「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
やられたぜ!・・・・・・銀婚湯


露天風呂の一つ(ギャラリーのアウトテイクより)。

 銀婚湯は自分の中で忘れがたい温泉だった・・・・・・とは申せ、過去に訪ねた時はただの立ち寄りで、滞在時間も30分ほどだったと思う。チャポンと入って数葉の写真を撮り、足早に出て行く。それで1日にいくら入れるかに当時は腐心していた。まぁ、金もヒマもなく、次はいつ来れるか分からないような生活状態の中での旅だったんで仕方ない・・・・・・未だにどっちもあんましないけど(笑)。

 何故忘れがたかったのかというと、ホントは時間がまだ早くて外来を受け入れる時間ではなかったのに、事情を聞いた女将の心意気で入れてくれたのだ。一期一会に対する「もてなし」の気持ちがありがたかった。
 当時、露天風呂はまだなくて、横にベラボウに長い混浴の内湯が一つあるだけだったと思う。洗い場に仕切りがあったように思ってたのだが、改めて過去の画像を見直してみると、そんな無粋なものはなく、ズボーッと横にツライチになっていた。記憶なんていい加減なもんだ。

 あまりに有名なエピソードで今更ここで書いたって仕方のないことかも知れないが、銀婚湯という不思議なネーミングは、大正14年、大正天皇の銀婚式の日に新たな源泉を掘り当てたことによる。正式には上ノ湯温泉っちゅうトコにある銀婚湯という旅館、が正しい。宿の手前には清龍園ってもう一軒の旅館があっていろいろ手広くやってるんだけど、まぁ申し訳ないが圧倒的に有名なのは銀婚湯の方である。

 決して足掛かりの良い交通至便な場所にあるとは言えない。新千歳空港からは約230km、函館空港からでも約80km、周囲に特段の観光地もない。なのに宿泊客はひきも切らず、今や道内では養老牛の「だいいち」なんかと並ぶ名湯・名旅館と呼ばれ、ナカナカ予約の取りにくい宿として有名なのである。名前にちなんで銀婚式を迎える夫婦が良く訪ねて来るらしい。おかげで「じゃらん」にも「楽天」にも頼ることなく、手作り感横溢のホームページのみでやってたりする。ちなみに提灯宿でもあって、玄関先には例の巨大提灯がぶら下がる。正直、それだけはちょっと興醒めだ。

 そこを20数年ぶりに訪ねた。今回はチャンと泊まりである。いやまぁ、銀婚式まではまだちょっと間はあるのだが・・・・・・(笑)。

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 とは申せ、この宿の素晴らしさについて言及した文章はネット上にも溢れ返ってる。今更、おれがあれこれ言ったって始まらんだろう、って気もする。むしろ、どうしてここまで銀婚湯が評価を勝ち得たのかを考察する方が、ちょっとひねくれてて面白いかも知れない。

 入口の巨大な木の看板と小さな行燈以外、派手なネオンも何もない入口には門柱代わりの大きな2本の磨き丸太が立っている。それを潜ってまず目に付くのは、綺麗に手入れされた庭木の数々だろう。特に念入りなのは玄関前の小さなロータリー周辺で、まるで巨大な盆栽のように仕立てられた何本ものイチイを中心に、何だかコブだらけの木や、秋も終わり近いのに真っ赤に色付いた紅葉等が配されている。作り込んだ感じがするのはそれくらいのモンだ。

 白壁に縦横に走る木の柱と非対称の屋根の切り妻が印象的な、ちょっと山小屋っぽい外観は昔から変わらない。派手さはないが、ぶっちゃけ秘湯の宿の雰囲気でもない。玄関周辺にしたってそれほどゴテゴテとあざとい民芸調でもなく、このテの旅館にしては比較的簡素な造りの方ではないかと思う。
 今回泊まったのは最も安価な旧館の2階だった・・・・・・と言っても何か劣った部分があるワケではない。昔ながらの木造で6畳の畳の間に窓べりに板敷の2畳ほどがくっ付いた落ち着いた部屋だ。元々の浴室は大改装されて、昔の半分くらいの大きさで男湯になり、女湯と家族風呂が新たに作られている。その上あたりが新館で、どうやら一番値段的に高い部屋になっているようだ。

 広大な敷地には貸切の露天風呂が点在する。フロントで木のカンヌキ状のカギを借りて入る趣向となっており、鍵が返却されると次の希望者に貸し出される。遠い所だとダラダラ歩いて10分くらいかかるので、次の客までの間隔が随分空いており、思えば悠長なやり方ではある。1泊しただけですべて制覇するのはけっこう困難かもしれない。
 どの露天風呂も数名入れば一杯の広さであって、巧みな配置で中からの眺望は効くけれど、外からは見えにくいように作られている。おおむねどれも素朴な作りで、こういった旅館の露天風呂にありがちなあざといほどに数寄を凝らした瀟洒な作りとは真逆で好感が持てる。

