「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
二軒の宿・・・・・・白鳥(山)温泉


喜楽苑の貸切風呂(以下全てギャラリーのアウトテイクより)。

谷底の露天風呂

 ・・・・・・おれは完全に見誤ってた。

 いや、千年に一度の規模で東日本大震災が起きて大津波が海岸を洗い、そいでもってフクイチが水素爆発起こして二重の大変なコトになって、もぉいわきの町はアカンやろくらいに思ってた。だってフクイチから直線距離でたった30kmくらいしか離れとらんのですよ。あのチェルノブイリの事故で避難区域に指定され強制移住させられた範囲が大体そんなんだったから、てっきりいわきもそんな風な取り扱いになるだろうと思いこんでしまってた。

 ところがどっこいぎっちょんちょん!(←死語の世界やね)、浪江町みたいにもっと原発に近い所からの避難住民やら震災復興関連工事での他所から来た作業員の常駐等があって、いわきは逆に人が増えてるのである(誤解のないように申し上げると、住民票のある人口は震災以降大きく減少している)。
 近年減少の一途を辿るばかりだったシブい鉱泉群も、観光価格ないわき湯本よりはお値段が安かったのが逆に功を奏してか、作業員の長期滞在の宿泊に使われたりしてそれなりに潤ってるトコが多いとも聞く。そりゃぁそのキッカケは未曽有の惨事だったから決して誉められたコトではなかろうが、ぶっちゃけ結果だけ見ると現在のいわきはそれなりに好景気の活況を呈しているのである。

 おれはどれも街中に近いのに素朴な雰囲気を残すトコが多いいわきの温泉・鉱泉が大好きで、ほぼ大体は訪ね尽くしてる。逆に入らないままだったのは、そんなすぐに廃業なんてあらへんやろ?って予想されるトコだった。今回紹介する白鳥(山)温泉はまさにそんな温泉である。秘湯でもワビサビでもない。

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 その立地はとても良い。常磐道のいわき湯本のインターから出てすぐ、フラガールの常磐ハワイアンセンター入口近くにある。市内へ下ってく道の途中、左に折れて狭い坂道を少し上がるともう到着、巨大な窪地みたいになったところに「喜楽苑」・「春木屋」という二軒の旅館が隣り合ってある。どちらの宿もけっこうな大きさだ。後はちょっと離れてJRAが運営する馬の湯治場みたいな施設がある。湯は一部は自家源泉らしいけど、大半はハワイアンセンターにある元の炭鉱坑道から出る温泉を使ってるとのことだ。1分間に4千リットル、かつては邪魔モノでしかなかった坑道出水が今ではいわき湯本の温泉資源なのだ。
 改めて地図で見るとビックリするのだけど、実は今ではもう旅館からホンの100mくらいのところにまで新興住宅地が迫って来てたりする。しかし宿の周囲だけは市街化の波から隔絶されたかのように深い森に覆われて、そんな近くに民家が立ち並んでるようには到底思えない。
 そうそう、何で温泉名にカッコを付けたのかっちゅうと、同じ場所にあるのに喜楽苑の方は白鳥山温泉、春木屋は白鳥温泉と名乗ってるのだ。どっちが正解かは判然としないが、多分仲が悪くていがみ合ってるんだろうな~(笑)。

 同じ場所には原則行かないおれにしては珍しく、ここは2度訪ねており、両方の宿に泊まった。

 最初に泊まったのは「喜楽苑」だ。「喜」は正しくは「七」を三つ並べた「」なんだけど、IMEに出て来ない。この字、たまに見かけるけど何なんだろうねぇ?七十七のお祝いを「喜寿」っちゅうのと関係してるのかな?
 ココ、所謂「提灯宿」で、さらに混浴の少ないいわき界隈にあっては珍しく混浴の露天風呂があったりする。玄関付近は一見平屋に見えるものの奥に行くほど渡り廊下で繋がった建物は下に向かって伸びており、ここは最上階ってコトになる。上述の通り低い山のてっぺんが擂鉢状の窪地になってて、何だかまるで火山の火口縁から火口底に向かって建てたかのようだ。大雨降ったら池になるんぢゃねぇのか?一体何なんだこの地形は!?昔、炭鉱の何かの施設でもあったのか?

