大半は往年の農協の団体旅行客みたいなゲハゲハうるさいだけのどぉにもならん連中だけど、一方で本当に日本の風景や事物、歴史、風俗に興味を持って来てくれてる層だって着実に増えてるのは確かだ。彼らのマニアックさは我々日本人よりよほどディープだし、よく勉強してたりもする。

 そんな中で、こうした小さな温泉・鉱泉宿が減り続けてるのは、チャンスロスなだけではなく、彼らの求める日本の魅力をスポイルしてるようにも思えるのだが、どうだろうか?・・・・・・まぁ、チンポ握られながら記念写真撮ってて言うことでもなかろうが(笑)。


モッチャリしつつ手入れが行き届いたロビーの様子(同上)。

2019.10.17

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