「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
出張の宿


ナゼかここは写真撮ってました、「山佐本陣」。

 出歩くことは心底好きだ。たとえそれが商用でも、どこかに行くことはそれだけで楽しい。

 でも最近は若い連中に任せることが多く、おれ自身が出張に行くことは随分と少なくなった。昔よりちったぁエラくなったからあんまし軽々には動けない、ってのもそらあるけど、若い者にあっちこっち出掛けてってもらうのが何より本人のためになるからだ。だから本当は出歩くの大好きなのに、ケッコー痩せ我慢してたりするのが実態だったりする。

 とは申せ、旅の恥は掻き捨てとばかりにハメ外して贅沢するとか、風俗出掛けるってなコトはしない。それどころか仕事で出掛けた時には原則的には温泉宿には泊まらず、努めて駅裏のシケたビジネスホテルとか古びた商人旅籠みたいなトコに敢えて泊まるようにしてる。別に強制されてるワケでも誰かに見張られてるワケでもないけれど、やっぱその辺のケジメっちゅうか峻別って大事なんちゃうか?とおれは思うのだ。別段良い子ぶりたくてこんなことを言ってるのではない。平たく言えば、身銭切って飲む酒がいっちゃん美味いのと同じ理屈だ。

 そんなんで仕事で出掛けてった先での宿がアタリだったってな経験は殆どない。思い起こすに島原での岩永旅館くらいなモンだ。後はもう、ぶっちゃけどぉにもならんような場末で寂れてトホホなトコばっかしだった。それでもその終わり方があまりに凄絶過ぎて思わず一話に纏めた伊勢崎・五色温泉「三楽旅館」みたいな極北の例もあるけれど、たいていはそもそも記憶にさえも残らないくらいに地味で没個性でただもうツマらないだけのトコばっかしである。

 今回はそうした出張先の宿で、1話になるほどではないけれど、良い悪いはともかく何だか忘れがたい宿についてオムニバスっちゅうか、小ネタ集っちゅうか、あれこれ記憶を掘り起こすことにしてみた。

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 まずは札幌・中島公園近くの創成川っぺりで泊まったビジネスホテル。コイツはとにかくキテてむちゃくちゃに怪しかった。

 まず挙げたいのは宿泊料が2,000円しなかった、ってコトだ(笑)。震災よりもまだだいぶ前だから15年くらい前の話だけど、長引くデフレでその頃からそんなに宿泊料って変わってない・・・・・・どころか近年むしろ逆に低落傾向にあったりもする。だからホント、異常なまでの低料金である。たしかじゃらんnetのサービスが始まってしばらくしたあたりで、それで予約入れた記憶がある。ポイント使えばその分値引きになるんだけど、この時は「ポイント使う必要ないくらい安いやん!」って思ったから、正規料金が千ナンボだったんだろう。カプセルホテルやネカフェでももちょっとはするよね?フツー。

 行ってみると、こうした終末宿泊施設に共通する特徴がやっぱし随所に見て取れる。電気代節約のために間引かれた暗い照明、換気が悪くて湿気が籠もるのか、あちこちにシミの浮かぶ赤いカーペット(ダメなトコほど臙脂系の赤を選んでる確率が高いのはナゼだろう?笑)、ヤル気のない、見るからに何か過去を背負ってそうな、クセと険と翳のある濃い顔したフロントマン・・・・・・しかし、それだけなら特段面白くもなんともない。

 このホテルのナニがそんなにすごかったのか?っちゅうと、客室の半分以上が貸事務所として転用されちゃってたことだ。それも1つのフロアを丸っぽ転用するんならまだしも、各フロアで飛び石状に客室がテナントに転用されてるのだ。もはやホテルに泊まるっちゅうよりは、テナントビルの空き部屋に泊めさせてもらうような不自然なカンジ。部屋に入ってしまえば分からないとはいえ、何とも奇妙だ。。
 それにしても一体全体、こんな陰気で古びたホテルの、さして広くもない一室を事務所に借りる人ってどんなんなんだろう?と好奇心に駆られて、おれは各階を見て回った。酔っ払ってたし名前からだけではハッキリとは分からなかったけど、街金、探偵、不動産屋、輸入販売、売れない弁護士・司法書士・行政書士といった「士」の付くヤツ、さらには怪しいペーパーカンパニー、ヤクザのフロント企業等々ではないかと容易に想像の付きそうな、胡乱なんばっかしだった。

 今回取り上げるにあたってGoogleMapで調べてみたが、とうに解体されてしまったのか場所はどうしても特定できなかった。何かTVドラマとかでピカレスクな群像劇の舞台になれそうな雰囲気があったんで、ちょっと残念な気もする。

