「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
奥座敷にはちょと遠い・・・・・・コンヤ温泉




2つの露天風呂の様子。ガッチリ囲われた塀だけが残念(ギャラリーのアウトテイクより)。

 静岡市葵区の最北、その名も「あべかわ餅」で知られる安倍川に沿って分け入った先の山梨県境近くにある梅ヶ島温泉は、どこまでホンマかはともかく開湯1700年と言われ、ひじょうに古い歴史を誇る温泉である・・・・・・で、そのちょっと手前のコンヤ温泉に旅館が出来始めたのは昭和40年代のことらしいので、こちらはまぁ新興温泉と呼んでも構わないだろう。ただ、源泉そのものはかなり古くから自然湧出してたようである。不思議な地名の由来は、その源泉の湧いてたのがコンヤ沢ってトコだったことから採られたとのことだ。

 本家・梅ヶ島の方は社会人になった年の秋に訪ねたことがある。市営なのに混浴の露天風呂のある鄙びた共同浴場だった。ぬるい湯でボケーッとしてたら、ドヤドヤと入って来たTVクルーにインタビューされたハナシは過去に駄文に纏めてるのでヒマな人は探して読んでみてください。
 残念ながらその時コンヤの方は時間が押してて入れず、以来ずっと未訪のままになっており、何となく自分の中では気になる温泉の一つとして引っ掛かっていた。ついでに言うと、当時はもちょっと下流の方にわらび野温泉ってシブい一軒宿もあったんだけど、こちらはかなり以前に廃業してしまっており、訪ねる機会は永遠に喪われてしまった。
 温泉はとにかく入ろうと思った時にムリしてでも入っちゃうのが吉だと思う。さらについでに言うと、もっと下流にあるこれまた一軒宿の油山温泉はナカナカ立派な旅館で今も営業中だ。

 さてコンヤ温泉、今では梅ヶ島温泉の一地区として紹介されてるコトが多い。いずれにせよ道は梅ヶ島まででドン詰まりであり、行ってもそのまま引き返すピストンでしか旅のコースが組めない。いや実は一本、身延の方に抜ける林道があるにはあるのだけど、全線舗装とはいえ狭隘だし、通行止めになってることが多いしでとてもオススメできない。おれが行った時も路面決壊の復旧工事とやらで通行止めになっていた。
 オマケに附近は名所ったって滝とか吊橋くらいで、歓楽街や寺社仏閣といった分かりやすい観光名所がないモンだから、一般的な観光旅行のツモリで出掛けた人ではどうにも無聊を持て余してしまうことになる。つまりは座敷で酒呑んで騒いでツブれて後は鼾かいて寝る、くらいしかできないのである。

 静岡市内とは申せ、急峻な山肌の迫る寂しい山峡の湯である。そもそも静岡市ってムリクリに周囲を巻き込んで政令指定都市にしたモンだから、凡そ市内と呼べないところまでがナントカ区になってるムチャクチャさなのだが(笑)。
 急峻と言えば、日本三大崩壊地の一つである「大谷崩」はコンヤからちょっと北に入ったトコになる。江戸時代、宝永地震によって高低差800m・・・・・・平たく言うと山がパッカリ半分割れて一気に崩れ落ちたのだ。流出した土砂の量は1億立方m以上とも言われる。立地的には結構ヤバい場所なのかも知れない。

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 何となく昔はもっと沢山旅館があったような記憶があるが、今は数軒の宿が固まるだけの静かな温泉地だ。今回泊まるのは「湯の宿 民宿志むら」ってトコである。表通りから外れ大きくカーブして下ってった突き当りにポツンとある。何を以て旅館と民宿が異なるのか良く分からないが、構えだけ見ればフツーに旅館と呼んでも差支え無さそうな雰囲気だ。
 ハキハキした女将さんに2階の部屋に案内される。窓から敷地を見ると、ますます旅館と民宿の区別が分からなくなってくる。恐ろしく敷地が広く、そしてチャンと手入れされているのだ。民家を旅館に転用した感じは微塵もない。渡り廊下の屋根が続いてるのが見えるのは恐らくはここの名物という露天風呂に向かう通路だろう。

 夕食までまだ間があるのですぐに風呂に向かうことにする。2ヶ所あってそれぞれ貸切となってるが、まぁお客さん同士で代わりばんこに内側から鍵適当に掛けてどうぞ、ってな方式だ。多客時には男女別に分けてるのかも知れない。まずは手前の方に入る。
 脱衣場など手作り感が溢れており決して豪華ではないものの、ナカナカ侘び寂び感があって好ましい佇まいだ。鉄平石を敷いた丸い岩風呂は、残念ながら四阿に覆われてるだけでなく周囲は板塀で囲まれてて開放感はない・・・・・・とは申せ、温泉街に良くあるの狭い隙間に作ったような露天風呂とは異なり、石庭風の周囲のスペースがひじょうに広く取られているために、せせこましさが無いのがとても良い。
 ジャバジャバと注ぎ込まれる弱加熱の湯は無色透明のアルカリ泉で、微かに硫黄の匂いがするくらいであまりクセのない泉質。いつまでも入ってられるようなタイプの湯だ。温泉の泉質って、どこかラーメンのスープに似てるのかも知れない。あまり過激でコテコテしいのよりはこれくらいの方が結局は味わい深くて飽きないような気がする。

