「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
潔すぎる最期・・・・・・女夫渕温泉を懐かしむ


広々とした大黒天の湯(ギャラリーのアウトテイクより)


弁財天の湯。奥に福禄寿の湯が見える(同上)

 いやぁ〜、ここが廃業するって聞いたときは絶対にガセやろ!?って思いましたよ。だってさぁ〜、奥日光の温泉旅館の中では最大規模にして、かつ最も流行ってた旅館だったんだもん。
 しかしその内、新聞記事にもなったりして噂がマジだったコトが判明して本当に驚きましたわ。

 決して景気が悪くて閉めたのではなかった。東日本大震災の後、マクロに見ればその余震のように全国各地で局地的な内陸性の直下型地震が急増したんだけど、ここ栗山郷でもおよそ2年後の2013年の2月にM6.3とそこそこ大きな地震が発生したのである。それで見た目的には建物が倒壊したワケではなかったが、内部の鉄筋等に重大な損傷を受けて建て直すしかなく、オマケに肝心の源泉までやられてしまい、再開するにも巨額の資金が必要ってコトであえなく廃業となってしまったのだ。
 思うに、イチから建て直すとなるといろんな許認可も仕切り直しになってしまうから、名物だった巨大混浴露天風呂なんかも今は野暮な保健所が認めないとか、これまでウリにしてた部分が失われてしまって競争力無くすってな予測も再建断念の大きな理由になったとおれは睨んでる。

 記事になって初めて知ったことがあった。おれはもっと古くからそこにあったものとばかり思ってたら、開業が1970年(昭和45年)と意外に歴史が新しかったってコトだ。つまり開業50年経たずして閉館したってコトになる。

 ともあれあれほど全国にその名を轟かせてた旅館はその年の内に解体されてしまい、アッサリ消えてしまった。実に呆気ないモンだ。

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 女夫渕温泉・・・・・・正しくは女夫渕温泉ホテルは、鬼怒川の上流、急峻な渓谷にへばりつくように温泉宿が点在する川俣温泉からさらに少し奥に入ったあたり、川が大きく蛇行して谷が若干広がったところにあった一軒宿だ。ホテル目指して来る客ばかりでなく、その向かいが登山客や、さらに奥の徒歩でしか行けない加仁湯や八丁ノ湯、手白沢、日光沢といった温泉に向かう観光客のための広い駐車場となっており、ビジターセンターなんかも併設されていて、山奥の秘湯というワリにはかなり拠点として賑わっていた。
 表から見ると鉄筋3階建ての横に長く伸びる本館と、そこから長い空中回廊でつながった5階建ての別館はかなり立派で、収容力もそこそこありそうだった。そぉいやこっちに越して来てすぐの頃、日光観光に行くのに宿泊の予約を入れようとしたら、満館で断られたことがあったっけ。そんなんだから人気の高い宿であったことは間違いない。
 何よりもここの名を全国的に知らしめてたのは巨大な混浴露天風呂の存在だろう。建物の裏側、川との間ほぼすべてのスペースを使い100m以上にわたって七福神その他にちなむ名前を付けられた12ヶ所もの露天風呂が置かれ、「天女の湯」「布袋の湯」の2ヶ所が女性専用になってるだけであとはみんな混浴。っちゅう実に大らかで豪快なロケーションとなっている。

 一人千円払って、あまりの日帰り客の多さに自動改札になった入口から建物の地下に下りる。何だか遊園地のアトラクションにこれから入るようなカンジだ。地下壕みたいな薄暗い脱衣場から、人がすれ違えるくらいの狭いトンネル通路を抜けると件の露天風呂がバーッと開ける。ちなみによくある「日帰りは内湯のみで露天風呂はダメ」ってパターンとは逆で、ここは日帰り客は露天風呂にしか入れない。
 そぉいや、ここに来るのは二度目だ。前回の記憶は何故か殆どない。確かここの予約が取れず、仕方なく下流の川俣の国民宿舎に泊まったコトは覚えてんだけど、写真から記憶を辿ろうにも当時のカメラはフィルム規格に於けるベータのビデオみたいな悲運のAPSで、未だにデジタル化もままならないままアルバムは物置の奥深くに仕舞われちゃってるのだ。

