「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
温泉情緒のカケラもねぇが・・・・・・磐梯熱海温泉


夕暮れ迫る中、人っ子一人見えない磐梯熱海駅前(ギャラリーのアウトテイクより)。

 山峡の一軒宿の秘湯みたいなトコばっかし狙って出掛けて行って、所謂「奥座敷」や、団体旅行専門みたいな有名温泉地については長年極力避けてきた。それがいつからだろう?多分、この5〜6年の間にどぉゆう風の吹き回しかそういった温泉地もあまり気にせず泊まるようになってきた。
 それにはいろんな理由が考えられるんだろうけど、今ここで縷々書いてもクドいし、いちいち意味を求めるのも面倒なんで止めておこう。

 ともかくそうして温泉地らしい温泉地に泊まってるうちに、これはこれでまぁ良いトコもあるんだよなぁ〜、って思えるようになった自分がいる。年経るごとに人間拘りが増えて偏固になってくのが常なのが、許容度がこれは高まったってコトなんで、ここは素直に喜ぶべきなんだろうな。

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 さてさて、今回取り上げる磐梯熱海温泉、今はぶっちゃけちょと寂れ気味とは申せ、郡山の奥座敷として古くより栄えた南東北の大温泉地である。すぐ近所にあった高玉金山が東洋有数の規模だった時代にはもっと派手に栄えてただろうと思われる。
 しかしとにかく集団でワーッと出掛けてって夜中までドンチャン騒ぎしてOKだった時代ならともかく、現代の目線で見ると色々と残念な部分が目立ってしまってるように思えるのが忌憚のないところだ。

 まず、そのロケーションだ。温泉街が中途半端に2ヶ所に分かれてしまってる。1つはJR磐梯熱海駅前周辺、もう一つが国道49号沿いに1kmほど西に行った辺りだ。温泉地としては後者の方がメインでまとまりもあるが、一番の老舗と言われる「一力」は駅近くにあったりしてどうにも統一感に欠けるきらいがある。
 地図上では線路も国道も並行してんだから、温泉街のもっと近くに駅を作れば良かったやんか、って思われるかもしれないが、そうは出来ないワケがかつてはあった。線路が中山峠の急勾配区間に差し掛かるのだ。今は電化されてバビューンと軽々登ってける時代だが、昔の蒸気機関車ではそうは行かないから坂の下の方に駅が作られたのだ。駅の近くもその後それなりに町として発展したからおいそれと動かすワケにも行かず、どうにも中途半端に温泉街が散在する格好になってしまったのだ。
 加えて、国道沿いの温泉街がどうしようもなく国道沿いにドベーンと大型旅館が並ぶばかりで全く風情や情緒っちゅうモンに欠ける。それも田舎国道ならともかく、郡山と会津若松っちゅう福島としては大都市間を結ぶ2ケタ国道っちゅうんだからアイタタである。ただ、20年ほど前にバイパスが完成して以来、温泉街を通り抜ける車の量は劇的に減ったみたいなのは救いと言えるだろう・・・・・・とは申せ、どしたって路傍の温泉であることに変わりは無いのだけど。

 次にそのネーミングだ。この熱海っちゅう地名、由来を調べてみると西暦1100年代の終わり、つまり鎌倉時代の初めくらいに源頼朝の家臣だった安積祐長が奥州合戦後にこの地を拝領して治めることになり、彼が熱海の出身だったからそんな名前になった、とある。つまり800年以上の歴史があることになる。なるほど本家の熱海って地名には1500年くらいの歴史があるから、まぁ整合性もあると言えるだろう。
 しかし、最近は随分盛り返して来てるとは申せ、世の中に「熱海=ダサい・終わってる観光地」ってイメージがあまりに着き過ぎてるのも事実だ。そしてそのアタマに「磐梯」と付くのがこれまたイケてない。史実は違うとは申せ、何だかいかにも「本家の亜流です感」とか「柳の下二匹目の泥鰌を狙いました感」が漂ってしまってる。
 さらにもう一つの伝承が事態をややこしくしてる。公家の娘のなんちゃらっちゅうのが難病に罹り、お不動さんの夢のお告げで「京の都から500本目の川の畔に湧く湯に入れ」って言われたんで遠路遥々ここに湯治にやって来た、っちゅうのだ。現に温泉街を流れる川は五百川という。でもこの娘、西暦1400年代の初めくらいの人らしいから、そんなややこしいコト言わずとも、奥州の熱海、って地名ぐらいは分かったハズだろう。どう考えてもおかしい。こりゃもう二つの伝承のどっちかに嘘があるか、あるいはどっちも後世にデッチ上げられたかしかないとおれは思う。大体そんなスゴいな歴史がありながら、マトモな旅館のできたのが大正時代になってからっちゅうのもいささか妙ではないか。
 そんなんで「磐梯熱海」って地名自体にどうにもこうにもチープでウソ臭い仕掛けを感じてしまうのだ。

