「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
嗚咽の海


造成地みたいな釣石神社境内。仮設の鳥居と幟が侘しい。ここもすべて津波で流された。

 3.11から8年半が過ぎ、東北の太平洋岸を目指してみることにした。以前も書いたと思うが、実は昔、吉村昭の実録小説である「三陸海岸大津波」を読んで以来、おらぁどぉにも彼の地が怖くて怖くて、それに温泉どころか鉱泉にさえ乏しいっちゅうコトもあって、未訪のままとなってたのである。旅の途上で津波に流されたりしたらタマランですもん、やっぱし。
 いきなり脱線するが、実のところ47都道府県、ってコトではもちろん全部行ったことがあるけれど、足を踏み入れてない地方は意外に沢山残ってたりする。例えば秋田から青森にかけての海岸線、島根の三瓶山一帯、和歌山の新宮より東、大分から宮崎にかけての海岸線あたりなんかがパッと思い付くところだ。

 それはともかく、今回こっち方面を訪ねてみる気になったのはその後ニワカに起こってきた廃墟や巨石・磐座への興味が後押ししたことも大きい。正直、東京に越して来てすぐにこれらに目覚めてたら、もっと行ってたかもしれない・・・・・・が、そしたら津波に流されてた可能性も捨てきれないな。まぁまだまだ寒い季節で雪を警戒するだろうから、あの運命の日に出掛けてた可能性は低かったろうが。

 そうだ、目指すにあたって今回は常磐道ルートを取ったんだった。ぶっちゃけあの大震災がなかったとしても、いわき以北の常磐道は高速道路とはおよそ呼べないような対向二車線が延々と続く道に加え、震災がなければ多分未だに全通もしてなかったろうし、繋がった今だって距離こそ東北道ルートに比べて若干短いものの、時間的にはむしろ掛かってしまう可能性が高い。何だかJRの東北本線と常磐線の扱いの格差に近いモノがある。
 分かっててはいても、おれは常磐ルートを取らねばならん、ってな妙な義務感に支配されてた。未曽有の津波に洗い流されたあの海岸線を辿り、たとえ遠くからでも福島第一をこの目で確かめなくちゃいけない、って気分になってたのである。

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 道路脇のところどころに設置されている線量計の数値は、楢葉PA辺りでも手前と変わらぬ0.1〜0.2μSvを示す程度だったのが、常磐富岡IC附近でポンと上がって0.5を指す。そしてしばらく行った先、大熊という新しいICを建設してるあたりで急に2.6μSvに跳ね上がった。道路脇で建設に従事してる作業員はみんなマスクしてる。そんなんでどれだけ効果があるのかおれには分からない。山の切れ目から遥か彼方にニョキニョキ林立する赤白だんだらのクレーン群が見えて、慌ててヨメはスマホで地図を確認する。
 やはりそれがフクイチだった。東に数kmのところだ。復旧というか、とにかくこれ以上の原子炉の暴走が起きないように今なお・・・・・・いや、これからも延々と果てしなく、必死だけれど人海戦術で試行錯誤だらけの作業があそこでは続くのだ。

 2.6μSvという数字がどれほどのモノか良く分からないんで調べてみると、1年間暮らしたとして被爆量は22.7mSvである。これでもまだ分からないんでさらに調べると、これは胃のレントゲン撮影のおよそ7回分、CTスキャンの2〜5回分くらいらしい・・・・・・ますます良く分からなくなってきた。ただし、X線技師の被爆許容量は5年で100mSvっちゅうから、やはり相当なんだろう。
 この線量の高い一帯は今なお帰宅困難区域に指定されており、住民は誰もいない。周辺の民家は放埓に伸びた雑草に半ば埋もれ、田畑の多くが太陽光発電の用地に転用されてしまっていた。除染作業で回収された残土がうずたかく積み上げられてる場所なんかもある。異様な光景だ。

 南相馬まで来てようやく少しホッとする。エアコンのスイッチを内気循環から外気導入に切り替えたりもした。しかし、亘理、仙台空港、名取・・・・・・と次々標識に現れる地名が再び、あの日、茫然とアホみたいな顔で会社のTV画面に釘付けになってた記憶を呼び起こさせたのだった。常磐道はいつの間にか終わり、仙台東部道路、三陸道と走っている。復興支援ってことなのか、三陸道は無料だ。河北ICでやっと高速を降り、一般道に入る。取り敢えずは一度クルマから降りたく、目についた巨大な道の駅に立ち寄ることにした。

 目指す釣石神社は海に向かってまだ15kmほど走らなくちゃならない。砂塵の巻き上がる北上川沿いの堤防上の道は10トンダンプだらけ。どれもこれもフロントガラスの下に、復興関連の作業に従事してることを示す大漁旗ほどもある大きなゼッケンを付けている。道はさほど広くもないので離合には結構神経を遣う。何だかんだで出発から400km以上走りまくって、最後の最後、ナビがあるにも拘らず道に迷ってようやっと目的地に到着。ヤッパシ東北は遠いですわ。

