「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
それでも、頑張る・・・・・・千鹿谷鉱泉


こうして見るとソコソコ立派な千鹿谷鉱泉全景。浴室は画面左端の方にある。

 続に「秩父七湯」と称される鉱泉群がある。江戸時代くらいに八十八ヶ所巡礼がブームになって宿泊客が増えた頃に定められたらしい。それは新木鉱泉、鳩の湯鉱泉、柴原鉱泉、千鹿谷鉱泉、鹿ノ湯鉱泉、梁場ノ湯、大指ノ湯の七つを指すが、後の二つはかなり以前に消滅してしまっている。そして、ここからが大事なんだけど残る5つにしたって、ほとんどのトコはもぉ悲惨極まりない状況と言える。

 鳩ノ湯は先年廃業してしまった。柴原も元祖だった柴原鉱泉旅館は廃業してしまい、現存する「かやの家」は新たに出来たものだ。鹿ノ湯については流行ってる白久温泉と混同して紹介してる記事もあるが、それはまったく間違っている。本来の鹿ノ湯は白久の駅から南に2キロほど入った山の中にポツンとあったのだが、20年前に訪ねた時には既に立派な廃墟になっていた。何のこっちゃない、要は今でも流行ってるのは新木鉱泉くらいなモンなのだ。ここは今や秩父屈指の名旅館の一つとなっている。

 ・・・・・・で、トバした千鹿谷鉱泉についてである。

 ここは長年気にはなりつつも、秩父名物の土日祝の強烈な渋滞に巻き込まれるのがイヤだったのと、場所も他とは違い、ちょっと離れた小鹿野の奥の方でナカナカ上手いコース組みがしにくかったのもあったりして、何となくこれまで訪ねる機会に恵まれないままだったのだ。

 今春、そんなこんなで関東に越して来た時に一度行ったっきりで、それ以来何となく避けてた秩父にもっかいチャンと行ってみようと思い立ち、その旅の途中で千鹿谷鉱泉に初めて立ち寄ったのだった。
 そうして訪ねたそこは、いっそ思い切って廃業した方が余程マシではないかと思えるほどのリビングデッドな異空間に成り果ててしまっていたのだった。

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 県道から離れて数キロ、細い山道をグニグニ登って少し沢が開けたところに一軒宿の千鹿谷鉱泉はある。元は古い大きな建物だったのを、通りに面した側だけちょっと増築してモルタルのファサードでモダンにしたような作りだ。
 ムダに盛るのは趣味ではないので有り体に言っちゃうと、事前に予備知識はあった。何とココ、今では無人旅館なのだ。だから玄関先で大声をいくら張り上げたって誰も出て来ない。主人が先に亡くなり、残された女将が女手一つで何とか切り盛りしてたのが歳取ってどうにもならなくなり、本人は老人ホームに入っしまった。思えば鹿ノ湯鉱泉もそんな経過を辿って廃業したハズだ。
 そう、そこでフツーなら旅館としては終わってしまうのである。それを親戚なのか何なのか近所の家が律儀に毎日風呂だけは最低限掃除して湯を沸かして張り替えて、何とか続けているのである。何故か!?
 それは101歳を迎えたという女将の、秩父でも有数の古い歴史を誇る旅館の湯守としての意地とプライドなのだと思う。少なくとも自分の目の黒いうちは絶対に宿の灯を絶やさせまへんで、って固い決意あって頼んでるコトなんだろう。こんな例、他に聞いたことがない。奇跡的な鉱泉と言える。