 初めに結論から申し上げるとこの「喜楽苑」、あまり温泉に詳しくない人にも、それなりにマニアな人にもどっちにもお勧めできると思う。いわきっちゅうとついついそれなりに温泉街を形成してる駅近くのいわき湯本温泉街にばかり目が向きがちだけど、ここは是非とも候補に入れるべきだろう。部屋がまぁそこそこで風呂が良くて料理が良くて、それでいてお値段はさほど高くないのだから。
 旅館の規模からすると浴室の数は多い。宿泊客専用の別浴の内湯、日帰り客も入れる別浴の内湯(女湯にはオマケで露天風呂付)、離れて貸切の露天風呂、さらに擂鉢の底まで下ったところに混浴の露天風呂・・・・・・なんだかんだで4ヶ所に分かれてる。
 印象に残ったのは2つの露天風呂だ。貸切の方は南向きの雛壇になった斜面にあってとても開放感がある。風通しが良くて爽快だ。一方の底にある方は、差掛け屋根の奥がかつての炭鉱坑道を模したかのような支保工のある半洞窟になっており、対照的な雰囲気がある。あくまで人工的に設えたものなのは仕方ないが、ゴテゴテした余分な装飾も無くてなかなかセンスは悪くないと思う。

 料理も組み立ては和の流儀に従ってオーソドックスなものの、一品一品、華やかなヴィジュアルがまず目を楽しませてくれるようなモノばかりで、どれも手が込んでて美味い。オマケに驚くほどのボリュームだったりもする。

 一方の春木屋は対照的に全てがシブい。今時予約が電話かファックスっちゅうのも実にレトロだ。この点ではいささかマニアックっちゅうか、チャンスロスが多いような気がする。ぶっちゃけ集客の点では喜楽苑に大きく水を開けられてるんぢゃなかろうか。それかあらぬか、全体的に老朽化が進んでおりちょっとヤレ感が漂う。ちなみに福島県では最も早く梅の咲くポイントなんだそうな。
 建物の作りは同じような感じだ。入口は建物の上の方にあって、建物はやはり下に向かって伸びている。玄関前の駐車場にしたって実は宴会用の大広間の建物の屋上部分だったりする。
 案内された部屋は偶然だったのかも知れないが驚くほど広く、控えの間も入れると三間続きで16畳もあって2人ではいささか持て余してしまうほどだ。

 残念なのは風呂である。天井が高くて大きな別浴の内湯はまぁ温泉旅館としては標準的で可も不可もない。しかし、宿の裏手の階段を上がったところには名物の混浴の露天風呂があるハズで、結構これを愉しみにしてたのだ。事前リサーチでは石造りで落ち着いた雰囲気のナカナカの風呂だ。
 ところが実際は震災の遥か以前から壊れてしまっており荒れるに任せたまま、どうやら再開させる気もなさそうだ。そしてそのことをまったくサイト等で案内もしてない。これには大いに失望させられた。オマケに館内の案内板には赤のビニールテープを乱暴に貼ってあるだけ。これは客商売として余りに気配りに欠けるように思う。ついでにいうと、かつては別に鉱泉浴場もあったみたいだが、これも今は閉鎖されてしまってる。
 食事もそうだ。味にしたって内容にしたってもちろん悪いってほどでは決してない・・・・・・どころか十分美味しいんだけど、どうにも全体的には地味で華が無い。あとホンのちょっとの工夫や努力、配慮、注意、学習といったものがあればグッと印象も変わって来るだろうに、その「ちょっと」があちこちで欠けてる気がする。とても勿体ないことだと思う。

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 何となく気になったので、戻ってから驚異の地理アーカイヴである国土地理院の空中写真サービスで、改めてここが昔はどうなってたのか調べてみることにした。終戦直後くらいに米軍が撮影した写真はやや縮尺が小さくて画像の精細さに欠けるものの、特に炭鉱施設があったとかではなさそうである・・・・・・で、段々と年代を追って見て行くと、どうやら春木屋の方が先に出来ており、かつてはもっと規模も大きく観光棟以外にいくつか自炊棟らしき建物まで有していたことが伺える。それにあくまで画像からの推測ではあるけど、どうやら喜楽苑の方が後発みたいにも見える。

 何かちょっとフクザツな気分になった。追うより追われる方が大変なのは世の常で、実際あちこちの温泉地で後発に押されて老舗が衰えるケースは発生している。それにはいろんな理由があるだろう。老舗であることに慢心して努力を怠った、老舗のプライドでエグくなれず鷹揚にやり過ぎた、後継ぎが育たなかった、仲居その他スタッフの入れ替わりが無く人件費が上がり詰めた・・・・・・。

 ここは一つ、老舗の春木屋には頑張っていただきたいモンだ。隅々まで一度徹底的に館内を掃除し、露天風呂も鉱泉風呂も復活させ、現在の観光旅館の夕食のトレンドなんかも研究し、じゃらんや楽天なんかの力も借りながら集客に努め、両雄並び立つような温泉地になってくれたらなぁ~、って思う。


地下要塞みたいな独特の構造の「春木屋」全景。

この看板てガッカリするな、っちゅう方がムリっしょ?

2018.04.07

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