「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
何でマイナーなの!?・・・・・・磐戸鉱山


磐戸鉱山の威容。おらぁここはナカナカだと思うけどな〜。

 あまり名誉なこととは思えない「高齢化率日本一の村」が、群馬県の西端、長野県と県境を接する甘楽郡南牧村である。何とその記録は既に10年以上破られることなく続いており、今や平均年齢は70歳に迫り、人口約2千人のうち子供が80人くらいしかいない、っちゅうマコトに猶予ならん状況になってる。人口もこの50年で1/4くらいに減少した。「限界集落」って言葉は最近になって日本のあちこちで聞かれるようになったが、何とここは「限界自治体」と呼ばれてるのだから、その深刻さも自ずと分ろうと言うものだろう。

 何でここまで衰えたのかというと、あくまで個人的な推測だけどいくつかの理由が考えられる。

 一つは交通だ。古くから関東と信州を結ぶそれなりの街道筋だったのが、明治以降、より北回りの碓氷峠越えに鉄道が敷設され、人や物資の流れが集中してしまったことがまず挙げられるだろう。そして今なお道路改良はひじょうに遅れており、高崎方面に出るのはカンタンだが、信州方面に抜けるには延々と細い山道を登って行かなくてはならない。つまりほぼドン詰まりであって、これは盲腸線の終点が寂れがちなのと同じ理屈でひじょうに条件的に厳しい。そうそう、盲腸線と言えば山越えして信州を目指して敷設された上信電鉄(上州と信州を結ぶから上信なワケね。名松線みたい)も志半ばで力尽きて、下仁田止まりの寂れたローカル私鉄となってしまってる。
 その次は、富国強兵政策の中で輸出産業として生糸生産に国中が注力される中でこの周辺一帯は一大生産地となったのが(富岡製糸場もわりと近くだったりする)、その後の衰退の中でさしたる後継産業が興らなかったことだろう。何せ険しい山がちで平地が殆どなく、畑にしたって山の斜面に沿って見上げるような石垣の段々畑になってるようなトコだから、大規模な工場等を建てようもなかったのだ。
 3つ目は名所旧跡、あるいは寺社仏閣の古刹、はたまた温泉といった観光資源にまったく恵まれなかったことだ。最近になって世界遺産に指定されたとかで荒船風穴くらいまでは訪ねる人も若干増えたようだけど、南牧村はさらにその奥だ(笑)。そして南牧村自体にはホント、呆れるほどに分かりやすい観光地が何一つないのである。何もないのはそれはそれで今の時代貴重なコトなんだとおれは思ってるが、そんな考えの人はどしたってやはり多くないワケで、地元に対して金は落ちて来ない。

 かくして鶴舞う形の右の羽根の先は、たいへん深刻な状況なのである。磐戸鉱山・・・・・・正しくは磐戸鉱山「跡」はそんな南牧村の、下仁田町との境界近くの山の上に広がっている。

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 今も現役の鉱山であり、全国的にも珍しくなった乾燥小屋が僅かながらも現存する下仁田・青倉鉱山から谷を挟んだ反対側辺りに位置するのが磐戸鉱山だ。
 村のメインストリートである県道46号を南に折れ、村外れの狭い山道を上がってくとすぐに到着する。閉山した時期については諸説あるけど、設備の残存状況からするとそんなに昔ではないような気がする。80年代から90年代初頭ってトコではなかろうか?

