「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
The Fall of The House of Takahashi


ギャラリーとは別テイクで、最末期の高橋館の様子。
バリケードで封鎖された建物の2階は大きく歪み、奥の方は道路側に向かって倒れつつある。


 日本一の迷旅館・怪旅館(笑)の名をほしいままにしてた、会津・東山温泉の高橋館がついに解体されたというニュースがしばらく前にあった。

 あまりの崩壊ぶりにいくらなんでも危険だろうと、県やら市やら消防から散々取り壊しを勧告されてたにも拘らず、「解体費用がない!」の一点張り、そうして倒れかけた館内に最後まで、居座ってたのか籠城してたのか単に暮らしてたのか(笑)良く分からないけど、年老いた館主がそれらをシカトし続けてたのである。報道によれば年老いた妹も一緒に暮らしてたらしい。
 しかし、建物の半分くらいが崩落したあまりの惨状に、温泉街全体のイメージダウンだって声が年々高まって、どんなやりとりがあったのか具体的な内容は良く分からないけど、本人が老人ホームに入ること、土地を寄付する代わりに解体費用をチャラにしてもらうってな内容で、立ち退くことにようやっと同意したらしい。ちなみに解体後の空地は公園となるようだ。すぐ手前にも足湯公園があるのにねぇ・・・・・・。
 ちなみにこれらの条件を率先して取りまとめたのは川向かいの「新滝」って旅館だ。まぁたしかに目障りで商売の邪魔ではあろう。向こう岸に崩れかけた廃墟がドベーンとあってはお客さんからもそら文句出るわな。気持ちは分かる。解体費用の一部はここの旅館が負担したらしいから余程のことだった、っちゅうのも分かる。分かるけど、何かちょっと世知辛いっちゅうかアザトいっちゅうか、ぶっちゃけ複雑な気分になった。大体、高橋館ツブしたからって東山温泉全体を覆ってる陰鬱な衰退の翳は払えないだろうに。

 この高橋館もまたかなり以前からマークしてた宿ではあったのだが、東日本大震災やらその後の個人的な転居やらがあって、いつかいつかと思ってるうちに、ついに宿泊することは叶わないままとなってしまった。ギャラリーをご覧の方はご存じだろうが、東山温泉に泊まったのが2016年、その時にはほぼ既に旅館としての体はなしていなかった。調べてみると震災の翌年、2012年の秋頃まではヘロヘロになりつつもなんとか営業を続けていたようである。

 ともあれこうして、創業明治9年の伝統も、東山温泉のかつての栄華を物語るような岩盤を直接刳り抜いた岩風呂も、数寄を凝らした内装や調度・什器類も、あるいは時間が止まったような古い空気も、一切合財がワニラーやらユンボで呆気なく壊され、更地にされてしまったワケだ。

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 それにしても、館主はこんなコトになる前にどうしてもっと早くに手を打たなかったんだろ?という素朴な疑問が浮かぶ。

 因業だったとか偏屈だったとか、ってフツーは思うかも知れないよね?でも、色んな評判をリサーチしてみるとこれがもう全然真逆で、宿の主人はとても上品で穏やかで良い人だった、ってな話ばっかし出て来る。多分それは事実なんだろう。
 だからこそ逆に、このような最早戯画的とも言える悲惨な状況にまで追い詰められてツブれたんぢゃなかろうか?って気がしてる。これでこの人が強欲が服着て歩いてるようなエグエグでゴリゴリだったなら、なりふり構わずガムシャラに延命・・・・・・どころか更なる業容拡大くらい狙ったに違いない。手を打「た」なかったのではなく、打「て」なかったのだ。良い人過ぎて。

 川の方から見ると文化財級とさえ言える、高橋館の見事な木造4階建ての建物が出来たのは昭和12年のことだという。そいでもって解体時点で館主が90いくつだったちゅうから、本人が小学生の終わりくらいに建ったことになる。要は温泉街の新興勢力のボンボンとして生まれ育ったワケだ。ちなみに経営者としては三代目だったらしい。

 ・・・・・・そ、三代目。俗に「初代が興し、二代目で傾け、三代目が潰す」などと言うけれど、まさに三代目だった館主は、会津若松の奥座敷として夜な夜な何百人もの芸妓があちこちの座敷に上がってた時代、あるいは戦後の大衆化の流れの中での団体旅行やスキー旅行の隆盛の時代に、若旦那として面白おかしく暮らした経験ばかりで、その後に到来する凋落の時代を予見する嗅覚や、それに対峙するだけのストレス耐性とか闘争心が養われてなかったんだろう。

 だからもぉどぉして良いか分からず、たとえ分かったとしても行動力が伴わず、とにかく先代の残した、そして自分の人生と歩みを共にした建屋を守る、ただその一点だけを妄執の拠り所、あるいはどこか免罪符にしながら、半ば現実逃避のように変化して行く状況に目を塞ぎ、取り敢えずはこれまで通りの商売を淡々と重ねる日々を過ごすくらいしか出来なかったんだろうとおれは睨んでる。そしていつしか、どうにもこうにもならない八方塞のところにまで追い込まれてしまった。
 恐らくは行政から何度も繰り返された警告や出頭命令にしたって、アグレッシヴな姿勢でシカトしてたのではないと思う。どうにもならん状況の中、老い先短い自分たちのことを考えると、倒れかけた旅館の中に引き籠って命運を共にするくらいしかできなかったのだ。スケールがかなり大きいとは申せ、これもまた一種のセルフネグレクトだとおれは思う。

 一説には東日本大震災で建物が致命的な被害を蒙り、自慢の岩風呂も源泉温度が下がってしまって手詰まりになったとか言われるけれど、高橋館の怪しさ、尋常でないボロさについておれが耳にしたのはその遥か以前のことだった。つまり震災はとどめを刺したに過ぎないのであって、もう何年も前からひたひたと迫りくる終末の予兆はあったのである。ちなみに末期は料理出すのも止めてしまい、素泊まりのみの4千円に加え、天気の悪い日は「雨漏り割引」500円(笑)となってたらしい・・・・・・そんなんするより早よ直せ!と言いたくなるよね?
 でももう、やろうにもできなかったのだ。気力も体力も財力も何ももう残ってはいなかった。今さら金掛けてどうするんですか?そんな金どこにあるんですか?借金せぇ、っちゅうんですか?そこまでして手入れしたところでもうすぐワタシ等寿命やないですか?ならば想い出の詰まったここでこのまま今までのように暮らした方が余程マシやないですか?倒れたら倒れたで、その時の覚悟くらいは出来てます・・・・・・おそらくほそんなトコが正解だろう。

 シッカリ手を入れてたら、川下にある名旅館の誉れ高い「向瀧」とだって張り合えるくらいの風格があったのに。

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 何も見ず知らずの御老人をディスりたくてこんな風に書いてるのではない。同じような思考回路の人は世の中にゴマンといるのだし、だからこそ周囲との関係を絶ってヒッソリとゴミ屋敷の中で孤独死するようなケースは最早ニュースにもならないくらい、毎日各地で発生してるのだし、それにおれにだって幾許かはそのような傾向や可能性が間違いなくあるからだ。

 現在社会問題化してる、殊に老人で顕著なセルフネグレクトの問題には、実は日本的な死生観や諦念がその底流に大きく横たわっていてかなり厄介ではないかとおれは思ってる。ではなぜ今まで顕在化しなかったかと言えば、地縁・血縁といったものが、「良くも悪くも」って但し書きが付くものの、そういった問題を上手くカバーしてたからだ。しかし地縁・血縁の紐帯が希薄になった中、いささか特殊なケースとは申せ、高橋館みたいなんまでが現れ出て来るのはもう時間の問題だったという気がしてる。

 そして同じような状況に陥ってる、あるいは予備軍の古い佇まいの温泉宿は、他にもまだまだあるだろう。いや、言い出せば寺社仏閣だとか商家だとか豪農屋敷だとか素封家の洋館だとか、他にも色んなパターンで日本中に溢れ返ってるんだろう。
 しかしそれらが民事不介入とやらの原則で同じような経過を辿って荒れるに任せ、失われて行くのは、やっぱし如何なモノかと思ってしまう。

2018.09.10

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