「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
緩慢に滅びゆく・・・・・・横向温泉・中ノ湯旅館


旅館入口を望む。

 安達太良山の北側、磐梯から福島方面って観光地としては随分地味な存在になってしまってるように感じる。特に安達太良〜土湯峠界隈はその印象が強い。いや、てっぺんまで上がっちゃうと鷲倉・野地・赤湯といった秘湯群が今やあんまし秘湯とも呼べないくらいに賑わってたりするんだけど、その手前あたりがバイパスが出来たこともあってか相対的に地盤沈下を起こしてるようにおれには思えるのだ。

 かつては横向や箕輪は福島ではスキーのメッカでもあったのだけど、今はもうすっかり裏磐梯猫魔やグランデコといった、よりゲレンデが広く十分な滑走距離があり、さらには輸送力のあるリフトを備えたスキー場に人気が移ってしまっている。つまりいささかダサ古い「昭和な」存在になっちゃってると言えるだろう。

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 今や福島県を代表する廃墟(笑)にまで成長した、ヘアピンカーブの途中に巨大な骸を晒す横向ロッジを訪ねた後、その少し下にある中ノ湯を訪ねた。ここはかつてこの近辺の鄙び系秘湯を丹念に訪ね歩いた際に、コースから漏れて長年懸案となっていたトコだ。今はその上方にある上ノ湯「森の旅亭・マウント磐梯」って瀟洒な旅館がついでに経営しているようである。買い取ったのか、それとももともと同じ経営なのかは良く分からない。
 余談だが、逆に下流側にも下ノ湯「滝川屋旅館」という最も歴史があって湯治宿の雰囲気を色濃く残す超鄙び系の宿があるものの、こちらも頼みの綱の跡取りが早死にして今やもう廃業寸前の状況らしい。ちなみにここがかつては近隣で一番ブイブイ言わせてたんだそうな。

 つまり、3軒の宿のうちマトモにやってるのは1軒のみと、温泉地としてもかなり終わりかけてるのである。大変憂慮すべきことだと思う。今さら言うまでもなく温泉は重要な日本の文化だと思ってるが、それを形作って来たのは、決してコクドや大江戸温泉物語や藤田観光ではない。日本中の無名で零細な沢山の個人であり、その資本の基盤は極めて脆弱だった。

 ・・・・・・それはともかく中ノ湯旅館、聞き及んでた通りのボロさであることは遠目に見たトコからでも良く分かる。民家然とした建物全体に明らかに歪みが生じてしまっているのだ。スキー場があるくらいだから当然この辺冬場は豪雪地帯で、永年その重みに耐えた結果なのだろう。
 「純自炊湯治療養の宿、開湯元祖」と大書された建物に較べて妙に真新しい看板が駐車場に立つ。暗に「アメニティ目的の観光客は来ないでね」と言ってるワケだ。

 軋んで重い玄関の引き戸を開けると上がり框に木の桶が置かれてあって、そこには「用があって外出してるんで入湯料300円をここに入れて下さい」との張り紙がある。不用心っちゅうかアバウトっちゅうかエエ加減っちゅうか、要するに殆ど商売する気が無いのだろう。
 財布を改めてみると細かいのが生憎入ってない。仕方なく千円入れて桶から400円お釣りを貰った。貰って当然っちゃ当然なんだけど、セルフでお釣りを取るって何となく変な罪悪感があるものだ。

 何せ「純自炊湯治療養の宿」であるからして・・・・・・って言葉をタテに開き直ってんぢゃねぇのか!?(笑)っちゅうくらい玄関回りにもこれと言って飾り立てたものはない。唯一目立つのは玄関脇に据えられたストーヴかボイラーか分からなかったけど、巨大なタンクくらいなモノだ。
 早速、階下の浴室に向かうことにする。階下と言っても地下ではない。沢の斜面に建てられて、風呂は水面近くにあるのである。脱衣棚、温泉効能書、何故か鉄平石の敷き詰められた床・・・・・・すべての造作が古色蒼然とした佇まいで好ましい。
 浴室は混浴の広いのと女性専用の小さいのに分かれているが、仕切りは全面窓になっておりあまり役には立ってない。元は混浴だったのを無理矢理分けたのだろう。
 昼下がりの薄暗い浴室もまた素晴らしくレトロだ。酸性が強いのか木張りの床と木の浴槽。泉質は硫黄分でホンの僅かに白濁し、若干の鉄分を含んだような褐色も感じられひじょうに熱い。谷川に面した窓を跨いで外に出ると、流れのすぐ側に岩をコンクリートで固めただけの露天風呂が3つほど点在している。四阿も何もなく、ただ河原に窪みを作った簡素なモノだ。いずれも3人も入れば一杯の小さなもので、あまり入る人もいないのかいささか手入れは行き届いておらず、足を入れるとモラァ〜ッっと枯葉が浮かび上がってきた。そして黒いゴムホースから流れ込む湯は内湯よりさらに熱い。側を音を立てて谷川が流れる。

 これくらい書けば大体その情景は書き尽くせたろう。

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 風呂から上がり、玄関横の板の間の部屋で休む。廊下をそのまま広げたような変わった部屋だ。梁に幾つも窪みが作ってあって、冬場は物干し竿を渡し掛けて乾燥室にするためだろう。サンルームみたいなモンだな。部屋の奥からも階下に下る階段があることに気付いた。

 思えば、おれが温泉巡りを始めた30年ほど前、こういった鄙びた宿は既に各地で少なくなりつつあったとはいえ、それでもまだまだ沢山あって、さほど苦労することなく見付かったものだ。しかし、その後の秘湯ブームだとかそんなんをよそに、それらの零細でオンボロな有象無象の古びた旅館は少しづつ、しかし着実に消滅して来ている。リニューアルして瀟洒な建物に建て替えられた、ってゆうのならあまり面白くはないもののそれでも残ってるだけまだ千倍マシだろう。無くなってしまうのはどうにもならない。
 その原因を考えるに、もちろん経営努力が足りなかったってのもあるだろうし、後継者難なんてのもあったろうが、もっと背後にあった湯治の文化、そしてそれを成り立たせていた農閑期、つまり農業文化が日本から急速に喪われて行ったことがやはり最大の要因だろう。たまの休日におれたちのようなのが気紛れに立ち寄りで訪ねたって、商売のタシにもならんのである。

 出掛けてったらとうに消滅しちゃってた、あるいは訪問後何年もしないうちに廃業しちゃった・・・・・・そんな宿が今では膨大な数に上る。喪われ行くもの、滅びゆくものへの興味がおれの色んな行動の根っ子にあるとはいえ、モノには限度があるのも事実で、その何とも言えない寂寥感や空漠感におれは段々耐えられなくなり、温泉に対する興味そのものがこの数年は失せかけてしまってるのだ。

 おそらく、この中ノ湯旅館にしたって今の建物に限界が来たらそこで終わりだろうと思われる。建て替えて同じような自炊宿では元が取れないだろうし、だからって巨額の費用を投じて観光旅館にリニューアルしたところで横向温泉自体がこんな状況では、却って大火傷を負うだけだろう。
 つまりこうして塩漬けにするしかないのである。殆ど維持費を掛けず、ボロさに萌えて来てくれるおれたちのような奇特な客相手に細々と引っ張る、と。あと5年か10年か、それは分からないが、緩慢に滅び行くのを入浴客であるおれたちだけでなく、経営者の側までもが見守るしかない・・・・・・そんな八方塞がりの限界状況に、ここだけでなく日本中の小さな温泉宿の多くが追い込まれてると思う。


露天風呂をバックに。

2016.05.21

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