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 所用で京都に泊まった時の宿も忘れられない。実はけっこう京都方面はこれまで出張で泊まってて、いつの時だったかは忘れたけど、かつての東西の本願寺門徒用の宿が今も数多く点在する烏丸七条界隈だったことは間違いない。

 今はそれほどでもなくなってしまったけれど、昭和30年代くらいまでは、東西どっちも熱心な門徒が全国から講を組んで押し寄せていたのだった。創価学会や天理教もビックリな状況である。
 話は逸れるが、オウム真理教事件の時にあの薄汚い麻原彰晃の入った後の風呂の水が小分けされて信者に法外な値段で売られてる、ってなニュースがあったけど、実のところそれは本願寺のアイデアをパクっただけである。結構近世まで熱烈な門徒相手に大谷ナントカの入った風呂の水が売られてたりしたのだ。どんな宗教であれ、宗教である以上、教団ってのはカルト化するもんなんだろう。
 それはともかく、ひきも切らずやって来る門徒で寺の宿坊くらいでは到底キャパが不足したために、周辺に宿屋が沢山出来たのである。もちろん、昔は京都観光といえば、遠方から来るには列車しかなかったんで、駅から比較的近いこの辺りは、一般の観光客にも重宝されていた。

 今はそんな講を組んで本願寺参りなんてのも下火になり、宿泊場所にしたって色んな選択肢も増えて往年の勢いは失せてしまったが、そんな時代の名残であの辺には小さな旅館が未だにいくつもしぶとく残ってたりするのだ。それどころか現在ではインバウンドのオカゲを蒙ってたりもする。

 暑い中を京都駅からキャリーケース引いて、仏壇・仏具屋といった抹香臭い商店が並ぶ通りから何筋か裏手に入ったあたりにその宿はあった。もぉまるで見た目民家。狭い玄関から急な階段を上がった二階に案内される・・・・・・が、何か忍者屋敷みたいに内部の間取りは妙に複雑で、部屋の並び方が奇妙だ。オマケに全体的に狭い。廊下も狭ければ通された部屋も狭い。四畳半の箱みたいなトコだ。普通、京都の家で一般的な京間は江戸間なんかより畳一枚のサイズが大きいので広く感じるモンだが、ここは団地サイズくらいしかないように思えた。

 しかし別に不潔なワケではない。建物自体は古いものの部屋は改装されて白い壁紙で綺麗になってるし、畳も綺麗、部屋の中にはTVと机以外の調度もなくガランとしてるが、値段のことを考えりゃ文句言えた義理ではなかろう。いくら狭いったってソロテントよりは数倍広い(笑)。寝るだけなんだからこれでジューブンだ。それにおらぁこれまでもっとヒドい部屋にだって泊まったことが一度ならずある・・・・・・なのにしかし何だか落ち着かない。

 部屋でポツネンとしてても仕方ないんで、取り敢えずメシ食いに外に出掛ける。まぁ次の日のこともあるんで酒は適度に切り上げて・・・・・・っちゅうてもおらぁそこそこに呑めるから、まぁ要はかなりヘベレケになって(笑)、それでも戻ってまだ呑めるように缶ビールなんか買い込んだりして再び宿に。
 やっぱし相変わらず妙に落ち着かない。別に建物が傾いてるワケではない。壁が薄くてあちこちの物音が聞こえてザワザワしてるワケでもない。窓の外を見ても黒く沈む町家の屋根の並ぶのが見えるだけだ。誰かから覗かれてるワケでもない(大体こんなおっさん覗いたって詮無かろう、笑)。かといって別に幽霊が出そうとかそんなんでもない。
 どぉ言えば良いのか、陽動する「気」が満ちてるような、っちゅうたら近いかも知れない。ただただどうにも平衡を欠いたような何とも言えない違和感、このままここで何日か暮らしたら発狂してしまうような雰囲気が部屋全体に漂ってるのである。もし今から違う宿に移れるのなら移りたいくらいの気分になった。こんな経験は初めてだ。

 ・・・・・・結局そのワケは朝になっても分からないままだった。今も良く分からない。ありゃぁ一体全体何だったんだろう?

