「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
三河のダサさは国宝級


「とこにゃん」近影。恐ろしく巨大。

   名も知らぬ遠き島より
   流れ寄る椰子の實一つ
   故郷の岸を離れて
   汝はそも波に幾月

   舊の樹は生ひや茂れる
   枝はなほ影をやなせる
   われもまた渚を枕
   孤身の浮寢の旅ぞ

   實をとりて胸にあつれば
   新なり流離の憂
   海の日の沈むを見れば
   激り落つ異郷の涙

   思ひやる八重の汐々
   いづれの日にか國に歸らむ                島崎藤村「椰子の実」

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 行った旅については殆どギャラリーにまとめてキャプションなんかも付けてアップすることにしてる。しかし、ハズレっちゅうか、どぉにもまとめきれなくてそのままになってる場合もたまにはある。天気が悪かったとか、あまりにスベリまくりでしょうもなかったとか、理由はそれなりにあったりするんだけど、とにかくお蔵入りしちゃってるケースがあるのだ。文字通り「絵にも話もならなかった」っちゅうこっちゃね。

 ・・・・・・で、今回はそんなお話だ。話にならんことを話にしちゃおう、ってんだからどこかメタ的ではあるんだけど。

 場所は三河だ。三河っちゅうても奥三河、東三河とかなり範囲は広く、長野や静岡県境くらいまでが含まれるが、奥三河の日本な平凡な村の風景がそのまま残ったような深い滋味溢れる佇まいを、おれはかなり好きで何度も訪問してる。東三河の山深さもこれはこれでナカナカ味わい深い。新東名の浜松いなさICが出来て以来、そこを起点にけっこうあっちこっち出掛けるようになった。
 問題は太平洋岸の海沿いのもっとも一般的な三河だ。具体的には知多・渥美半島に囲まれた辺りだ。ホンマどぉにもならん、っちゅうのが目下の感想である。冒頭の藤村の詩は渥美半島の先っぽの伊良湖岬が舞台らしいんだけど、ホンマにここでこんな格調高い文語詩拵えよったんかいな?って茶々入れたくなった。

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 みなさんは浅野祥雲という人をご存じだろうか?亡くなってもう40年くらいになる、戦前から戦後の長きにわたって活躍した本邦唯一無二のコンクリ仏師だ。今ではB級・脱力観光マニアにリスペクトされまくってる。
 その作風は素朴にして稚拙といえばどことなく聞こえは良いが、まぁ一言で言って「ヘタクソなタイガーバームガーデン」みたいな彫像群を専ら三河の各地に作りまくった。なにせ本職がペンキ絵の職人だったせいか、どれもこれも見事にペンキで極彩色に塗られているのが最大の特徴で、今尚800体もの作品が現存する。元は看板屋っちゅうと蛭子能収を想い出すけど、そのヘタウマぶりはかなりタメ張ってると言えるだろう。

 ある意味、愛知の観光地のノリの本質は中国のそれに近いのではないかとおれは思ってる。そのままをそのままに愛でるってコトが根っから出来ない県民性なのかも知れないが、とにかく安っぽい仕掛けをアドオンしてコテコテしく仕上げるのが大好きだ。演出の基本は宗教仕立てが大半だけど、とにかくシュミが悪い。バッドテイストである。そういった県民性が浅野祥雲を活躍させたのではなかろうか。

 そうそう、焼物の町で有名な常滑に行ったときのことだ。随分衰えたとはいえ、今でも煉瓦造りの窯の煙突が建ち並び、迷路のように入り組んで狭く急な坂道の通りには黒塀の窯元が建ち並び、失敗作を活用したのか切り通しなどは、両側の崖が壺や水道管を土で固められてあったりして独特の渋い景観を形作っている。
 そんな中、異様なモノが立っていた。超巨大な招き猫である。あまりに巨大すぎて頭部しかないんだけど、それでも実に横幅6m、高さが3mもあって、もちろんチャンと彩色もされている。ただ、予算が足りなかったのか何なのか、頭部と言っても前だけで裏側は全くの平面だ。つまりハリボテに近い。チャンと名前が付けられていて「とこにゃん」っちゅうらしい。
 なるほど常滑は招き猫の生産量では他を圧倒しており、たしかに名物ではある。少し前には中部国際空港開港でこの辺は大いに盛り上がった。それは分かる。でもだからってこのシブい町に降って湧いたような、それもほぼハリボテの招き猫を拵えるセンスはやはり三河だなぁ〜、と半ば感心してしまった。浅野祥雲を育んだ風土は変わってない。

