「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
幌加温泉はいつも雨


入り口付近を望む内湯の様子(ギャラリーのアウトテイクより)。

 ------そぉいえば昔来た時もたしか雨だったよね?
 ------え!?そぉだったっけ?
 ------覚えてないんかいな?そこの自炊部の建物の裏手の堰堤の下に小さな露天風呂あってさ。
 ------あ〜、何となく想い出した!丸っこい露天風呂があったよね。
 ------それそれ、それよ。何か雨降ってたやろ?
 ------そぉだったかなぁ〜?曇ってた気はするけど・・・・・・

 露天風呂の方に行ってみようとしたが、草叢は深く、河原へ下りる斜面も深く抉られてしまっていた・・・・・・。

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 幌加温泉は寂しい温泉だ。

 糠平から国道273号を三国峠に上がって行く途中、左折を示す大きな看板に従って細い道を3キロほど上り詰めたところに二軒の旅館がある・・・・・・いや、あった。その内一軒は昨年だか一昨年だか廃業してしまい、今は空き家が悄然と残るだけなのである。だから今は一軒宿の温泉と呼ぶべきなのだろう。そしてその残る一軒にしたって、老夫婦で守って来たのが旦那の方が先に亡くなり、手が回らないもんだから通常の一泊二食付宿泊を止め、日帰り入湯と素泊まりのみを受け付けてるといった体たらくで、今や風前の灯と言える状況なのだ。

 今回も雨は降っていた。秋霖というにはいささか激しい雨模様の中を、糠平からほぼ真っ直ぐに国道を北上していく。かつて並行していた国鉄・士幌線はついに三国峠を越えて上川へ辿り着くことはなく、十勝三股という何もない所までは線路も駅もできたものの、戦後の急速なモータリゼーションの発展と、これまた急速な過疎化によって、糠平以北は早くも70年代には放棄され、残った区間も国鉄解体直前の80年代半ばに廃止されてしまった。かつて、白樺林に埋もれたように残る十勝三股の駅舎を見た時の衝撃は忘れられない。

 無人の山中を広い国道だけが伸びる現在の風景からは信じられないことだけど、かつてこの一帯は林業で大いに栄え、数千人もの人口を擁していた。ちなみに今は上士幌町全体でも5千人しか人口はない。国鉄線だけでなく何本かの森林軌道もあり、集められた原木で駅は溢れ返っていたという。また、戦後始まった糠平ダム建設でも恐らくは飯場暮らしの土方が各地から数多く集まり、そっちはそっちで一時的にせよ活況を呈したものと思われる。
 深い谷あいの温泉以外にこれといって名所旧跡も奇勝もなく、観光からも程遠い鄙びた佇まいの幌加温泉が存立しえたのは、まだ湯治が盛んだった時代背景に加えて、近隣にそれを支えるだけの人口がいたことが大きいと思う。

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 ツブれた方が20年前に訪ねた「ホロカ温泉旅館」で、坂道の手前にある。学生時代に肝試しに出かけた山科・日ノ岡の精神病院跡と呼ばれる建物を髣髴とさせる、うす緑に塗られた二階建ての木造洋館風の造りで、大きな車寄せの上が張り出したサンルームになっている。道路を挟んだ反対側は広い駐車場とおれ達の会話にあった自炊棟で、これも寄棟の屋根がちょっとモダンな感じだが、昔訪ねた時点でも既に使われてなかったような荒れた雰囲気だった。

 今回訪ねるのは坂道のどん詰まりにある「鹿ノ谷」である。その名前が館主の苗字に因むのか、あるいはここの谷を風流に表現したものなのかは知らない・・・・・・まぁ、鹿より羆の方が多そうな気もするが。ついでに言うと、「しかのたに」と読むのか「かのや」と読むのかも分からない。
 ともあれ臼別、朝日、菅野、二股、小金湯等々の素晴らしい佇まいが過去のものになってしまった今、おそらくこの鹿ノ谷は北海道でも最後の秘湯系の宿の一つと断言して構わないと思う。