 ここも上と同様ググッてみたものの、もぉとうに廃業したみたいで見付けることはできなかった。

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 岡山駅近くで泊まった「山佐本陣」って旅館も忘れがたい。

 上の2つとは異なり、ココは随分立派な外観で、たしか本館と別館に分かれたかなりの規模の宿だった。岡山駅から後楽園の方に向かうチンチン電車が走る大通りからちょっと入ったとこにあって、「政府登録観光旅館」なんてーのがまだステイタスだったころの雰囲気を色濃く残していた。
 なんでそんなトコに決めたのか?っちゅうと、例によって例のごとくメチャクチャに安かったからだ。朝食付きなのに素泊まりのビジネスと同程度かそれよりちょっと安かった記憶がある。またおれは基本は「畳に蒲団」派で、ベッドだとあまり眠れない方なんで、それでこれ幸いと選んだんだと思う。

 最初に書いた通りの大きな旅館でそんなにも激安なのには、当然ながらそれなりの理由があった。とにかく老朽化と陳腐化がエラく進んでたのである。館内はすべてが昭和40年代半ばくらいで止まってるような・・・・・・いや、もっと有り体に言えば、手を掛けられることなくそのまま放置されてるような、古色蒼然とした雰囲気だった。
 残念ながら湯気がすごくて撮り損ねた「真珠風呂」ってのが名物らしかったが、入ってみるとそれが一体何なんや?ってツッコミ入れたくなるようなレトロでキッチュでバッドテイストな、アコヤ貝を模した巨大な浴槽が半地下になってあったりする。浴室の他の造作も、ローマ風呂とでも言えば良いのかちょっと神殿風、とてもこのもっちゃりした和風旅館に似つかわしくないもので、むしろおれはちょっと嬉しくなってしまったくらいだ。オマケに温泉でもないのに、浴室がとても広く作られてある。大浴場の表記にウソがない。でもこれでこの客の入りでは油代の捻出だってままならないだろう。

 風呂上がりに館内をウロウロしてみると、宴会場にしたっていくつもあってシッカリしてるし、神式オンリーとはいえ結婚式場まで備わってる。中庭としてはそこそこ広い日本庭園も設えられてある。
 しかしながら、豪華な割に日に灼けて色褪せたカーペット、今時スッカリ見かけなくなったゴツくて古めかしいデザインのビニール張りのソファ、磨かれないためかスッカリ曇った中庭を見下ろすウィンドウや鏡、埃を被ったケースに入った舞妓人形や巨大絵皿等々、いつの間にか手入れが行き届かなくなって荒廃した点があちこちに見受けられる。結婚式場なんて最後に利用されたの一体いつなんだ?

 でも、間違いなく良い想いした時代もあったんだろうなぁ〜・・・・・・岡山駅からだってほど近く、客室もそこそこ沢山あって、いろんな宴会にも使え、結婚式だってできる。
 日本庭園の中で文金高島田の花嫁やらが写真撮ったりもしたんだろう。地元名士が集まって大宴会が催されたりもしたんだろう。旧い城下町だから着飾ったオバハンたちが集まって茶道や華道、俳句に日本舞踊、お琴に三味線ってな集まりだってあったかもしれない。しかし変化していく時代のニーズにどこかで乗り遅れ、取り残され、その内世間からちょっとづつ忘れられ、荒れてしまった。それはまるで没落貴族のお屋敷のようだ。

 ・・・・・・翌日、朝食の大名膳を前にして、おれにはちょっと胸にこみ上げてくるものがあった。決して前夜に呑み過ぎたからではない(笑)。

 それはあまりにも「和風旅館の朝食」として、今時珍しいくらいに手の込んだ内容だったからである。チマチマと並ぶ沢山の皿や小鉢、椀、こんなんにココまで手間ヒマ掛けてる余裕があるんやったら、他の行き届いてないとこのメンテにもっと注力しろよって言いたくなるような、あるいは「痩せても枯れてもうちは観光旅館なんです!そこら辺のワケの分からん商人旅籠とはちゃうんです!」ってな矜持さえも感じられるような、そんな献立だった。

 この山佐本陣については、いつかまた岡山に行く機会があったらもっかい泊ってみたいと思ってたが、勿体ないことに2009年に火事で焼けてそのまま再建されることもないまま解体〜廃業となってしまった。今は跡地は味も素っ気もない青空駐車場になっている。会社自体は駐車場運営でまだ続いてるみたいなのがせめてもの救いかも知れない。いつか再建されることを願ってる。

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 「たとえ仕事であれ用事であれ通勤であれ通学であれ何であれ、すべての移動は旅の諸相を内包する」・・・・・・いささかキザかも知れないけれど、昔からおれは本気でそう思ってる。改めてこうして振り返ってみると、やはりその考えはそんなに間違ってないように思う。


ね!??良いでしょ?これがその時の朝食。これだけ手の込んだ朝食を出すトコは今では少ない。

2019.06.25

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