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 バッドテイストとっちゃぁ、蒲郡にある「ファンタジー館」もハズせないスポットと言えるだろう。こちらもB級・脱力観光マニアにリスペクトされまくってるカルトな存在だ。実は一度ツブれたのを、地元の干物屋さんがそのコレクションが失われるのを惜しんで買い取って近年営業を再開したっちゅう感動のエピソード付きだ。
 営業再開にあたって若干手直しはされたものの、展示内容は要するに貝でゴッテゴテにデコラティヴに拵えたいろんなもので浦島太郎を表現しました、ってな感じである。ちなみにこの辺は不思議なことに旅館の名前なんかにも浦島とか竜宮とか乙姫とかを名乗るトコがとても多い。
 ともあれサイケデリックでケバケバしい色彩の氾濫には圧倒される。使用されてる貝は実に5500万個!それがどぎつい照明で極彩色に照らし出される様子は、最早ファンタジーを通り越してドラッグ体験に近い。それもかなりバッドトリップの。

 バシバシ写真撮ってたら、人の良さそうなお爺さんがおれたちに声を掛けて来た。聞けば何とファンタジー館を買い取って復興させた干物屋の社長その人で、普段は非公開の2階を案内してくれるという。何でも今の消防法だと防火設備を入れなくては再開はダメらしく、それには1億くらい投資せんといかんのでそのままにしておかざるを得ないのだそうな。
 2階は巨大なレストランだった。もちろんこっちも一面貝殻だらけ。御丁寧に照明器具の傘まで貝殻で出来ている。1階よりも手が加わってない分、より開業当初の姿を残していると思われる。

 陳腐なイマジネーションの強烈で果てしない発露が生み出した徹頭徹尾フェイクな世界・・・・・・大変申し訳ないが、圧倒はされたものの感動はなかった。

 貝ネタっちゃぁもう一つある。「日本のシュバル理想宮」とも称されるこれまたB級マニアが賛辞を惜しまない貝殻公園だ。伊良湖岬の対岸、知多半島の先っぽにある。それは一言で言うと漁師だった山本祐一・良吉という親子が手造りで完成させた私設公園である。キッカケはまぁありがちで父親が見た夢のお告げっちゅうヤツなんだけど、そっからが凄い(父親の酔狂に付き合った息子もまぁ凄いが・・・・・・)。ひたすらセメントと貝殻を天秤棒で担いで、ファンタジー館同様の陳腐なイマジネーションの強烈で果てしない発露が生み出す異様な世界を20年かけて作り上げたのだ。浅野祥雲もそうだけど、セメント捏ねてオブジェを拵えるのは三河の流儀なのかも知れないな。
 長い階段を登った山の上にあるのは,白山神社はまぁ分かるとして、白山丸なる漁船とその上に建てられた展望台、意味不明の「若人よ 明治に続け ど根性」なるスローガンの添えられた大砲のオブジェ、鳥居、燈籠、ベンチ、テーブル、四阿、藤棚、そして点在する扇をモチーフとした看板(?)・・・・・・その全てにビッシリと貝殻が嵌め込まれてある。恐るべき執念である。

 しかし、ここで起きた感情もまた、感動と言うにはちょっと違ったものだったと言わざるを得ない。

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 みんなとても熱意を持って一生懸命、大真面目に展示物を作った。それは疑うべくもない。その情熱には深く敬意を表する。しかし、出来上がったものはぶっちゃけどれもこれもちょっとアレで難儀な代物ばかりだった。幼稚園児が寝食を忘れて嬉々として描いた絵を大量に鑑賞させられて感動しろと言われても困ってしまうでしょ!?

 技術、ありません。シュミ、悪いです。センス、野暮ったいです。量、やたら多いです・・・・・・それって詰まるところ途方もなくダサい。尋常でないレベルでダサい。
 その俄かに余人には真似しがたいレベルの圧倒的なダサさが1ヶ所ならともかくあちこちで氾濫している異様さこそが三河なのである。


ファンタジー館、2Fの壁のオブジェ。


貝殻公園、サッパリ意味不明の大砲。

2016.07.11

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