「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
赤ちゃうやんけ!・・・・・・山形・赤湯温泉


落ち着いた雰囲気の丹泉ホテル内湯。湯は全く赤くない(笑)。

 わざわざタイトルに「山形」って付けたのは、「赤湯」と名の付く温泉が日本中に点在してるからだ。それらすべてを制覇してるかどうかは自分でも良く分かってないけど、まぁ殆どはその名の通り、炭酸鉄泉系のお湯で鉄分が大量に含まれてたりして赤褐色に濁っているのが普通だ。
 ところが新幹線の駅名にまでなってる山形の赤湯温泉、これがもぉちょっとも赤くないのである。無色透明無味ではない(若干の塩気が感じられた)ものの無臭で、これほど看板に偽りありな温泉名も珍しい。

 ウソかマコトかその歴史はかなり古く、およそ1100年頃に源義家の弟である源義綱が発見したとのことだ。そして家臣達がこの温泉で傷を癒した際、傷から出た血でお湯が真っ赤になったことから、赤湯と呼ばれるようになった・・・・・・ってそんなに出血してたら呑気に風呂入ってる場合とちゃうやろ!?死んでまうで!と言いたい。
 実際に温泉場として発達したのは、江戸時代に上杉藩の贔屓を得た辺りからのようだ。質素倹約の名君として有名な上杉鷹山も湯治に来てたという話が残っており、これは根も葉もない伝承ではなく実話みたいである。

 大きな温泉地はこれまで原則避けて来たのもあって、ここもまた長らく未訪のままだったが、先日取り上げた磐梯熱海同様、大きな温泉地にも大きいなりの何か良さがあるんちゃうやろか?ってな最近の意識の変化もあって泊まってみることにしたのだった。

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 前日の作並温泉から天道に出てタラタラと国道13号を南下、今は合併して南陽市って名前に変わった赤湯方面に向かってく。今日はその前に東の高畠近辺を丹念に回る予定なので、すぐに温泉地には向かわず、白竜湖を過ぎたトコで逆に東に折れて「ブドウマツタケライン」っちゅうマコトに直截な愛称の県道に入るコトにする。
 走りながら米沢盆地は意外なまでに低湿地であることに気付いた。山形ワインの本拠地で、葡萄っちゅうのは乾いた土地で育つもんだから、おらぁてっきり夏の猛暑にジリジリと炙られまくって干上がった平野を勝手にイメージしてたんだけど、それは全くの見当違いだったようだ。葡萄は南向きの山の斜面で栽培されており、平野の中は田圃ばっかしである。上記の白竜湖にしたって湿地帯の池っぽいし、道路沿いには小さな池やグジュグジュした感じの田圃、広い用水路が目立つ。たぶん、往古の昔の赤湯はそんな沼沢地の一角から湯煙を上げるようなところだったのではあるまいか。

 夕方近くになってようやく温泉に到着。泊まるのは「丹泉ホテル」といって烏帽子山の山裾、最も古くから温泉場があると思われる一角にある宿だ。「丹」は赤い色だし、「泉」は湧き出すものだから、赤湯をちょっとペダンティックに言い換えた名前なんだ、ってコトにこれ書きながら今さら気付いた(笑)。もっと賑やかな街並みを想像してたら意外なほどに静まり返ってる。すぐ隣は「金渓ワイン」、裏手は「佐藤酒造場」というどちらも地元ワイナリーとなっており、鉛丹葺きのシブい赤屋根が印象的だ。

 建物は結構古い造作の鉄筋コンクリートの建物で、多分、団体旅行華やかな時代に木造から建て替えて、それをそのまま今でも使ってるのだろう・・・・・・とは申せ内部は綺麗にリニューアルされており、老朽化した感じは全くなく、それほど華美ではないものの質実で小ざっぱりとした印象だ。
 もちろん街中の、それも観光旅館であるから混浴なんて望むべくもなく、男女別の大浴場にまずは向かう。いやまぁ一応は家族風呂もあるのだけど、ちょっと中見て敢えて入ることもないなぁ〜と思ったのでパスした。大きな丸い湯船の内湯がドーンとあって、外には観光旅館に良くありがちな庭を望む露天の岩風呂。湯はとても清澄でサラッとしており、ホンマこれのどこが赤湯やねん!?って思ってしまう。
 明治の初め、東北各地を踏破した碧い眼の女傑・イザべラ・バードは米沢盆地の様子を「東洋のアルカディア」などと最上級の賛辞をもって記し、赤湯での湯治の様子を「まったくエデンの園である」とまで書いたんだから、彼女の功績に敬意を表するならば、ここはやはり、どこの旅館も共同浴場も全部混浴のまま残すべきだったんぢゃなかろうか(笑)。

