「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
もぉ完璧・・・・・・湯岐温泉「和泉屋旅館」


鹿の湯に入る(ギャラリーのアウトテイクより)

 「温泉両道に涌く湯岐と称す所以・・・・・・」

 幕末の水戸藩の藩士にして水戸学の大家である藤田東湖は3週間ほど湯治で逗留した湯岐温泉についてそう記した。あまりに簡潔過ぎて何のことやらサッパリ分からない。道の両側から温泉が湧くから?はぁ〜っ!?って感じだ。

 ・・・・・・でこの東湖さん、幕末の偉人の一人であり、後進に与えた影響もまことに大であった。ところが本人は随分ツイてない人で、前述の通り学識を謳われ、オマケに人柄は高潔で人望厚く、徳川斉昭(15代将軍である慶喜の父親)に大抜擢されて藩政改革にも尽力し、キッチリ成果も出したにも拘らず、彼が政争に破れて失脚したのに連座させられて幽閉の憂き目に遭ってしまう。
 不運はさらに続く。雌伏8年、ようやっとそれも解かれ幕府の要職に復帰できた途端、何たる悲劇か、今度は安政の大地震で崩れた家の梁の下敷きになって呆気なく亡くなってしまうのである。それも母親を助けようとして、っちゅうから、実際親孝行なとても良い人だったのだろう。ちなみに湯岐温泉に逗留したのは、江戸での幽閉が解かれた翌年のことだった。

 湯岐は「ゆじまた」と読む。かなり超難読だと思う。茨城と福島の県境をホンの少し福島側に入った、何もないボサボサした低い山中に三軒の宿が侘しく固まり、昔ながらの山峡の湯治場の雰囲気を今なお色濃く残す。

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 ここを訪ねるのは初めてではない。もう10数年前、山形屋旅館に立ち寄ったことがある。ここは日帰りの混浴岩風呂が有名で、岩の裂け目から湧き出す湯をそのまま囲って浴室にした、何となく岡山の真賀温泉の共同浴場を想い出させるところだった。
 今回泊まるのは温泉場の入口近く、坂道の途中に建つ和泉屋旅館だ。ちなみにもう一軒は井桁屋旅館といって山形屋の隣にある。昔はもう一軒あったみたいだ。

 湯元を名乗るこの和泉屋旅館、ウソかマコトか水戸藩から湯守を命ぜられ苗字帯刀まで許されてたらしい。今の当主は何と20代目で代々「大森和泉守」を名乗る。和泉屋の名前はそれに因むものなのである。藤田東湖が逗留したのもここだ。あくまで私見だが、他にも湯治場はいくらでもあったろうにワザワザこんな辺鄙なところを選んだのは、色々政情不安な時代でもあって人目を避けるためではなかったかって気もする。ヘタすりゃ暗殺とかもフツーにあった歴史の不穏な激動期だしね。

 さて、そんな和泉屋旅館、他の二軒に比べると随分大きい・・・・・・ったって玄関先はそれほどでもないのだが、奥に何棟にも分かれて建物が広がっている。言うまでもなく湯治場の名残である。今は残念ながらそんな湯治が隆盛を極める状況ではないけれど、シッカリと建物が維持管理されて残ってるのは嬉しい。
 さらに、玄関先からビシッと清掃が行き届いてるのがとても清々しい。これだけ広い館内を隅々まで掃き清めるのは大変なコトだと思うけど、この後、内部をウロウロしてもどこにもチリ一つ落ちてなかったのには感心した。
 通された二階の部屋もまた清潔そのものだ。何か、おれたちの予約した料金だともちょっと狭い部屋のハズだったのがたまたま空いたのでこっちにしちゃいました〜、と女将さんに言われる。唯一残念なのは全ての部屋が禁煙ってコトくらいだろう・・・・・・ヨメは喜んでたけど(笑)。
 それにしてもリーズナブルなお値段の個人経営の旅館とは思えないくらいに細かいところに配慮が行き届いてるのが嬉しい。浴衣は福岡の老舗である尾藤喜製、羽毛布団も素晴らしく良いモノだし、置いてあるティッシュまでが「鼻セレブ」と高級品だ。

