「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
奇想を巡る旅(U)・・・・・・昆虫千手観音


全部虫で出来てます。う〜、サブサブッ!

 「日本一の猛暑の町」で売る群馬県館林市はそれなりに全国区で名が知れてるんだろうけど、その東隣に位置する板倉町は東洋大のモダンなキャンパスが目立つくらいで、さしたる観光名所もなく実にマイナーな町である。実は群馬県東端の町であって、この辺りでグンタマチバラキの県境は複雑に錯綜しており、渡良瀬遊水地沿いなんかを走っていると何度も県境を示す標識が現れたり、何てことない田んぼの用水路が三県の境界線になっており律儀にそこにも標識が立てられたりして、行政区って何だかクダらないな〜、って気分になって来る。

 今回紹介する昆虫千手観音については、日本のバッドテイストの極北的存在としてずいぶん以前からその存在は知ってたものの、如何せん上記の理由でどうにもコースが組みにくいってコトから未訪問のままになってたのだった。ホント、この板倉町を始めとして明和町、千代田町、大泉町といった邑楽郡に属する利根川北岸の町は呆れるほどに観光名所に乏しい。ウソではない。各町のホームページを見ていただければ一目瞭然だ。何にもない。ただもう夏ともなれば茫洋と広がる水田が煮えくり返る光の下でギラギラし、冬には赤城颪の空っ風が吹き抜けるだけである。

 それはともかくとして、千手観音っちゅうのがそもそもかなりバッドテイストな存在と断言して構わないだろう。ワシャワシャと生えた手はそれだけでまず虫っぽい。実際のところ本当に1000本作るのは相当めんどくさかったみたいで、作例で1000本生えてるのは信仰の広がりからすれば極めて珍しく、奈良の唐招提寺や大阪の葛井寺(藤井寺)等数例しかない。通常は1本で25本を代用するってな良く分からない理屈で40本に簡略化されてるんだけど、そのせいで却って虫っぽくなっている。でもまぁボクサーになったら北斗百烈拳なんてヨユーで繰り出せてムチャクチャ強いだろう。

 ・・・・・・で、元々そんなグロテスクなフォルムが昆虫で出来てるっちゅうんだから、もぉサブイボ出まくりな状態であることは想像に難くない。

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 朝も早よから出掛けてった展示場所である板倉町中央公民館は、これといった特徴に乏しい町のこれまた特徴の無い一角にあった。箱モノに金掛けるのは公共事業の少ない地方特有のことかも知れないが、ここもまたその例に漏れず随分立派な建物である。その2階のロビーの片隅、ガラスケースに収められて昆虫千手観音は鎮座する・・・・・・ったって立像なんだけど。

 うわ〜っ!キショク悪ぅ〜っ!っちゅうのがとにかく第一印象。サイズはかなりデカくて1.5mくらいある。本体だけでなく台座や手にした錫杖やらなんやらの持物類も含めて全部虫で出来ている。いやいやここは「蟲」と書いた方がよりリアルに雰囲気が伝わるかも知れない。それくらいビッシリ、ギッシリ蟲、蟲、蟲・・・・・・。
 説明文によれば実に2万匹もの甲虫類を使って6年がかりで製作したモノなんだそうな。使われてるのはポピュラーな緑色のカナブンを始めタマムシ、カブトムシ、クワガタ、カミキリ等だ。だから全体はツヤツヤ、ピカピカしてる。コンセプトとしては国宝である「玉虫厨子」と一緒っちゃぁ一緒だけど、こちらの方がナサケ容赦なくダイレクトに虫を使いまくった分、圧倒的にパワーがある。ただ、美術品としてはかなり稚拙な感は否めない。

 モデルになったのはよりによって唐招提寺のヤツ。そんなんだから忠実にクワガタで拵えられた手も千本生えてて気色悪さのツープラトン攻撃である。山育ちで普段は虫に余り拒絶反応を示さないヨメもさすがに引き気味だ。ガラスケースの反射でどうにもスッキリ写りにくいのを苦労しながらシャッターを切るおれを尻目に、どぉでもいいようなタイムカプセルやら油絵の展示を所在無げに眺めている。