 だだっ広い空地の端に山の斜面を利用した巨大なホッパーが残る。一部はコンクリート擁壁に鉄のシューターが等間隔に並んだ一般的なモノだが、特徴的なのはその隣、斜面に沿った巨大なパイプの下、トンネル状に作られたものだ。坑道掘りをしてたようにも思えず、何でこんな風に作ったのかはも一つ良く分からない。ホッパー上部は当然ながら貯鉱場になっており、黄色く塗られた囲いに肉太に大書された「安全第一・磐戸鉱山」の文字が如何にも鉱山らしい。周囲には今でもチャンと動きそうなユンボが置かれ、ヒューム管等が積まれてるとこからすると、この空地は今は資材置き場として使われてるものと思われる。

 白眉はさらにそこから上がったトコにある。ゲート手前にクルマを停め、さらに道を登って行く。ゲート脇の崩壊しかけた小屋はおそらくは警備員の詰所か何かだろう。グネグネ行くと、採掘された石灰岩を加工してたと思われる施設群が点在する一角に到着する。丁度ホッパーの遥か上に見えてた建物群に当たる。斜面の縁に立って見下ろすと、落ちたらひとたまりもないくらいの急斜面であることが分かる。景色はとても良く、遥か彼方の信州の山々までが見渡せる。そういう意味ではひじょうに開放感のある廃墟と言える。一面の雑草に覆われて、とかスチームパンク的な人工物に囲まれて・・・・・・な〜んて薄暗い物件がどうしたって多い中で、この陽光の降り注ぐ広々した感じはひじょうに好感が持てる。

 見渡してみると平地の広さに対して建物がいささか少ないような気がするんで、あるいは老朽化して崩壊の危険のある木造の建物等は既に解体・撤去されてしまってるのかも知れないが、それでも今なお大きな建物が、それらを繋いでいた長大なベルトコンベヤーと共に枯草の中に数棟残っている。
 こぉいった施設に付き物のDQNによる破壊や落書き等もなく、閉山した時のまま静かに朽ちて行ってる様子がひじょうに好ましい。とにかく廃墟は静かに時を重ねながらゆっくりと滅んで行く様が良いのである。

 石灰石について調べてみたところ、これって掘り出しただけではどうにもならず、粉砕して炉で焼成することで出来る生石灰、さらにそれに水を掛けて作る消石灰といったプロセスを経てようやっとマトモな商品になるモノらしい。当然品質を揃える必要とかもあるだろうから、ふるいに掛けたり選別したりと言った作業もあるだろう。まぁ金属鉱物の精錬ほどではないにせよ、売り物になるまでには結構めんどくさい作業が必要なのだ。したがっておれみたいな素人からしたらその用途が良く分からない工場が採掘現場の下あたりに建てられることになる・・・・・・もうちょっとチャンと作業の流れとか使う機械とかを理解しといた方が廃墟探勝は楽しくなるかな?何が何だかサッパリ分からんもん。

 さらに上に上がればベンチカットで開削された露天掘りの採掘現場が広大な荒れ地となって残っているはずだが、だが今回はそこまでは行かなかった。今は空地を利用して何かの新しい施設が出来てるようだし、そうだとすると迂闊に入り込んだら監視カメラや警報装置の危険だってある。無用の悶着を抱え込むのは得策ではなかろう。

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 それにしてもこの磐戸鉱山、現在、廃墟さえもがブームになってる中、規模的に小さいとはいえそれなりに施設群が良い状態で多数残り、ロケーション的にも優れ、さらには足掛かりも比較的良いっちゅうのに、あまり物件としては有名になってないのがとても不思議だ。平たく言っても一つパッとしないマイナー存在と言える・・・・・・そらまぁ、廃墟そのものがマイナーなモンと言えばそれまでなんだけど(笑)。
 ネット上にもそれほど大した情報は出て来ない。平日は件の上部に新しく出来た施設にダンプが結構行き来していて、入り込みにくいからかも知れない。今さら言うのも野暮だけど現場は厳重ではないとはいえ立入禁止なのだし。

 何百枚かの写真を撮り終え、ゆっくり元来た道を下って行く。まだまだ下草は枯れているけれど、山の緑はすっかり春の雰囲気、実に長閑だ。もちろん磐戸鉱山自体も再訪に値するんだけど、なんだか南牧村そのものをもっとあちこち訪ね歩いてみたくなった。

2016.07.02

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