 さらにはこれだけの規模で古くからある温泉地ならば寂れながらも必ずあるハズの、共同浴場、食堂、土産物屋、遊技場、スナック、居酒屋、ストリップ小屋等々が混然一体となった温泉街の歓楽が殆ど見当たらない。温泉神社や温泉寺もない。件のなんちゃら姫の建てたとかいう寺にしたって、村外れの観音堂くらいのショボさでいささかムリクリ感が漂いまくる。結局あるのは高度成長期の団体旅行華やかりし時代、ひたすら巨大化を競ったナレの果てのような大旅館ばっかしだ。後先考えずに古くからあったモノをツブしてしまったんだろうか?

 おれの推論を言わせてもらうとここは、たしかに熱海っちゅう地名ではあったもののそれまでは街道沿いのシケた湯治場に過ぎなかったのが、明治になってから急速に整備され発展した古い新興(?)温泉地なのではないかと睨んでる。歴史の無いものほど歴史を欲しがるものだ、とまで言えば言い過ぎだろうか。

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 ・・・・・・と、散々コキ下ろしといて今さら言うのもなんだけど、だからこそこの磐梯熱海温泉、頑張れば今後もっと違う形で伸びることができるんとちゃうか?って気がしてる。ちょっと無責任な放言連発になっちゃうのはご勘弁、酔った勢いで書き連ねてみよう。

 まず何より足掛かりがムチャクチャに良いことが活かし切れてない。ICや駅がすぐ近くだし、何より南東北の交通の要衝である郡山のすぐ近くなので、クルマでも鉄道でもこの温泉を起点に東西南北どちらにでも向かえる。東京〜郡山は新幹線なら1時間半かからないんだしさ。
 古典的な一泊二食に拘らず、素泊まり主体で一泊当たりの値段を安くして連泊型の宿にして、朝出掛けてって夕方に戻って来るようなスタイルをもっと打ち出せばかなり競争力があるように思う。

 温泉街がないことだって、逆に言えばゴチャゴチャと入り組んだ古くからの温泉街に良くありがちな、複雑に絡まりあった地権の問題が少ないってコトだろう。妙な色が付いてないとも言える。だから拙速に安普請の書き割りみたいなんは作らず、じっくり時間かけて落ち着いた佇まいの通りを作って行ける余地はあると言える。そうだ!バイパスできて通行量も減少したんだし、いっそ思い切って国道降格させて古い街道再現してみても面白いかも知れない。

 どうしたことかどれだけ調べても湧出量が公表されてないんで何とも言えないが、集中源泉でこれだけ多くの旅館に供給されてんだからそれなりに湯量は豊富なんだろうし、泉温だって53℃とそこそこあるのに、これがまた活かし切れてないのが勿体ない。しょうもない足湯なんか拵えてる場合ちゃうやろ!?って思う。今さら話題性があるワケでも金を落としてくれるワケもないんだし。
 それよっかどこの旅館に泊まろうが大して変わり映えしない金太郎飴な大浴場なんかとっとと止めて、趣向をいろいろ変えた貸切露天なんかでプライベートユースの掘り起こしを徹底的に図った方が良いのではないか。もちろんそれなりの投資は必要になるだろうけどね。

 とにかくポテンシャルは感じるのだ。東京からだと新幹線乗り継ぎで2時間ちょっとで着くんだしね・・・・・・って、ついさっき「1時間半かからず」とか書いてこのザマだ。ホント酔っ払いはイヤやねぇ〜(笑)。

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 東日本大震災以降東北地方の、特に福島第一の深刻な事故もあって福島県の温泉地はどこも元気がないように思う。何とかここは一つ性根据えて頑張って、これから新しい歴史作ったるわい!くらいの気持ちで奮起していただきたいと衷心から願う。

 そのためには安直な既存施設の活用や手直しに留まることなく、抜本的な在り方の模索と見直しが必要だろうと思うし、それを進める上で磐梯熱海はホンマ、他の温泉地より遥かに恵まれてることは間違いない。


磐梯熱海の負のアイコンと言える「河鹿荘」。肝試しに入った連中がモノホンの自殺者を発見(同上)

2018.10.03

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