 あまりに有名な御神体である「釣石」についてあまりクドクド書いても仕方なかろう。想像してたよりも随分地上近く、山裾から10mくらいのところに直径4mほどの巨大な丸い岩が突き出している。実はこれは陽石であり、その下にある高さ2mほどの平たい石が陰石で対となっているのである。本来的には東北地方に多い金精信仰の流れを汲んでおり、良縁・夫婦円満・安産等に御利益があるらしい。それが40年ほど前の宮城沖地震でも転がり落ちなかったことから「落ちそうで落ちない」ってコトで、今や受験や商売繁盛の方で信仰を集めるようになった。この数十年のことである。

 それより驚いたのは、横にある急な男坂の階段の途中にあった震災での津波到達高を示す青いプレートだ。地上8mあたりに貼られている。なぜ、直前で道に迷ったのかも判明した。この一帯もまた見事に津波に押し流されて、集落内の道路は未だ整備途中だったのである。おらぁどぉにも肝心のトコで勘が鈍い。

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 ・・・・・・ここから先を書くのは本当に気が重い。

 釣石神社の次は北上して一関手前の立石神社に向かう予定でいたのだけど、駐車場でGoogleMapを開いてみると、ホンのすぐ近くに「大川小学校跡地」とあるのを見付けてしまった。対岸のちょっと先である。そうだ、あの大川小学校だ。逃げる逃げない、どこに逃げるで無知な大人たちがバカで不毛な議論してるうちに、逃げるには充分な40分の時間が無為に過ぎ、増幅されて10mもの高さになった津波が押し寄せて沢山の子供たちが流されて亡くなったという、東日本大震災の悲惨さを象徴する場所の一つだ.地理勘がまったくないために、何となくもっと北の岩手の方だと思い込んでたから、いささか意外な気がした。

 知ってしまった以上はこの目で見なくちゃいけないとばかりに、元来た道を引き返すように行くと、薄緑色に塗られた大きな橋があって、渡ると小学校跡はすぐそこだ。褐色に塗られたバームクーヘンを120度くらいにカットしたようなモダンな形の二階建て校舎の廃墟は橋の途中からも望まれる。周囲は一面の茅に覆われた原っぱで、なんでこんな寂しいトコにポツンと学校があったんだろうと思ってしまう。
 道路を挟んで向かいは砂利の駐車場になっており、結構な数のクルマが停められている。近くから見た校舎は水の流れた方向の壁がブチ抜かれてドンガラになった状態で、津波の衝撃の凄まじさを今なお生々しく残している。あちこちロープで囲われた校庭ではユンボが作業中。その周囲では麦藁帽に割烹着を着込んだ女性が10数名、黙々と動き回る。

 そぉいやぁしばらく前、震災の悲劇を後世に伝えるモニュメントとして校舎が保存されるってなニュースを読んだ記憶があったんで、公園化に向けた整備作業でもやってんだろう。そのままおれもクルマを停めた。
 降りるとすぐ横に小さな案内看板のようなものが立てられてる。何気に目を遣って、おれはゾッとした。そこには同じアングルから見たかつての町の写真が貼られていたのである。そう、この一面の茅に覆われた原っぱに見えたのは集落跡だったのだ。震災前は堤防下に細長く延びる結構な戸数の集落があったのが、町全体が放棄されてしまったのか、復興再生の工事さえ行われていない。

 ・・・・・・しかしまだまだおれは甘かった。

 ファインダー越しにズームで校庭にいる人たちの乾いた無表情を見た瞬間、ようやくおれはこの状況を了解してカメラを下ろしたのである。

 それは休日を利用して、今なお子供たちの遺留品を探す親御さんたちだったのだ。何という痛々しい光景だろう。ハッと思わず振り向いて駐車場を見渡せば、たしかに停められてるのは自家用車ばっかしで、工事現場に付き物の白いワンボックスやダブルキャブのトラックは1台もない。ホンマもぉ早よぉ気付けよ、って。
 漠然と8年半という歳月はそれなりに長いんちゃうかと思ってたし、だからこそこうして遠路遥々訪ねて来たりもしたのだが、子供を亡くした親たちの魂の浄化や癒しには全然足りてないんだ、ってことを、何とも言えない苦さや痛みと共に思い知らされた。
 震災は「すべての」人から魂を奪い取ったのだ。この地では震災で死せる者の魂だけでなく、残された人々の魂までもが、終わることのない中有を彷徨っているのかも知れない・・・・・・何だかそんな気がした。

 ちなみに大川小学校付近で撮った写真は一枚もない。撮らなかったのではない。どうしても撮れなかった、おれにはシャッターボタンが押せなかったのである。ただ黙って頭をうなだれ、手を合わせて立ち去ることしか出来なかった。

2019.09.06

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