「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
宮内にゾウの花子さんは来た・・・・・・宮内温泉


宮内温泉旧館。今の部屋はこの左右に広がる。

 宮内温泉はとても寂しい温泉である。

 北海道は島牧村役場のある海岸線から、山に向かって3キロほど分け入ったところにある一軒宿の温泉は北海道にしては珍しく、本州の湯治場を思わせる古い佇まいだ。
 もちろん訪ねた季節が北海道ではもう晩秋の頃で、比較的北海道では紅葉の遅い道南とはいえ完全に行楽シーズンを過ぎてしまってたのもあったとは思うが、休日だというのに泊まっているのはおれたち以外にはもう一組だけで、館内は静まり返っていた・・・・・・いや、そんな宿泊客の多寡より何より、段々と手が行き届かなくなって忍び寄る荒廃の翳があちこちに見られたことが何とも寂しさを募らせたのだった。

 雑草が伸び放題になった玄関脇の池
 古い木造駅舎のように新建材で囲われて何だかチグハグな外観の重厚な屋根の建物
 廊下の隅に残る埃
 柱の隅の蜘蛛の巣

 ・・・・・・湯呑の糸尻をチェックして洗い方が悪い!などと嫁に難癖付ける姑のようなコトを言いたくて書いてるのではない。むしろ、これらは仕方ないことなのである。非難する気はない。これらの風物も含めた古い温泉宿の佇まい全体をおれは偏愛しているのだから。

 引きも切らず客が押し寄せておれば家族以外に従業員を雇うこともできよう。建物の改装あるいは古いままでの維持にもっとコストを掛けることもできよう。もっと掃除に注力することもできよう。
 しかし、一部のマニアを除けば地方の零細な温泉場の客なんて減少する一方なのである。そうなると家族で何とかやってくしかない。しかしもちろん高齢化は年々進む。身体動かすのも若い頃のようには行かず、大儀で億劫になってきたりする。オマケに地方の過疎化も年々進む。かつてはかなりの山奥でも林業や鉱山業を中心にそれなりの人口がいたけれど、みんないなくなってしまった。
 日本特有のリゾートスタイルであったはずの長期逗留の湯治客なんてのも殆ど絶えてしまっており、どこだって経営はラクではないのである。

 実はここは再訪である。90年代の初めの北海道旅行の際に立ち寄ったら、湯船が掃除中ってコトで断られてしまったのだ。オマケに奥にある泊川河鹿の湯と呼ばれる野湯は道路工事中とかで近付けず、いつか再訪しようと思ってたのであった。
 ところが野湯の方は、奥尻島が津波でやられたので知られる北海道南西沖地震の後、残念ながら揺れが泉脈を塞いだのか湧出が止まってしまった。ちなみに、道内でも最もアプローチが難しいと言われる野湯・「金華湯」はさらに山を分け入ったところにある。もひとつちなみに一帯はヒグマの巣窟だ。

 そぉいやここに来る前、千走川温泉に向かう途中、道路に大きな鮭が転がっていた。ちょっと驚いてクルマを停めて見てみるとアタマとはらわたが無くなってしまっている。間違いなくヒグマがサケマス養殖センターから失敬して食い散らかして捨ててったものだろう。驚きのあまり写真を撮り損ねたのが惜しまれる。

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 さて、今ではひっそりと山あいに埋もれたような宮内温泉であるけれど、この小さな温泉場がいろいろとメディアに取り上げられたことがかつてあった。

 ゾウの花子さんというのが湯治にやって来たのだった。高度成長期の真っただ中、タイから友好の証と送られた一頭のゾウがいた。ゾウには花子と名付ける決まりでもあるのか、やたらエピソードのあるゾウは名前が花子のような気がするが、本当に花子という名前であったようだ。
 折角の頂き物なのに何故かそのゾウは各地を転々とし、辿り着いた旭山動物園でクル病に罹って立てなくなってしまう。今のコテコテに商売熱心な旭山動物園ならば、それさえも集客のネタに手厚く看護するだろうが、当時は最果ての地の予算も厳しい地味な動物園である。どうにもならん、っちゅうて酷いことに剥製屋さんに引き取らせたのである。つまり殺処分になるハズだったのだ。