 それにしてもこれだけ立派な露天風呂で民宿ってどぉゆうこっちゃねん?さらに分からなくなってくる。

 そのうち隣のもう一つの露天風呂から小さな悲鳴が聞こえた。「うわ!ヒルだ!」とか叫んでるのも聞こえる。どうやら入ってるのはうちと同様の夫婦者らしい。まぁたしかにイヤだわな、露天風呂にヒルがいちゃぁ。しかしこの小さなスナイパーはホント厄介で、目も耳もないくせに極めて正確に物音一つ立てず獲物ににじり寄って来る。
 彼等が早々に出てった後、ヒルに用心しながらもう一つの方にも入ってみることにする。こちらは四阿等はほとんど同じだけど四角い檜の風呂だ。やはり石庭風のスペースが広く取られてるのでとてもユッタリしてる。随分注意深く足許を窺っていたが、幸いなコトに結局ヒルが再び現れることは無かった。いやもう咬まれて血だらけになるのだけは勘弁だ。

 あんまし予備知識ないまま何となくこの宿選んだんだけど、この2ヶ所の露天風呂だけでもかなりの高水準である。ホンマになんでこれで民宿やねん?民宿を名乗ってなんかメリットあるんやろか?税金がタダにでもなるんか?

 さらには家族湯だろうか内湯もこれが悪くない。何てことない5〜6人入れば一杯の四角い湯舟と小さな洗い場があるだけの平凡なものだが、ガラス張りで中庭が望め、結構シブく設えてある。民宿っちゅうくらいだから当然家族経営なんだろうけど、露天風呂といい内湯といい隅々まで掃除なんかも行き届いている。いやホンマ、風呂に関してはケチの付け所が無い。「湯の宿」って名乗ってるだけのことはあると思う。

 そのうち食事の時間になったんで、かなり離れたところにある座敷に向かう。どうやら今使ってるのは新館で、座敷だけが旧館に残ってるみたいだ。ともあれこれでメシが良くなかったら風呂との対比でトホホで笑えるネタになったんだろうが、これがまたメッチャ良かったんですわ。
 決して豪華絢爛ではないけれど、春ってコトもあってかあちこちに山菜をふんだんに用いた料理は素朴だけどどれも美味い。アマゴなんて座敷の片隅の囲炉裏で焼き上げてくれる。変わったトコではシメのクレソン鍋っちゅうのが芹を思わせる鮮烈な味でとても美味かった。聞けばこの辺では清冽で豊富な山の水を活用して水耕栽培が盛んらしい。

 結論、この「志むら」、とてもしみじみして良い宿なのだった。民宿って名乗るコトで却ってちょと三文安く見られて損してんぢゃないかって気がするな。

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 翌朝、まだ薄暗い中をいつもの散歩に出てみる。満開になった山桜と共に周囲には荒れ果てた廃墟物件が目立つ。ぶっちゃけかつては志むらよりもハデに商売してたのでは?ってな建物が藪に埋もれてたりもする。河原一帯は夏になればキャンプ場として賑わうようだけど、1サイト数千円では大した現金収入にはなってくれないのは明らかだし、河原のキャンプ場では市の収入になりこそすれ旅館は少しも儲からないのではなかろうか。

 本来は静岡市の奥座敷として宴会需要等でもっと賑わってても良さそうなモンだけど、上に書いた通りの地理的な条件もあって梅ヶ島周辺は今いちパッとしない感がある。それに静岡駅からだと軽く1時間半くらいグネグネした山道を走り続けなくちゃならない。つまり奥座敷にしてはビミョーに遠すぎるのだ。しかしこうして中途半端に遠いワリに、近郷の人ならワザワザ泊まり掛けでっちゅうほどのプレミアム感もない。何せ「市内」なんだしねぇ。
 だから今の時代ここにプライベートユースで泊まろうって人は、おれたちのように他府県からの者で、かつ敢えてピストンコースになっても構わないと思ってるケース、端的に言えばちょっとばかしモノ好きな連中に限られてるのではなかろうか。
 かかる不利な状況で商売を続けるのは大変だろうし、だからこそ最盛期より旅館も随分減っちゃったんだろう。

 そこで頑張ってる志むらは、決して判官贔屓ではなく、フラットに見ても応援するに十二分に足りるとても良い宿だとおらぁ思うな。

 結局、最後まで旅館と民宿の違いは分からないままだった。強いて言うなら布団の上げ下げの有無だけぢゃなかろうか?旅館と民宿の違いって(笑)・・・・・・あ、おらぁじぇんじぇんOKっすよ。布団畳んで押入に戻すくらい。


内湯の様子(同上)。

2019.01.23

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