 夕食の時刻までまだ少し間があるので、浴衣に着換えて烏帽子山八幡宮ってトコに向かってみることにする。名前の由来となった「烏帽子岩」という巨石を観たかったのと、赤湯の町全体がどんな感じなのかを確かめたかったのだ。そんな大した上りではない。向かいの旅館の脇の急な階段を登り、見上げるほどの大鳥居をくぐるとすぐに到着。最近御朱印集めにハマッてるヨメは、店仕舞いで片付け始めてる社務所に下駄の音も高らかに慌てて走ってった。

 烏帽子岩は何でこんなんが山や神社の名前の由来になるんや!?っちゅうくらいに小さい、境内の片隅にある3mくらいの高さのどぉってコトない岩だ。いやいや、大きさだけで判断しちゃいけない、こりゃ霊験あらたかとかナントカ謂れがあるに違いないと思ったのだけど、それもさしたる伝承は無いみたいである。何だか良く分からなかった。
 神社から見下ろす赤湯の町もまた、これと言った特徴のない平らに広がった市街地だった。フツーに町だ。イザベラのオバハン、何にそんなに感動したのか、今の風景からは良く分からなかったりする。
 ボーッと町を眺めてるうちに何となく温泉名の由来も想像が付いて来た。古くこの辺り一帯が低湿地だった頃、自噴する温泉の熱で藻が繁殖して、たまたまそれが赤い種類のヤツだったから赤湯となったのではないかと思う。当てずっぽうで言ってるのではない。屈斜路湖畔にかつて存在した赤湯がたしかそんな由来だったのを想い出したのだ。

 それにしても、全国的に有名な温泉地であるにも拘らず、遠目にも巨大旅館らしき建物が見当たらないのが不思議だ。どこもみんな中小の旅館ばっかしなんだろうか。

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 大広間に行くと、料理内容には問題ないが、狭い会議机っちゅうか、お膳を横に2台並べたっちゅうか、全く奥行きの無いテーブルで斜向かいに座って食べるという、まことに奇妙奇天烈な夕食が用意されていた。今時そんな大人数で泊まる宿泊客なんていないモンだから、座敷のあちこちでグイチに向かい合った二人連れが何組もメシ食ってるっちゅう、これまで見たこのない奇観を呈している。

 食後、さっき見た風景にも一つ納得できない気がしたんで、今度は町中を散策してみることにする。
 街並みは京都の旧市街のようにほぼきちんと碁盤の目に通りが走ってるため、ひじょうに分かりやすく迷う心配はない。しかしながら小京都な風情はどこにもなかったりする。歩いてみてもやっぱしこれといって土産物屋街や歓楽街、風俗街が固まってあるワケでもなく、それどころか旅館さえもがスッカリ陽が落ちて暗くなった街のあちこちにポツリポツリと点在するばかりで、何とも茫洋として特徴がない。たしかにここは温泉地ではあるものの、「温泉街」と呼べるものが殆どないのである。しばし歩き回って戻ってきた自分たちの泊まる旅館の周囲が、僅かながら最も温泉街らしい雰囲気に満ちてることを知った。

 この点で赤湯温泉はあまり他に類例のない、変わってないことが変わってる温泉地なのかも知れない。しかしここは強調して言っておきたいのだけど、決してイヤな感じだとか、詰まらないとかではなかった。この何ともローテンションで平々凡々としたままデレーッと広がった街並みこそが、赤湯の最大の特徴であり個性なんだと思う。

 翌日、恒例の朝の単焦点散歩でもう一度昨夜と同じようなコースで歩き回ってみたが、夜の時とさして印象は変わらなかった。街角に名所旧跡があるワケでもなければ、古い佇まいがそこかしこに残るワケでもない。言っちゃぁなんだが、ただの地方都市の外れ近くの住宅街+α、ってな街並みだ。

 それでも何だかまたいつか泊まってみたい気分になったのはどうしてだろう?自分でも不思議だ。赤湯には何かエニグマがある。だから結構噛めば噛むほど味の出る温泉地なのかも知れない。侮れまへんわ、赤湯。


温泉地らしさの全く感じられない夜の通りをひたひたと歩く。

2018.10.24

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