 取るものも取り敢えずまずは温泉だ。館内には混浴の「鹿の湯」と別浴の「八幡の湯」がある。まずは鹿の湯へGO!
 ちょっと薄暗く素っ気ない造りの浴室内の中央には青いタイル張りの大きな浴槽、その斜め後ろに2人も入れば一杯くらいの小さな浴槽、さらに白いタイルで数十cmの高さに囲われてるのが源泉槽だ。覗き込むと下は岩で、割れ目から温泉が湧き出しているのが見える。他は何もない。窓越しに風景が広がるワケでもない。カランも申し訳程度にしか付いてない。薄暗く静まり返ったここはあくまで静かにじっくり浸かって湯治する療養のための空間であり、そんな身体だの髪の毛だの洗うことは考慮されてないのである。そんな観光の「カ」の字も感じさせない作りがとても好ましい。
 それが分からない人はこちらにどうぞ、っちゅうことなのか、八幡の湯はごく普通の旅館の男女別内湯だ。明るく、採光は充分で、異なる源泉を引いてるのか若干熱めの湯が湛えられた浴槽。ただ、不思議なことにこちらもカランの数は少ない。男女の仕切りに何となく後付け感があることからすると、元は混浴だったと思われる。ジーサンが一人、延び切って入ってた。

 泉質には特筆すべきものは何もない。無色透明無味無臭、あくまで清澄でかなりのぬる目。そんな湯が湯船の下から滾々と湧いている。本当は一泊二日なんて忙しない旅程ではなく、それこそ藤田東湖のように何週間も泊り込んで、死ぬほど無聊を持て余しながら一日中ダラダラと出たり入ったりを繰り返すのがやはりいっちゃん正しい過ごし方なのだと思う。

 ・・・・・・とは申せ現実問題、そんな時間の余裕はどこにもない。そんなこんなで現代の温泉宿に泊まる愉しみの半分はやはり食事だろう。

 この点でも和泉屋旅館は本当に素晴らしい。山の中だし季節が季節だけに山菜中心なのだが、どれも全部自分ちで山に行って摘んで来たモノばっかし、ってのがまず嬉しい。女将さんは「素人料理ですから」などと謙遜していたが、どうしてどうしてこれがもぉひじょうに美味い。さらに山菜中心っちゅうと、得てしてボリューム的には寂しかったりするものだが、近年衰え気味とはいえ未だ相当な大食漢のおれでさえ厳しいくらいのスゴい量。特に凄まじかったのが海老やら帆立に浅利、蛤等の貝類やらツミレやらが、これでもかっちゅうくらいヤリ過ぎに詰め込まれた鍋で、ほとんど汁の入る隙間が無い状態だった(笑)。
 フーフー言いながらようやっとの思いで食べ終えたところにさらにトドメの一撃、地元の銘柄牛である常陸牛のステーキ。これが実に200gくらいあって、コースの最後に出て来る量を遥かに超えている。
 当然ヨメはこんな凄まじい量食い切れるハズもなく、それも手伝ってたら動くのも苦しいくらい腹一杯になってしまった。

 つまりこの宿、非の打ちどころがないのである。もぉ完璧。バンザイですわ降参ですわシャッポ脱ぎますわ。こんなん久しぶりだ。フツーはどっかに必ずアラがある。それはそれで人間臭くてさほど悪いコトではないとは思うが、まぁやっぱしあまりにいい加減だったりするとイラッと来る。ところがココは違う。とにかく神経が行き届いてる。部屋良し、風呂良し、食事良し、もてなし良し・・・・・・まぁ、尋常でないボリュームの食事はニガテな人には辛いだろうが(笑)。

 翌朝、おれたちは大変良い気分で宿を発つことができたのだった。

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 東日本大震災とそれに続く福島第一原発の事故は深い傷跡を東北一円に残した。この湯岐温泉も風評だ放射性物質だなんだとその被害を蒙ったワケだが、決して悪いコトばかりではなかった。何と、永年に亘って少しづつ低下傾向にあった源泉温度が、震災を境に2〜3℃上がったのだそうである。

 定宿にしたい温泉場や温泉宿はおれの中でいくつかあるが、この湯岐温泉はその中でも最右翼候補だ。次は山形屋か井桁屋に泊まってみても良いかも知れない。いずれにせよこのシブくも味わい深い佇まいがいつまで残ってくれることを心の底から願う。


もう一枚(同上)

2016.12.14

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