「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
温泉場ニ於ケル椿象ニツイテ


読めば分かります。

 椿象とはカメムシのことである。あの、触ると独特の悪臭を放つ甲虫だ。平べったいのが普通だが、丸っこいのもいる。ともあれそんなんでも漢字にするとナカナカ雅な感じがあっていい。

 ずいぶん以前に、九州の南、開聞岳で遭遇した「網戸一面に何千匹もベッタリへばりつくカメムシ」っちゅうのに仰天して腰を抜かしそうになった話を書いたことがある。それはしかし、別段カメムシだったから驚いたワケではなく、カナブンでも蛾でも同じくらい驚いただろうと思う。ウヨウヨと同じ虫が密集しているのは何の種類であれ、あまり気持ち良いものではない。

 ぶっちゃけカメムシは臭いさえなければナカナカに美しい虫であったりもする。盾の紋章のようなフォルム(そぉいや今のマツダ車のグリルってカメムシに似てるかも、笑)、翡翠のような緑、艶々したビーズ玉のような硬質な輝きを持つ種類もいる。何もせずにのそのそ歩いてても、小さいからそれほど邪魔になるものでもない。問題はやはり臭いなのだ。青臭いような薬品臭のような何とも言えない臭気にはどうしても馴染めない。
 温泉宿に着いて、部屋に案内されて入った途端、微かに漂うカメムシ臭さに辟易した経験は、何もおれだけでは無いハズだ。

 とは申せ、温泉場で困る虫の最右翼はやはり虻であろう。蠅をデカくしたような緑や茶色の複眼をもつアレ。関東以北では夏の露天風呂にやたらと多い。音も無く静かに、それもこちらからは見えにくい場所に止まって血を吸うという油断も隙もないヤツである。ちなみに蚊は注射器の針のようになった口で刺して吸うのだけど、虻は噛んで血を吸う。だから傷口をよく見ると蚊はポチッと1つだけ血が滲むが、虻は2ヶ所傷が出来てることが分かる。噛まれてしばらくは何ともないんだけど、そのうち痛痒くなって来る。蚊と違って何日も噛まれた場所の腫れが引かず、ひどいときは鬱血してシコリみたくなるので始末に負えない。

 コイツをやっつけるのは叩き落として湯に沈めるか、あとは殺虫剤の直接噴霧しかない。そんなんだから、夏場の温泉行にはハエタタキと殺虫スプレーは必需品だ。残念ながら、虫除けスプレーはあまり効いてくれないし、温泉入ったら流れ落ちてしまうので意味がない。

 もちろん黒白だんだらの藪蚊なんかも相当鬱陶しい存在ではあるんだけど、あまり日向にはいないし、撃墜しやすさでは虻より数段カンタンだし、殺虫剤掛ければ秒殺なんで、おれは虻ほどには気にしていない。ちなみに北海道は藪蚊が少ない代わりに、虻をうんと小さくショウジョウバエくらいにしたのがいて、ひじょうに厄介だった。

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 ・・・・・・で、カメムシである。椿象である。二番目くらいの困り者だが、露天風呂ではなく何だかんだで最も多くの時間を過ごす室内に居るのがたいへん迷惑だ。

 秋以降にコイツは発生することが多い。以前にも書いた通り、俗にカメムシが大発生するとそのとの冬は雪が多いなんて言われるが真偽のほどは分からない。いずれにせよ、おれが出かけてくような温泉宿には必ずと言って良いくらい部屋にいるのである。

 ほとんどの種類がひじょうに平べったいカラダなので、どんな隙間からでも侵入してくる。侵入してくる理由は走光性と、暖かい場所を求めてっちゅうのと2つあるらしい。障子や襖の合わせ目は言うに及ばず、アルミサッシでも建物に歪みが来て建て付けが悪くなってるようだともう油断できない。北国で室内暖房のパイプが外に出てたりするとそこからノソノソ入ってくることもある。もちろん飛んで入って来ることもある。

 臭いだけで虫としては普通に昆虫なので、コイツにも殺虫剤は良く効くのだけど、決して使ってはいけない。というのも、断末魔の悶え苦しむ中で防衛本能が働いて、思うさま悪臭を撒き散らすからだ。情けなくも哀しいことにコイツには武器がこれしかない。怒っても唾を吐くしかないアルパカみたいな感じだな(笑)。だからって叩き潰すとこれがまた臭い・・・・・・ぢゃぁどうするか!?

 みなさんはちょっと鄙びた旅館の部屋の片隅で、ガムテープが置かれてあるのを見掛けた経験はないだろうか?実はあれ、カメムシ取りなのである。適当な長さに千切ってそーっとカメムシを張り付け、直ちに2ツ折りにして粘着面同士を合わせてピッタリ密封してしまうのである。動きが鈍いもんだからいくらでも獲れる。まぁ、あまり効率は良くないし、いささか残酷とも言える駆除方法なんだけど、これだと臭いを出すことが少なく、たとえ出したとしても外部に漏れにくいのでひじょうに都合が良いのも事実だ。

 部屋に着いたらまずは風呂、っちゅうのは空調も建て付けも気密性もシッカリした観光旅館での所作だろう。田舎のいささか古びた温泉宿では、まずはせっせとガムテープでカメムシ取りだ。大発生してたりすると後から後からやって来るんで、寝るまでこの作業が続くこともあるが(笑)。

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 しかし、カメムシは儚い。中には集団越冬するようなのもいるらしいが、大半の種が基本的には1年でその一生を終える。それに部屋に苦労して潜り込んだって餌があるワケでもないので、そこでそのまま行き倒れになってしまうのだって多かろう。なるほどちょっと手入れの行き届いていない宿だと、窓のサッシの溝やファンヒーターの裏、蛍光灯の笠の裏側、玄関の片隅なんかで埃まみれのチンカラ干しになって、いくつもの骸を晒してることも多い。いとあはれ也・・・・・・ま、言うまでもなく一番多いのは、ガムテープ2つ折りで密封されたままゴミ箱に捨てられたヤツだったりもするのだけど(笑)。

 そうして冬がまたやってくる。

 紅葉に包まれたヒッソリした宿の一室で、ガムテ千切ってはペタ、千切ってはペタを繰り返す単調な作業は、見ようによっては秋の温泉宿の地味な風物詩なのかも知れない。

2013.08.25

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