「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
そこにナローのレイアウトがある・・・・・・三信鉱工


好ましいフォルムのホッパー。

 まずは上の写真をトクとご覧頂きたい。興味の無い人にはサッパリ意味不明だろうが、見る人が見ればおれの言わんとするコトは自ずと分って頂けるだろう。そしてそんな方はこれから先を読む必要もないだろう。

 分からない人のためにまずは説明を付け加えると、これは鉱山で掘り起こした鉱石を溜めておいて下に落としてトラックなり貨車なりに積み込むための「ホッパー」っちゅうモンである。コンクリートでできたのはそれこそ街中の生コン屋等にもあるけれど、木造となると今では極めて珍しい。おれも実物を見たのは初めてだ。70年代半ばくらいまではそれでもまだ探せば日本各地に木造ホッパーは残存してたようだが、今となっては産業遺産級に見掛けなくなってしまったものと言っても過言ではない。

 それがこの21世紀の日本に未だ残ってるのである。場所は愛知県は北設楽の山奥だ。

 オマケにここ、俄かに信じられないことだけど、未だに手押しトロッコで長閑に坑道掘りをやってる現役鉱山なのである。今時、手押しだよ!手押し。
 かくも奇特なこの鉱山、その会社名を三信鉱工という。今時何でそんな悠長な商売が成り立つのかというと、産出品が世界的にも極めて高品位で競争力があって引く手あまた、業界では圧倒的なシェアを誇ってるからだ。驚くべきことに国内シェアはほぼ100%、世界でも50%以上っちゅうからほぼ独占企業に近い。
 掘り出されてるのは雲母・・・・・・それも絹雲母(セリサイト)と言って極めて肌理の細かい上質なモノで、ファンデーション等の化粧品に混ぜ込んで煌めきを出すのに欠かせない原料なのである。セルライトは美容の大敵だけど、セリサイトは必要不可欠なのだ・・・・・・嗚呼、我ながらしょうもないダジャレだな。
 ともあれ、用途が工業製品と言ってもそれほど大量生産/大量消費されるものではなく、そもそも高付加価値なモノであったことがこんな小さな鉱山を永らえさせてくれたのだろう。

 もう今から40年近く前になる。70年代の終わりに元祖鉄道模型出版社である機芸出版から「ナローゲージレイアウトの製作」っちゅう小型本が出された。今でいうムックみたいにテーマを一つに絞ってあって、900×300のボードに小さいけどリアルなレイアウトを作りましょう、ってな内容だった。ひじょうに実践的で分かりやすく、サイズ的に初心者にも比較的取っ付きやすいこともあって、当時としてはかなりのベストセラーになった・・・・・・ったって、そもそもがマニアックで零細な世界なんだけどね(笑)。
 その中に、手押しトロッコで積み込む木造ホッパーの図面付作例、っちゅうのが出て来た。いや〜、マニアックやね。積込口(シューター)が3連の、実物にしたらかなり大きなものである。今は亡き乗工社からお手軽なペーパーキットも出たので作られた方もあるいはいらっしゃるかも知れない。
 それはともかく、ここで特筆すべきは当時既に、そのようなストラクチャーはほぼ過去の遺物になってしまってたってコトだろう。70年代初頭くらいから急速に広まったナローゲージのブームには初めから懐古趣味があったのだ。

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 別所街道こと国道151号線は、100番台国道としては呆れるほど道路改良が遅れた道である。天竜峡から南下して行くと愛知県に入った辺りからたまに離合にも窮するほど狭い山道や村の中を抜ける通りが現れたりする・・・・・・って、こんな書き方したけど、もちろんおれとしてはさほどイヤではない。生活から遊離したバイパス道が山の中でも延々と続いてるのは走りやすいけど面白みに欠けるってモンだからね。
 愛知県最北端、人口僅か千人ちょっとの豊根村を過ぎるとその次が東栄町だ。町ったってここも人口三千ほど、実は北設楽郡一帯が全て深刻な高度過疎地域と化してるのである。
 その東栄町の中心部に入る手前で国道を外れ、さらに狭い県道に入って数キロ行くと振草っちゅう小さな集落に出る。ここに件の三信鉱工はある。道沿いには小さいけど瀟洒でモダンな作りの本社ビル、「世界の化粧品に貢献する」とシャッターに大書された倉庫等が並んでおり、これだけ見たらまさか恐るべきレトロな設備群が奥に控えてるとは思わないだろう。鉱山であることを物語るのは本社ビル前のいささかユーモラスな坑夫の銅像くらいだ・・・・・・って、あのぉ〜、持ってるのツルハシぢゃなくて斧なんっすけど(笑)。

 この本社前から狭すぎてナビにも表示されない方に曲がると・・・・・・うわぉ!いきなりあった。日向坑である。道路脇にいきなり坑口があって、暗い穴からトロッコの頼りない線路が複線で出てる。今日は休みってことでか、頑丈な鉄の格子戸は閉じられている。上には安全祈願の非常に立派な神棚が祀られる。5〜6mほどですぐに線路は纏まって、小さなターンテーブルに繋がっており、さらに4条のレールが放射状に伸びる。一つは2mほどで途切れてるのでまぁ引込線だな・・・・・・で、もう一つが何とインクラインになって急角度で上に伸びている。現役のインクラインもおれは初めて見た。
 つまり、坑道から引っ張り出したトロッコをターンテーブルで方向転換してインクラインで上に持ち上げるって寸法だ。持ち上げたところでトロッコをひっくり返してホッパーに落とすのである。そんなワケで隣は2連のコンクリのホッパー、さらに道路沿いに休憩所や作業小屋等が並んでいる。小規模ながら全ての要素がここにはある。

 そのまま狭い道を山に向かって登って行く。道沿いに所々木の色も真新しい丸太が積み上げてあるのは、支保工といって坑道の支えにするための坑木だろう。そして大きく右にカーブした先に、斜面にへばり付くように件のホッパーが見えた。本多山坑と西坑だ。

 鉄道好きなおれにとっては残念ながらダンプに積み込むためのホッパーとはいえ、寄木細工のような精緻さと乱暴なアバウトさが入り混じったマニエリスティックな作りは激しくモデル心をくすぐる。
 実は少し離れてもう一つホッパーがある。こちらは鉄骨と木造のハイブリッドだ。木造のが壊れて鉄骨で補強したのかも知れないが、こちらも何とも大雑把なのか細かいのか良く分からない造りだ。
 これら2棟のホッパーの間をこれまた好ましい、今どき観光地の遊歩道でも見かけないような木のスロープが上に向かって伸びている。申し訳程度の立入禁止の黄色いプラ鎖は地面に落ちたままだ。

 ・・・・・・ここまで来てホッパーの上がどぉなってるかを見ないワケにはどしたって行かないだろう。

 ギシギシ軋む急なスロープを上がったおれはさらに驚いた。そこにはもう日本ではとっくに失われたハズの光景が広がっていたのだ。2つの坑口から延びた頼りない線路が雑草に埋もれながら複雑に分岐して急角度であちこちに引き回されている。下から見上げて2棟と思ってたホッパーはどうやら3つだったようだ。
 ただ、上がってみて改めて気付いたのだが、この2つの坑口は最近は使われてないように思えた。周囲の建屋はあちこちがかなり傷んでいるし、手押しトロッコならば線路内は踏み固められて雑草はそう伸びないハズなのが、けっこう埋もれてしまってる。

 下を見ると斜面の下の方にもトロッコの線路が見える。多分、井戸入坑だろう。そっちはかなり新しい雰囲気だ。他にも一番坑、拾石坑、北国坑なんて坑道が山中に口を開けてるようだけど、さすがにそこまで入り込むのは遠慮せられた。ちょっと惜しいコトをしたかもしれない。


 ただもう数十mの線路が引き回されてボロッちい小屋に突っ込んでるだけの風景と言ってしまえばそれまでだ。実際そうなんだし。しかし、それは子供の頃、本当に心の底から見てみたいと希求していた風景だった。それが眼前にある。なおかつ現役感バリバリで。
 もちろん、これまで何度も廃墟と化したケースは見て来た。しかし、それらはあくまで抜け殻みたいなものだった。それはそれでもちろん風景としてはいろんな情念を掻き立てるモノではあったし、廃墟には廃墟の美があるんだけれど、無邪気かつストレートに楽しめるものではなかったと言えるだろう。

 この時のおれは恐らく猛烈にアホな顔をしてたと思う。

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 さてさて、家に帰ってもちょっと三信鉱工のコトを調べようと、公式ホームページを開いてみて意外なことに気付かされた。

 何と!本多山坑が開削されたのは平成8年となっている。つまりまだ20年も経ってないのだ・・・・・・っちゅうことは、このレトロ感溢れる木造ホッパーも平成の世になってから建設されたことになる。今時コンクリや鉄骨で作った方がずっと早く、安く、そして頑丈なモノが作れるだろうに、何を好き好んでワザワザこんな古風なモノを拵えたのだろう?大体、手押しのトロッコといい、この余人に理解不能なマニアックな拘りは何なのだ?

 ひょっとしたらここの経営者は猛烈な鉄道、それもナローゲージのマニアなのかも知れない。いやもう、そうでも思わなければ俄かに納得できないほどにこの鉱山には過去のストラクチャーが一杯なのである。  

2015.11.04

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