 玄関回りが小洒落た民家の玄関みたいな作りに改築されているのと、外壁が薄いピンクのモルタル作りに更新されているだけで、おそらく内部は戦後すぐにできた当初の姿をほぼ残していると思われる。狭い廊下の両側に食堂や広間等が並び、突き当りがそのまま浴室への入り口となった、いかにも狭い谷間の温泉らしいうなぎの寝床型の建物だ。2階には上がらなかったが、おそらくは同じようにして客室が並んでいるに違いない。全体的に暗く、荒れた印象なのは天気のせいだけでなく、女将っちゅうかバーサン一人で切り盛りするようになり、年齢的な衰えなんかもあって手が行き届かなくなったせいだろう。

 何はともあれ、まずとにかくは風呂だ。更衣室は男女別で内部は混浴(正しくは女子更衣室の隅に増設されたと思しき小さな女湯がある)という、湯治場らしい造りなのが良い。片流れの屋根の浴室は旅館の大きさからするとずいぶん巨大で、泉質の異なる湯船が直列に3つ並んでおり、手前から「ナトリューム泉」「鉄鉱泉」「カルシューム泉」となっている。ナト「リュー」ムとかカル「シュー」ムという表記がレトロで良い。
 湯船には余分なものは一切ついておらず、塩ビ管からドボドボと源泉がふんだんに注がれるだけ。どれもホンの僅かに濁りが感じられる程度の無色の湯だ。縁には淡い黄土色の析出物がうっすらと積もっている。奥は打たせ湯になっており二条の湯が落ちる。極端に装飾のない、殺風景とも言える並ぶ湯船に何となくおれは会津・西山温泉「老沢旅館」を想い出した。
 湯は特にうめてもないのになかなかの適温。ただ、それほど3つの泉質は見た目的にも浴感的にも顕著な違いは感じられなかった。

 打たせ湯の横には外に出るドアがあって、15mくらい離れたところに渓谷を見下ろす、詰めたら20人くらいは入れそうな広さの露天風呂がある。当然こちらも混浴。湯がエメラルドグリーンに見えて一瞬驚いたが、よく見るとそれは底のコンクリートの目地にへばり付いた藻のせいだった。山の斜面には源泉槽が湯気を上げて並ぶ。要は一つの源泉で一つの湯船になってるわけだ。

 雨脚は落ちたものの、霧雨となって降り続いている。素晴らしく鄙びたワビサビ系の温泉だ。しかしどうにもおれは浮かない気分だ。それは畢竟、この鹿ノ谷が、あるいは幌加温泉自体が払拭しがたい終末の匂いに満ちてるからだ。くどいようだが一軒は廃業し、もう一軒は連れ合いに先立たれたバーサンが一人で細々と湯守をする温泉地、周辺は恐るべき過疎化によってかつて人の暮らした痕跡から何から一切合財猛々しく伸びる森に呑み込まれた温泉地・・・・・・なんぼノー天気なおれでも、どうしてそこに明るい未来を想像しえよう?

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 秘湯ブームなどと言われて久しい。実際そのような本もたくさん出てるし、ネット上にはそのテの情報が数えきれないほど溢れてる。しかし、そんなの絶対に嘘だ。ほんの少数のコアな変人がチョロチョロ出掛けてってるのが実態で、ほとんどの多くはせいぜい口当たりのいい提灯宿系の「秘湯」とやらに、「やはり温泉は掛け流しに限りますねぇ〜」とかナントカ選良意識丸出しのしたり顔で出掛けてって、そいでもってやれ料理がどうだの部屋がどうだのもてなしがどうだのと聞き苦しいゴタク並べてる程度の、卑しくも浅ましいブームに過ぎない。もし本当に秘湯がブームなんだと言う人がいたら、どうして幌加温泉がこのような状況になってるのか、合理的な説明をして欲しいものだ。

 ヘンな話で締めくくって恐縮だが、もしもジャンボ宝くじで6億円が当たったならば、おれはここを買い取りたい。絶対にこの佇まいは後世に残すべきものだろう。今はそんな風に思ってる。


露天風呂と源泉の様子(同上)。

2012.12.18

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