 引き取った剥製屋の社長が花子をどう感じ、何を考えたのかは良く分からない。結果として彼は花子を自費で延命させ、治療のための湯治にこの宮内温泉に連れて来たのだった。1970年のことである。最初はあの奇湯・二股ラヂウム温泉に行ったんだけど、冬季休業でどないすんねん?ってなって、こっちに鞍替えしたんだそうな。

 旅館の大将の話によれば、花子は別に旅館の中に居たワケではなく、少し離れたところに専用の小屋(・・・・・・ったってゾウが居住するくらいだからかなり大きかったらしい)を建ててそこに暮らしてたとのことである。風呂ももちろん別のを拵えてそこに入ってた。たしかに人間の湯船ではゾウにはいささか浅すぎるだろう。
 指し示された宿から数十メートル離れたその場所は、今ではもう何の痕跡も残ってはおらず、トラクターがポツンと置かれてるだけの空地だった。

 花子さんがやって来た当時、地元は歓迎ムード一色で大いに盛り上がったらしい。そらそうだろう。今だってこの辺りは決して拓けてるとは言えない。交通は不便だし、漁業くらいしかさしたる産業がないのだから。もちろん当時はもっと不便だった。札幌に出るだけでほとんど丸一日を要してた時代だ。動物園に行って実物のゾウを見たことのある子供なんてとても少なかったと思う。花子の長期逗留は娯楽の少ない田舎の子供たちにいろんな喜びを与えたに違いない。
 時代はちょうど高度成長期のシンボリックな国家的イヴェントであった70年万博の頃だが、北海道の寒村は今よりも遥かに都会とは隔絶されていたのだ。

 結局、花子の湯治は何だかんだで5年ほど続き、そのさらに5年後、飼い主と共に何と南米のパラグアイに渡った直後に亡くなっている。殺処分は免れたとはいえ、推定年齢で20歳前後と長寿が多いゾウとしては比較的儚い、都落ちばかりのツイてない生涯だった。まったく貶めるつもりはないけれどその行動を客観的に見れば、飼い主は大切に労わって世話しつつも、どこか興行主として花子を見世物に大儲けすることを夢見ていたのかも知れない。

 ともあれゾウが町にやって来ることが子供の瞳を輝かせることのできた最後の時代の、何だか現実離れした話ではあった。

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 中学生以上450円、10回券で4,000円の張り紙を見ながら浴室への廊下を行くと、ワリと最近に化粧板で改築されたっぽい別棟の内湯の入口に着く。これといった特徴はないものの意外に広い男女別の内湯は、かつて入浴客がそれなりに多かったことを物語っている。もう一組の客はとっくに入ってしまったのか貸切状態だ。湯は僅かに褐色味があるもののほぼ無色透明、湯量はかなり豊富なようで、湯船からどんどん溢れているが、やはりここもナカナカ手が入れにくくなってきているのか、タイルの目地や縁は黴やら苔に覆われている。
 さらに湯船の縁に設けられたアルミ戸をくぐると、塩ビ波板で男女別に仕切られたこれまたこれといった特徴のない四角い湯船の露天風呂が続く。暮れなずむ山肌が迫りあまり眺望は利かなかったけれど、ニョッキリ突き出した大きな枯木の、骨を思わせる白く滑らかな樹皮が夕空に浮かんでいるのが何故か強く印象に残った。

 この辺一帯は鮑が特産ってコトで、なんと水貝と煮貝で2個も付いてるのが目を引く夕食は、隣の部屋に用意されていた。決して派手ではなく家庭料理の御馳走といった雰囲気で大層美味い。最近の宿泊のパターンでおれは瓶ビールを何本か頼み、いい加減ヘベレケになっては、手持無沙汰に布団の上で昨日今日と撮った写真をカメラで加工して遊んでる。どこまでもローテンションでダウナー、レイドバックした時間だけが流れている。残念ながらアヘンっちゅうモノを嗜んだことがないので想像だけど、こんな感じにトローンとした体験なのではあるまいか・・・・・・そんなことをボンヤリ考える。酔いが回るにつれてとりとめのない考えはさらに膨らんでいく。

 各地の動物園を連れ回されて好奇の目に晒され続けた挙句、身体を悪くしたゾウの花子がこの地にやって来たのは正解だったのかも知れないな・・・・・・などと何の根拠もないことに思いが至った頃にはもう、たぶんおれは眠り込んでしまっていた。


露天風呂にて(ギャラリーのアウトテイクより)

2014.08.24

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