 ガランとした玄関を上がったところには色んな書置きが文鎮乗せられて並べられてる。「只今留守中」ってアータ、ずっとやんか。脇に小さな抽斗の棚があって、温泉に入りたい者はセルフでそこに1人700円のお金を入れてくシステムだ。村の共同浴場や野菜の無人販売ならともかく、仮にもここは民間の個人経営の旅館でっせ。見ると下の抽斗にはお釣りの100円玉が沢山入ってる。大らかっちゃぁ大らか、しかしこれ以上の不用心はない、っちゅうくらいに不用心ではあるけれど、そんな不心得者はそもそもこんなところまでは来ないのだろう。
 何と風呂は24時間入浴可能らしい。冷鉱泉の沸かしだからしょっちゅうボイラーの燃料だって足さなくちゃならないだろうに、ホント、主がいなくなった今も湯だけは辛くも守られてるのだ。

 古い佇まいが随所に残る館内を見渡して風呂に向かう。男女別の狭い浴室はどちらも、いかにも鉱泉らしい小さな湯船が一つあるだけだ。一度に入れるのはせいぜい3人ってトコだろうか。重い木の蓋を一枚一枚めくると、秩父の鉱泉群に共通する微かな硫黄臭の漂う、無色透明で柔らかな泉質の湯が湛えられている。
 洗い場にまだ新しくて大きなポンプ式のシャンプーやリンスが何種類も置かれてあるところからすると、それなりの頻度で集落の人が入りに来てるのかも知れない。

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 とは申せ崩壊の影は確実に忍び寄って来ている。浴室から沢を望む窓を開ければトタンの差掛け屋根は半ば崩れ落ちてるし、どうしてもそこまでは手が回らないんだろうが、飾られた色んな民芸品や猪や狸の剥製なんかはうっすらと埃を被ってる。何より別に散らかってるワケではないにも拘わらず、どこか全体にチグハグな空気感が漂う。人が暮らさなくなった空家は、どれだけ調度類がそのままに残ってようが、どことなく不自然な雰囲気が段々と滲み出て来るモノなのだ。

 一階二階合わせると8室ほどある客室も、晴れた日には廊下の窓を開け放って空気を入れ替えてるためか、湿った感じや黴臭さは微塵も感じられないものの、紐が切れかけて傾いた掛軸や、隅に無造作に積み上げられた色褪せた座布団、廊下の奥に集められたガラクタ、埃っぽい空気等、やはり廃墟としての熟成が進みつつある物件特有の雰囲気が強い。
 ちなみにここ、自分で寝具持ち込めば泊まりは寸志だけで自由らしい・・・・・・が、おらぁちょっとこの雰囲気には耐えられそうにないな。それなら野宿した方がよっぽどグッスリ眠れるだろう。誰か豪気な人は挑戦してみてください。

 要は千鹿谷鉱泉、今はもうほぼ廃墟と呼んで差支えないトコまで来ちゃってるんだかイッちゃってんだか、とにかく終わりかけてるのである。それでもまだ浴室に近いあたりは古い造りで、木も昔の良材が使われてるせいかシッカリしてるが、元は食堂と厨房だったと思しき通りに面したちょっとモダンな方は安普請で材が良くなかったのか、裏側が大きく崩れてたりする。それが全体にまで広がるのにそう長い時間が掛かるようには思えない。人間で言えばこれはどう考えたって今際の際、虫の息の死にかけだ。
 そんな最早風前の灯の宿であるにも拘らず、湯だけはひっそりと24時間沸かされ続ける。これって人工呼吸でなんとか心臓だけは動いてる状態と何が違うのか・・・・・・冒頭で「リビングデッド」、といった意味がお分かり頂けたかと思う。

 そりゃぁ廃業して無くなってしまうよりは、どんな形でも残っててくれた方がナンボかマシだとは頭では思う。思いたい。しかし、主を喪ってユックリと崩れ行く無人の建物の中で風呂に入るのはやはりキツい体験である。気持がどんどん滅入って行く。ただただひたすらに哀しい。

 湯上りの気分はぶっちゃけ余り心地良くなかった。誰か経営を引き継ごうって人は現れないもんだろうか。いやもぉ300万くらいなら貧乏質に入れておれ買っちゃおうかな?


浴室はワリと近年に改装された模様。湯船の狭さが如何にも鉱泉らしい。

2018.08.30

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