 周囲の木々は一見自然の雑木林に見えるけど、実はすべて人工林だ。入口付近ほどではないもの、隅々まで人間の手が入ってるのである。黄色く色付くのが大半で赤の少ない北海道の紅葉にあって、ここはほとんどが真っ赤であることもその拘りぶりを物語る。これはかなりすごいことだと思う。人工の極致で自然を表現する・・・・・・先ほど盆栽の喩えを持ち出したけど、ここの広大な庭はそういった盆栽やら水石、あるいは水墨画の世界に近いミクロコスモス的な考えで作られてるのだ。ミクロっちゅうにはあまりにバカデカいが(笑)。

 ちなみに湯にさほど特徴があるワケではない。僅かに灰褐色に濁った、どちらかと言えば鉱泉にけっこうありがちな泉質で、豊富な湯量を惜しみなく使ってることが特徴っちゃ特徴と言えるだろう。敷地内には5ヶ所の湯井があってブレンドして供給してるらしい。つまり如何にも天然な風情で注がれてる露天風呂の湯も、キッチリ地下の配管を通ってるのであるが、それを少しも感じさせないのはやはり人工の自然を追及した結果なのだろう。

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 北海道の秋の日暮れは早い。敷地内には街灯がなく、露天風呂には日没までという制限時間がある。2ヶ所回ったらもうタイムアウトで、薄暗くなった中を部屋に戻るとちょうど夕食の時間だった。

 食事にしたって贅を尽くしたものが出るワケではない。この日の献立は食前酒、付出、刺身、焼物、蒸物、揚物といった定番に、鳥すきであった。ビジュアル的な派手さはここでもない。むしろ抑制されてる、と言ってもいいだろう。
 ところが味もさることながら一品一品の組み立てがさりげなく上手い。自家製のマルメロ酒はそれだけでちょっとした話のネタになってるし、女性客を意識したか、箸休め代わりの甘味が一般的な懐石よりもちょっとづつ多く挟まれてたり、鳥すきが人形町の老舗・「玉ひで」や近年つとに評価の高い上野末広町の「鳥つね・自然洞」も驚く本格的なモノだったり・・・・・・と、分かってる人に分かる仕掛けがいささかスノッブな喜びまで刺激する。

 翌日の朝食も同様だった。半分くらいは旨煮や佃煮みたいなもん、あとは定番の焼き魚と玉子焼とさほど珍奇さも目新しさもないオーソドックスな内容なのに、味付けそのものと器のセンス、また配色でナカナカに見せてくれる。味噌汁の具材が仏の耳(銀杏草という海藻)っちゅうマニアックなんも気が利いてる・・・・・・まぁ、季節外れで塩干モノではあったけど。

 ご飯を持ってきてくれた女将に20何年前の話をしてみたら、おぼろげながら覚えていたのには驚いた。ただ、今はもう時間外に外来入湯を認めるのはむつかしくなってしまったとのことだった。それどころか外来を受け付けること自体も厳しくなって来てるらしい。年々人気が高くなって、平日でも宿泊客が一杯でどうしてもそちらを優先せざるを得ず、また、外来客も昔からするとベラボウに増えて、例外を認めてしまうと収拾が付かなくなるんだそうな。まぁ、泊り客でそぉゆうのにに文句垂れるヤツも多いんだろうな。

 朝食を終えて部屋に戻ろうとするのと入れ違いくらいで、ユックリ寝てた人たちが起き出して、露天風呂の鍵を借りにロビーに沢山群れている。殆どは銀婚も過ぎちゃったんぢゃないの、ってくらいの60絡みの夫婦と思しき人ばかりだった。

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 結局のところ、ここ、銀婚湯の人気の高いワケの本質は詰まるところ、人工の自然、あるいはソフィスティケーテッドされたワイルドとでも言おうか、すなわち「注意深く人の手を入れまくってフツーな自然を演出してること」に尽きるのではないか?と思う。広大な敷地の植え込みや露天風呂然り、料理然り、建物や部屋の佇まい然り・・・・・・いい所を衝いてるのだ。そしてそれは日本の自然表現の要諦でもあった。
 また、すべてに亘ってあまりガツガツせずユッタリと運営されてることもプラスに作用しているように思う。
 もちろん、人気が人気を呼んでることも大いにあるだろうとは思う。評判が高いからいいに決まってる、って来るタイプの人だ。ハロー効果、俗に言えば「アバタもエクボ」って言われるヤツで、アテられちゃって何でも良く見えてしまうのである。

 いずれにせよ銀婚湯、生活にゆとりのできた世代の夫婦にばかり泊まらせておくのは惜しいナカナカの宿だと思う。素直に認めるのもちょっと悔しい感じがあるけど、正直「やられたぜ!」と思った。それは間違いない。 


本館の全景

2013.07.25

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