「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
根古屋の廃ホッパーへ


ひじょうに頼りない階段。少し歪んでることが分かる

 北関東の私鉄の大半がかつては鉱山鉄道だった、と言っても過言ではないと思う。

 今なお鉱石積んだ貨物が走るのは秩父鉄道くらいになってしまったけれど、昭和の終わり近くまでは多くの路線で色んな鉱山からの産出物が運ばれてたのである。もちろんそんな中には今では喪われてしまった路線もある。今回触れる根古屋にしても東武東上線の小川町から分かれる貨物支線の終着駅だったところだ。調べてみると廃止されたのが昭和42年だから、もう半世紀以上が経過してることになる。

 テツだったんで路線そのものの存在はかなり以前から知ってた。多数の明治の古典SLを有し、なまじ長い営業路線のローカル線が多かった故に財務状況が他社よりも厳しく、結果的にそれらを長く使わざるを得なかった東武鉄道らしく、ここも廃線になるちょっと前までネルソンだかピーコックだか何だか、優雅な形のクラシックな小型機が鉱石車を引っ張ってたハズだ。
 しかし、遺構が現在でも残ってることを知ったのは東京に越して数年、ネットで色んな情報が探せるようになって以降のことだ。モデラー心をくすぐる小規模なホッパーを中心に、電気小屋やら何やらが草叢に埋もれてるらしい・・・・・・と。ネットはやはり便利な道具だなぁ〜、って思う。

 実は根古屋の地に鉱山があったのは遥か昔の話で、鉄道が出来てワリとすぐに閉山しちゃってたりする。しかしその後さらに数キロ奥の皆野ってトコに大きな石灰鉱山が開発されたので、そこから産出される石灰石を一旦索道で運んで、ここで鉄道に積み換えてたのである。
 大して山奥でもないのに何でそんなややこしい方式が採られたのか?っちゅうと、根古谷から先で川が目的地に向かって大きく迂回するように蛇行しており、遠回りで鉄道延伸させるよりも索道で山越えして直線的に繋いだ方がコストも掛からず手っ取り早かったからだと思われる。小川町までの間、他にもかつては小規模な石灰鉱山があって、僅か4kmほどの短い路線なのに側線を持つ結構な大きさの途中駅が2つもあったりした。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 クルマで走っててここに鉄道の終点があったことに気付ける人なんてまずいないに違いない。比企丘陵や岩殿丘陵に連なるボサボサした雑木林の低い山裾と道路の間、僅かな空地が膨らんで再び窄まってるだけだ。実際、現役時代も本線・機廻線に加えて側線が1本あるだけのひじょうにささやかな駅だったみたいである。件のホッパーはたしかに、何だか潰れて経営者が夜逃げした鉄工所みたいな風情で斜面の中腹、放埓に伸びた木々の間からちょこんと顔を覗かせてた。しっかし、春でこんな有様だから、雑草の伸びる夏場だと近付くことさえ難しいと思われる。

 道路の反対側、まさに満開を迎えた桜が並ぶ空地に取り敢えずクルマを停め、向かうことにする。意外なことにたまに人の手が入って草刈りが行われてるみたいで、ホッパーの上まではまずまずスンナリ上がることができた。
 50年も前に廃止された鉱山設備っちゅう割にはトタンの波板があまり錆びてなかったり、外観の作りがやや近代的な気がする。ひょっとしたら施設としては鉄道廃止後も使われてたのかも知れない。ともあれ建物の隅に雑草に覆われた階段があるのを見付けたので、とにかくまずは入ってみることにする。

 俗に「韓国海苔状態」っちゅう、錆びでボロボロになった心許ない鉄階段が石積みの擁壁に沿って下ってってる。覗き込んでみると壁の途中に踊り場があってそこから方向を変えてさらに階段が下ってるのが見える。全体の高さは7〜8mといったところか。民家の2階よりは絶対に高いよね、コレ。落ちたらタダでは済まんやろうなぁ〜・・・・・・。
 慎重に下りなくちゃいけない。こういう時、踏み板の真ん中を踏むのは自殺行為と言える。付け根付近を足の裏全体で確かめながら慎重に踏みしめるのがセオリーだ。それでも階段全体が一気に崩落するリスクだってある。何せこの取り付きの階段、固定されてるのは下の踊り場と上の鉄骨の2ヶ所しかないのに、それさえ溶接がどこかで取れかけてるのか、何となくグラグラしてるのである。

 まずはデブのおれが鉄砲玉で降りる。何とか持ちそうな気がする。踊り場からさらに下る階段は雨風にあまり当たってないせいか取り付きの最初のよりかは随分状態が良いものの、やはり何となくグラグラすることに変わりはない。2つの階段を支える途中の踊り場自体がヤバくなって来てるのかも知れない。

 抜き足差し足忍び足、ようやく擁壁の下、何かの基礎が残るところにまで降り立った。やはりちったぁ痩せることを考えなくちゃいけないな、おれ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 規模は随分と小さい。10m立方くらいのトタンで囲われた建物に続いて、一段低くなって一回り小さな建物が階段状に繋がってるだけだ。同じ石灰鉱山系でも縦横無尽にコンベアが走り、様々な建物が入り組んだ迷宮のような戸叶鉱山や、荒地に様々な施設が点々と放棄された磐戸鉱山等、これまで行った石灰系鉱山と比べるとまことにささやかなモンである。

