「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
巨石ゴロゴロ・・・・・・大石神社


拝殿裏側の巨石。ちょと逆光になった。

 実際のところ超古代文明みたいなのについては、そらまぁナスカの地上絵とか、あれくらいスケール大きくなったりすると観光として面白そうかなぁ〜とは思うが、学術的興味はまったく湧かない。ましてや春分・秋分の日に太陽が昇るとき、陽の光がちょうど岩の割れ目を通るとか、レイラインがどぉこぉとかなんてトンデモでバカバカしいとさえ思ってる。

 おれの巨石に対する興味はただもうシンプルで、大きな自然の物の生み出す風景やフォルムの玄妙さに対してスゲェ!って思う気持ちがすべてだ。そしてその風景をバックにヘタなりに写真を撮りたいのである。強いて付け加えるならいささかメタ的になってしまうが、昔の人が大きな自然の物に対してスゲェ!と思ったコトがスゲェ!っちゅうのもある。アニミズムに対する興味、ってコトだ。

 ともあれ巨大なモノっちゅうのは、それだけで畏怖と崇拝の対象となる。でなきゃ巨乳や巨根がこれほどもてはやされるハズがない(笑)。

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 しょうむないシモネタはともかく、さて、大石神社は関東在住の者が巨石に興味が湧いたら最初に訪ねるスポットとして、おそらくは栃木の名草と並んで有名な存在だと思う。要は初心者向け、ちゅうこっちゃね。しかしその内容はスゴい。
 場所は塩山を抜け表札を潜り路面の穴には甲虫・・・・・・な中央本線・塩山駅の北西数キロ、笛吹川からちょっと山の中に入ったところにある。すっかり高級旅館となった笛吹川温泉・「座忘」のすぐ近所だ。どんな理由でかは不勉強で知れないけれど、山梨県は他にも巨石信仰の名残を今にとどめる寺社が多い。

 これだけ猫も杓子もパワースポット・パワースポットと喧しいほどのブームになってるとは申せ、未だ巨石にまでその貪婪で無節操な魔手は及んでいないのか、特に大きな看板もなく、分かりにくい道をナビを頼りに着いたそこは村の狭い道を少し上がったなんてことない場所だった。特に門前市をなして土産店等があるワケでもない。立てられた案内板には「文人墨 客、観光客などが跡を絶たない」などとあるが、ウソつけである。初夏の日差しが照り付ける中、至って静かなモンだ。狭い砂利の駐車場にクルマを停めて、鳥居をくぐり、長く急な石段を上がって行く。途中、雑草が伸び放題の荒れた公園にも人影はない。比較的まだ朝早い時間とはいえ、たちまち汗が吹き出す。

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 それは息を呑むような光景だった。ナントカ神宮なんてのと比べれば全然広いとは言えない境内、巨石の存在がなければ如何にも村の鎮守然とした質素な拝殿、その後方にそれ自身が御神体なのだろう、ちょっとしたビルくらいの大きさのズングリした岩がドカーンと鎮座し、その周囲の至る所に白い花崗岩の巨石がどわどわと林立している。圧倒的なまでの過剰がもたらすすごい迫力だ。磐座ったって、どれがどぉとかこぉとかではなく、この一帯全てが磐座と言ってもあながち大袈裟ではなかろう。おそらくその時、おれはまったくアホみたいな顔をしてたと思う。

 巨石に目覚めたばかりの初心者があまりしたり顔であれこれ語るのはおこがましいというものだろうが、いずれにせよこの光景を「神々しい」と一言で片付けてしまうのはちょっと違うような気がする。「神々しい」には禁域としてのピーンと張り詰めた清浄感や、引き算のように余分な要素を切り落として行った先のシンボリックな抽象感が伴うものだと思うが、この神の降臨する場にはもっと猥雑で有機的、混沌としながら伸びやかな祝祭の雰囲気があった。それが神道の中に取り込まれながら、今やすっかり萎びてしまった古代のアニミズムが本来的に持っていた属性であることは言うまでもない。

 巨石の一つ一つには紋切り型のどぉでもいいような名前が付けられている。烏帽子石、屏風石、影向石、産屋石、浮舟石、百足石、指門石、甲石・・・・・・まぁ、そぉ言われればそんな気もして来る。鍾乳洞なんかもそうなんだけど、どぉにも日本人は何かのポイントににチマチマと名前を付けずにはおれないネンネン趣味があって、おれはそれが昔から堪らなく嫌いで・・・・・・って、まぁそんな扁固なオッサンの感慨は置いといて、これらの名前の起源はそれほど古いものではないように思われる。どだい、屏風は奈良時代、烏帽子は平安時代くらいからのもので、言葉として庶民に広まるのはもっと時代が下ってからのことだからだ。

 そんなんの遥か以前からこの場所が信仰や祭祀の場、つまり聖域であったことは、もう疑うべくもないことのようにおれには思われた。考古学的にどぉこぉではなく、巨石の作り出すこの魁偉な風景は古代の人にとっても驚嘆すべきものだったに違いないからだ。プリミティヴな部分で心を揺り動かす光景。

 随分長い時間、おれたちは境内から山の中腹一帯にまで点在する石を見て過ごした。そりゃまぁもちろん、あんな写真やこんな写真を撮るのに時間掛かったってーのもあるけど、ホントまったく見飽きないのである。ひたすら大きいだけの石が生み出す、ただそれだけの景色がよくぞここまで人を間然とさせないものだな〜、と感心してしまった。

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 この日の訪問ではあと3ヶ所くらい尋ねたのだけれど、さらには花後薬師というこれまたド迫力の巨石スポットや忘れられた同じような巨石群がこの大石神社の比較的近くにあることを知ったのは、東京に戻ってからだった。その訪問も含め、暖かくなったらここはまた再訪したい。

2014.04.03

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