 一番上流にあるのが、「大黒天の湯」で、いろんな雑誌等で紹介されるのも基本的にここが多い。隅っこには斜面を利用した洞窟風呂なんかも設えてある。後方を見るとかなり高いところに奥鬼怒スーパー林道の赤い鉄橋が懸かっており、望遠使えばもぉ丸見えだ。そんなことをイチイチ気にして文句付けるバカは来なくて宜しい、ってなぐらいにアバウトで開放的なのが魅力と言えるだろう。
 そこから下流に向かって、比較的コンパクトな「寿老人の湯」・「恵比寿の湯」が上下段になって並ぶ。寿老人の方は四阿の下になっており、横には脱衣場がくっついてる。宿泊客はここまで浴衣で来て入るんだろうと思う。
 さらに下流側、やはり上下段になって、「毘沙門天の湯」・「弁財天の湯」が続く。泉質は多分どれも同じなものの温度差はかなりあって、恵比寿は殆ど水みたいな温度なのに対して毘沙門はかなり熱く、最初の大黒天は広いこともあってなんだかんだで一番入りやすい。造作も高い竹の樋から湯を落としてたりして、他よりもちょっと風流に拵えてる気がする。
 続いては「福禄寿の湯」。ここは源泉が岩の上から流されるようになってるのだけれど、その岩が析出物で白くなって何となくそれっぽく見えるのが面白い。ココもナカナカの適温だ。そこから2つが上述の女性専用エリアとなって、厳重に竹垣で囲われちゃってるのが何だか世知辛い。見えてしまったこっちが恥ずかしくなるような、身体の凸凹があべこべになったような紡錘形で三段腹のオバハンとかがクレーム付けてるんとちゃうやろな?(笑)
 ともあれ、どの風呂も小さいのでも結構な広さがあって、毎分1000リットルを超す豊富な源泉が惜しげもなく注ぎ込まれている。泉質はうっかり分析表を取り忘れてしまったが、多分芒硝泉ってトコではないかと思う。チューインガムみたいなネバネバした湯の花が漂い、あとは石灰分を含んでいるようで、湯舟の縁や流れた跡がが白くなっている。

 さらに少し下流側に離れて恐らくは後から追加で作られたのではないかと思われる、「白寿の湯」・「大天狗の湯」・「子天狗の湯」、そして多分温泉プール代わりな「人魚の湯」がほぼ一塊になって千枚田状に並んでいる。人魚は広さでは一番広いが、泉温が低いためか湯は抜かれてしまってた。
 こちらはメインエリアからちょっと離れてるせいか、お客さんはやや少な目で、比較的落ち着いて入れるように思った。

 いささか残念なのは、これらの露天風呂一帯がコンクリでガチガチに固められてあったり、風呂の名前を示す看板が如何にもな勘亭流の肉太の字で書かれてたり、川の方に厳重に進入禁止のワイヤーが張られてたり、何より次から次にひっきりなしにお客さんが入ってきたり・・・・・・と、いささかどころか大いに情緒には欠けることだろう。ぶっちゃけ秘湯と呼ぶにはあまりに手垢にまみれちゃってるのが忌憚のないところだ。
 とは申せ、ここはあくまで観光旅館に併設された今時貴重な「大混浴露天風呂」っちゅうアトラクションなんだと思えば、これはこれで仕方ないことなのかもしれない。

 まぁそのうち何かの機会でまた来ることもあるだろうと、あまり深く考えることもなく温泉を後にしたのが2010年のことだった。

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 現在、女夫渕温泉の跡地には見事に何一つ残っていない。

 綺麗サッパリすべての施設は消滅してしまい、後には整地されただだっ広い空地が川沿いに残るだけだ。立つ鳥跡を濁さず、その潔さはある意味称賛に値する・・・・・・っちゅうか多分、国立公園内ゆえに法律で解体と原状復帰義務でもあったからだとは思うんだけど、それでも世の中には破産だの夜逃げだの開き直りだのと、そんなの無視して無残な骸を晒したままのケースが多い中、徹底的な消えっぷりである。思えば、露天風呂の規模や造作といい、廃業の判断といい、すべてが豪快だった。
 経営的に考えるならば、感傷だの郷愁だのプライドだのなんだのに捕らわれてグズグズしてるうちにのっぴきならない状況に追い込まれるケースが多い中、撤退の即断即決は不要な出血を最小限に抑えるためには最も有効であり、その点では大正解だったと思う・・・・・・でも、でもですよ。

 ・・・・・・やっぱ誰かに引き受けてもらうって方法はなかったのかねぇ〜。


大天狗の湯・子天狗の湯(同上)

2019.06.10

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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