 現役時代どのような機械が入ってたのかは分からないけれど、頑丈そうな鉄の扉が高い所にあってそこから滑り台のようなシューターが設けられてるコトからすると、もっと山の上の方に索道のバケットから鉱石を卸す設備があって、ここまで落とされて来てたのだろう。下の建物には巨大な鉄の筒が横になって据え付けられてる。その途中には小屋の大きさに見合うだけの巨大な何かがあったハズだが、残念ながらそれは撤去され、今はコンクリの基礎だけが残る広い空間となっている。
 鉄の筒にはベルトやプーリーが取り付けられてるので、恐らくこれはさらに鉱石を細かくするボールミルだと思われる。鉄球を鉱石と一緒に回転させ、ドンガラドンガラ混ぜて細かく砕いて行くのである。だとすれば今はガランドウになった部分にあったのは、ある程度の大きさまで砕くジョークラッシャーあたりだろうか。いずれにせよ石をバキバキ粉砕してくワケで、稼働してた頃は随分とやかましかったに違いない。

 午後の光が僅かに差し込む中、今はもう全ては静まり返っている。この静寂が大好きだ。

 2階層目から外に出る階段は既に崩れ落ちてしまってた。おそらさらに下には細かくした鉱石を貯蔵するか、あるいは積み込むためのコンベアの大元の機械でもあったと思われる。下からよじ登ってたしかめることも考えたけど、人目もあるので止めた。大体、道路の反対側では今が盛りの桜を見ようと、クルマを停めて散策する人なんかがケッコーいるのだ。こちらは薄暗い中なので多分大丈夫だろうが、うっかり望遠でも向けられたらマズかろう。廃墟での行動は色んな意味で安全第一、慎重を期すに越したことはない。

 少し離れたところにはブロック積みの変電所らしき建物もある。やはりここも閉鎖する時、他に転用できそうなものは引っぺがして持って行ったらしく、さほど目ぼしいものは残っていない。ジャングルジム状の鉄フレームに並べられた碍子、6000Vと書かれた大きなのを筆頭に何台かのトランス、良く分からんスイッチやらメーターだらけの配電盤等が何故か砂利敷きのガランとした小屋の中に残る。そぉいや変圧器って大変高価なモノなんだけど、古いのは内部に絶縁油として大量のPCBが使われてる関係で転用できないって聞いたことがあったっけ。

 それにしても来た時から感じてた疑念はますます深まって来た。やはりちょっと設備全体が新しすぎる気がするのだ。例えばスイッチ類。戦前にできた施設ならここはプラスチックではなくベークライトを使ってるトコだろう。メーター類のカバーだって昔のものはガラスが普通だ。プラスチックはあり得ない。
 思えばボールミルっちゅうのもヘンだ。単なる鉱石積み換えの施設ならワザワザそこまで細かい粉末にする必要はない。原石に近いままドンドン貨車に積み込んでしまえば良いのである。それにそんな粉末を貨車に積んだら風で飛ばされてしまい、近所迷惑なだけでなく歩留まりが悪くなってしまうではないか。
 大体、ホッパーその他を囲う小屋をこんなトタン張りの軽量鉄骨で組んであるのも時代的に噛み合わない。さらにそんな素材の問題だけでなく全体の造作自体が70年代チックに思える。どうにも安っぽくてレトロ感が足りない。ああ、そぉいや変電所にしたって、屋根の上に太いコンクリートの橋脚らしきものが乗っかってるのがヘンだ。形状からするとさらに上にかつては何らかの設備が乗っかってたハズだ。
 それにそもそも、僅かながら残る現役当時の写真(これがまた不鮮明なんだわ!)と施設類の形も位置も異なってる。汽車の高さからするとかつてはもっと高い所に色んな建物があったように見える。つまりこれらは間違いなく鉄道時代の設備ではない。

 ・・・・・・いささか釈然としないモノを残しながらも、それでも沢山写真は撮れたし、まぁいっかぁ〜、ってな気持ちで根古屋を後にしたのだった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これらの疑問は帰宅してから、改めて国土地理院の空中写真サービスを穴の開くほど見て氷解した。やはりあのホッパーは鉄道に付随した施設ではなく、廃線後、セメント工場か何かにするために建て替えられたモノだったのである。おそらく元から存在してたのは鉄の扉が厳めしいシューターと、変電所に転用された建物くらいではなかろうか。
 画像を時系列で追っ掛けてったところ、鉄道廃止後もどうやら80年代半ば過ぎくらいまでは稼行してたようである。また、丁度ホッパーの下あたりから放射状にコンベアが広がってたことも画像から分かる。

 ・・・・・・グズグズうるさいな!だからヲタは困るんだよ!それでオマエはガッカリしたのかよ?って!?

 じぇ〜んじぇん!滅相もござぁせん。そらまぁ「産業の世紀の地蔵堂」(笑)くらいな感じでいささか規模的にはショボかったけれども、昔から気になってた場所にようやく行くことが叶って、そいでもって思う存分撮影敢行までできたんだから、おらぁジューブン満足っすよ。でもついついヲタの悪いクセで、どぉでも良いトコにオリジナル至上主義、実証主義的な拘りが首をもたげちゃっただけっすよ。スンマセン・・・・・・。

 そんなこんなで根古屋の廃ホッパー、鉄道の跡地にあるってだけで鉄道遺構ではなく、どうやら実は単なるセメント工場の廃墟であったっちゅう要らんケチが付いてはしまったものの、取り付きの階段が危ないコト以外はアプローチも楽だし、比較的コンパクトにまとまってて良い廃墟物件ではあったと思う。もちろん、これ読まれた方に行くことをオススメする気は毛頭ないし、何かトラブルが発生しても責任は取れませんけどね。

2018.09.08

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved