「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
驟雨の甲子高原


風呂上りに涼みつつ、篠突く雨の物憂い外の景色を眺める。

 甲子高原は白河の西方、那須の北側一帯に広がる高原地帯である。

 ちなみに「こうし」でも「きのえね」でもなく、「かし」と読む。まぁ、甲子夜話を「かっしやわ」と読むのと似てる。名前の由来は元は隔絶された一軒宿の秘湯であった甲子温泉「大黒屋旅館」の源泉が甲子の年に発見されたことに因むらしい。前述の甲子夜話や、あ~そうそう甲子園もそうなんだけど、甲子が他の十干十二支の組み合わせと異なり特別にこうしてよく出て来るのは、甲も子もそれぞれの最初、つまり10と12の最小公倍数の60年で1サイクル(だから60歳を還暦っちゅうワケやね)のフリダシに当たる縁起の良い年とされてるからだ。そぉいや甲子正宗なんて日本酒もあったっけ。

 今でこそ白河から会津へのショートカットルートとして行き交うクルマもずいぶん増えた。しかし実は全通してからまだ10年も経ってない。昔は大黒屋のトコで車道は途切れ、その先の登山道に国道標識が立つ酷道として永らく有名な道だったのである。初訪問の頃はまだクロカン4WDに乗ってた時分で単独行だった。ここから一旦引き返して羽鳥湖に抜け、ガタガタの林道を越えて二岐温泉、さらに岩瀬湯本温泉と辿って会津湯之上に抜けたと思う。
 変わったのは道路事情だけではない。大黒屋旅館も近年改築されて随分立派になった。温くて巨大な混浴の内湯は今でも変わらずにあるらしいが。

 今回、甲子高原に泊まることになったのはただの偶然の産物である。当初ネコを連れて行かねばならない事情があったので、ペットOKのトコを探してるうちにそこにある宿が引っ掛かったのだ。キャンプ場ならともかく、旅館でペットOKのところはまだまだ少ないのである。別にそれを残念とも思わないし、ボヤく気もない。
 飼わない人からすればペット同伴なんて鬱陶しいだけだし、大体、遠出に連れて行かれることはペットにとってストレスであったりもするのだから。誰も彼もがペット連れで旅行する必要なんて、ない。おれだって極力連れて行きたくはない。今回はどうにも子供たちの段取りが付かなくて、放って置くワケにも行かず仕方なく連れて行くことになったのだ。

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 何のこっちゃない、結局ネコは連れて来ずに済んだ。土壇場になって子供のスケジュールが空いて、預かってくれることになったのである。しかし、だからと言っていきなり宿は変えられない。
 目の前にはいささか昭和の雰囲気な鉄筋コンクリートの旅館が建っている。リニューアルの資金がままならないのか、かなり古びてヤレの目立つ建物だ。玄関先には大人しい犬が飼われていて、盛んに尻尾を振って近寄って来る。ネコと異なって犬の愛嬌は単純明快で良い。
 う~む、ぶっちゃけペット同伴でなかったら選んでなかったろうな~、と内心独りごちながらフロントで手続きを済ませ、早速部屋に入るとこれまた昭和の風情。窓際の板の間部分に敷かれた色褪せた赤い絨毯とカーテン、古風な冷蔵庫、古いけどアンティークな感じは全くない椅子。部屋風呂の扉は釘で打ちつけられてしまっている。トイレもタイル張りの和式に透明なビニールサンダルとこれまたシブい。オマケに電灯が暗い。部屋は広いのに、なぜかユニット洗面台は出入口のすぐ横にあるのも取って付けた感が溢れてて良い。
 窓を開けてもさほど眺望絶佳ってワケではない。下に張り出してるのは浴室で向こうは切り立った深い谷になっているのだが、あまりに深くて何だか良く分からない。
 風呂もまた同様。出掛けてそれほど経ってないのに記憶が曖昧になってるのは、そらまぁおれが歳食ったせいもあるんだろうけど(・・・・・・って、そこまでではないか、流石に)、あまりにも特徴の無い普通の別浴の内湯だったからだ。ああ、何か痩せぎすのオッサンが後から入って来て、やたら大きな声で「はぁ~最高だ~!」とか「うう~、スッとする~!」とか言ってたっけ。

 部屋に戻ると、旅館に着いたころからポツポツ降り始めてた雨が突然堰を切ったような豪雨に変わった。慌てて開けていた窓を閉める。雨音が低い地鳴りのように室内にまで届くほどの激しい雨だ。アッと言う間に風景が真っ白に霞み、それまではガスった彼方に水墨画のように見えてた向こうの山も見えなくなってしまった。山の驟雨は部屋の中に居ても何となく怖い。

 思えば甲子高原に来るのはこれでもう三度目だ。最初は冒頭の通り単独行で、二度目は悪友のtと野郎同士の気楽な野宿旅だった。珍しくヨメとはこれまで来たことのなかったスポットである。
 そぉいやいつも天気が悪かった。確か1度目は前夜に今は無き那須の高雄温泉脇で滝のような雨の中車中泊し、次の日、今にも降り出しそうな低い雲の下、大黒屋旅館を訪ねたんだったっけ。
 二度目はもう細かい場所は忘れてしまったが、今回の宿の近くでサイトの下が木のスノコになったキャンプ場だった。夕方、白河まで下ってラーメン食って、戻って中でチビチビ酒盛りしてたらその時もたしか急に猛烈な雨になったと思う。夜、シーズンオフの誰もいないキャンプ場で、山用並みに狭いテントの中でオッサン二人が飲んだくれてるのは、ハタから見ればかなりの奇観だったろう。豪雨に降られるテントの中は、おちおち寝てられないくらいにうるさく、パラパラタラタラとスネアドラムをいくつもロールしてるような喧しさだった・・・・・・。

 どれもついこないだのことのように思ってたら、何時の間にか10年以上が過ぎてしまっている。 何だか冷たい汗が落ちたような気持になった。

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 これで食事が不味かったらどうにも宿への不満が募るだけだったろうが、夕食は他の設備の貧弱さを補って余りあるくらいとても美味かった。豪勢さはないけれど素朴で実直な山の味が大名膳の上に何品も並んでて嬉しくなる。
 食後、しこたま飲んだにも拘らず、談話室みたいなトコに卓球台があったので戯れに温泉卓球をやってみる。一気に酔いが回りまくる。ヨメとは全く勝負にならない。だって脚はもつれるわ、ボールが二重に見えるわってんだからこりゃもうどぉしようもないわな。

 どれくらいやってたのか、雨はいつしか上がり、表の広い駐車場の濡れたアスファルトが水銀灯に照らされて冷たく光っている。酔った眼差しで半ば茫然と眺めながら、そしておれは微かに苛立ってることに気付いたのだった。それは決してヨメに打ち込まれまくったからではない。

 次の日、フロントに置かれた観光マップを見てるうちに何となく予定を変更する気になったおれは、会津の奇勝・塔の岪(へつり)と民俗学の巨人・宮本常一が「発見」した大内宿に行くことにした。どちらも有名観光地にして十数年ぶりの再訪だ。いつもマイナーなトコばっかし連れ回されてるヨメからは、初訪問ってコトもあってひじょうに好評だった。

 過去に行った所は外すようにして、記憶を再確認するような旅をこれまでおれはなるだけ避けて来たのだが、それは、そんなのもアリな歳にますますなって来てることを自分自身に因果を含める行為だったと言えるだろう・・・・・・もちろんそんなこと、ヨメには黙ってたんだけどね(笑)。

2015.07.22

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