 このあまりにバッドテイストな仏像を拵えたのは?っちゅうと、町内在住の稲村米治さんっちゅう、まぁ何処にでもいそうなフツーのジーサンだったりする。ご存命なら90半ばになる(昨年時点ではまだお元気なようだ)。この像を作り始めたのは70年代半ばで、当時は東武鉄道で働いていたらしい。つまり本職は鉄道マン。取り立てて人柄や暮らしぶりに奇矯な点は見当たらず、至極平凡な市井の人であることは間違いなかろう。

 ・・・・・・なのにこんなモンを拵えてしまった。

 元々この人、昆虫採集が大好きで手すさびに標本拵えたりしてたのが、すぐに崩れてしまうのがイヤで、何を思い立ったか昆虫で新田義貞像を作ってしまう。これが1970年のことだ。その時は6000匹を使ったらしい。それでも十分驚嘆に値する数だ・・・・・・で、これまで散々虫を殺生したのだからと、虫供養のためにこの千手観音を拵えたのである。新たに2万匹も捕まえて、寝る暇も惜しんで。本人は好きでやってんだからまぁ良いとして、趣味に付き合わされて手伝わされた奥さんは大変だっただろうと思う。

 しかし明らかに論理的には破綻している。メチャクチャである。フツー、供養っちゅうんならその出来上がった新田義貞像を寺にでも収めて懇ろに菩提を弔ってもらえば済む話であって、追加でその何倍もの数の虫を殺してまでして仏像拵えて、それで供養などと言われた日にゃぁいくらなんでも虫も浮かばれないだろうと思う。
 実は御本人にもその辺の苦悩はそれなりにあったようで、途中で製作を中止しようと思ったことも一度ならずあったらしい。それでも完成した時は嬉しかったとも話している。矛盾を矛盾のまま語れるとは何だかとても素直な人だ。ヘンなモノを作ってる自覚もまたそれなりにあったようで、町への寄贈についても、こんなん押し付けられたら町もありがた迷惑かな?って逡巡したっちゅうから、極めて常識のあるマトモな人なんだと思う。だからアールブリュの類では断じてない。

 しかし、そうして出来上がったものはローマのサンタマリア・デッラ・コンチェツォーネやミラノのサン・ベルナルディーノ、あるいはチェコのプラハ近郊にあるというコストニツェ骸骨寺院等と本質的には変わらないものだった。恐らくはその製作動機である「供養」ってコトも含めて。

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 見てたのは20分ほどだったろうか、外に出ると初夏の光が眩しい。酷暑の季節はまだまだ先、風が爽やかだ。昆虫千手観音だけぢゃどぉにも遠路遥々やって来たのがアホみたく思えるんで、来る時に見つけた「谷田川の揚舟」っちゅうのに行ってみることにする。稲村さんが昆虫の採集場所の一つに挙げてたポイントだ。

 前回、奇想はフツーの人に宿るってなコトを書いたが、このケースもまさにそれではないかと思う。実のところこの人のやったことは年寄りがチラシや千代紙使って鶴の物入れ作ったり、タバコの空き箱で多面体作ったり、宝くじのハズレ券で五重塔作ったり、結束テープ編んで小物入れ作ったりするのとさして変わらないっちゃ変わらない。カルチャースクールなんかで見掛けるパンフラワーやトールペイントなんかも似たようなもんだろう。或いは菊人形とか。ただもう素材が余人の想像を絶してトンでもなかっただけだ。

 コツコツと真面目に鉄道会社で働いてる人が、これまたコツコツと夜なべ仕事で真面目に拵えたものは結果的に、世界中を見渡しても類例のない奇天烈極まりないものだった・・・・・・要はそぉゆうコトである。でも、そんな奇想の産物が一番パワフルで面白い。

2015.06.28

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