「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
寂しき最古・・・・・・知内温泉


奥の旧館?を望む。

 江差線の先っぽの方に当たる木古内〜江差間が再来年にも廃線になることが新聞に出ていた。北海道では95年の深名線以来、およそ20年ぶりのこととなるみたいだ。乗車率も営業係数も絶望的で、いよいよ新幹線が北海道に上陸するのと入れ替わりで消えて行くことになったんだそうな。

 木古内から函館の間は松前線を廃線にして作った津軽海峡線が合流する関係で、上述の区間の寂れぶりが嘘のように旅客・貨物共に本州との大動脈となっていて、ひっきりなしに長大な編成の列車が通っている。そんな鉄道の明暗が見事に分かれる町、木古内の外れにひっそりと一軒宿の知内温泉はある。

 江差・松前一帯は、道内では最も早くから開けた歴史のある土地であるからか、何となく風景が本州的だ。瓦屋根の家があったり、斜面を丹念に整地して造ったチマチマした田畑が目立ったり、重厚な屋根の寺が集落にあったりして、おれには馴染みやすく思えた。地名の「内」は「ない」と読ませるのが大半である北海道ではたいへん珍しく、ここ知内は「しりうち」と読むのだが、このこともあるいは歴史の古さを物語るものかも知れない。

 道内随一の歴史を誇る温泉、ってコトでずいぶん昔から気になっていたのだが、何分足掛かりがよろしくない。20年前の北海道大旅行の際も、函館からの距離がかなりあることと、行ってしまえば松前のあたりをウロウロしたくなることは必定で、そうなるともう日数が足りなくなってしまう。そんなこんなでどうにも上手く予定に組み込めず、泣く泣くコースから外した記憶がある。実際、札幌に住まうようになっての今回の旅でも、目的地として遠いことには変わりない。

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 到着した一軒宿の「ユートピア和楽園」は広大な敷地にやたら広い駐車場といくつかの建物が渡り廊下で繋がって並ぶ旅館だった。敷地だけなら高層の温泉観光ホテルが立っててもおかしくないほどの広さがある。かつては近所にもう一軒、「姫の湯」という別の温泉宿があったらしいのだが、すでに廃業して久しく、今はもう荒れ地となって建物も残っていない。
 名前だけだと何だか今どきの安っぽい温泉健康ランドみたいだが、ここはれっきとした800年もの歴史を持つ温泉宿であり、現在の当主は実に16代目だという。個人的にはどうでも良いことが、玄関先には例の「日本秘湯を守る会」の巨大提灯がぶら下がってたりもする。
 案内された二階の部屋はおそらくは近年に新築か改築された真新しい建物にあって、たいへんに綺麗。座卓の上にはお茶やお菓子と共に自費出版の物だろうか、この温泉の縁起のような本が置かれてある。そこにはかつて湯治場として隆盛を極めた頃の写真が載っていた。

 そう、晴れた土曜日の陽も傾きかけたもういい時間だというのに、妙に館内がガランとしているのであった。だだっ広い駐車場に停まるクルマはおれのを含めて僅か数台だ。建物から敷地から明らかにキャパを持て余している印象である。

 館内には別浴になった内湯が2ヶ所と、やや離れた裏手に混浴の露天風呂がある。明るいうちの方が空いてるだろうからまずは露天の方だろう。雪よけになった人一人がやっと通れるほどの塩ビ波板の回廊を出て、旅館裏の狭い道路を渡ったところにある。大きなコンクリートの貯湯槽が見える。建物の雰囲気と豊富な湯量を独占してるのが山形の湯ノ瀬温泉を思い出させる。
 目隠しの板塀を入ると至極簡易的な脱衣場となっており、奥に長方形の大きな湯船が配されている。積雪地ゆえか四阿の屋根が全面に掛かっているのと、入り口付近から向かって左側に石が積まれてあるのに加え、これまた目隠しのためか青いネットが張り巡らされており、あまり開放的でもなければ、眺望が開けるわけでもない。すぐ右手は今は使ってないと思われる旅館の建物だったりするし(笑)。西日が眩しい。
 鉄分を含んだ湯はかなり熱く、湯船の周囲には小さな千枚田のようになって析出物が固まっている。それにしても、だ、ものすごい数のブヨが襲ってくる。小バエくらいの大きさで、夏の露天風呂の厄介者・アブ同様、音もなく身体に止まってはいつの間にか血を吸ってやがる。ブヨが生育できるのはそれだけ水が綺麗な証と言われるけど、それがどないしてん!?と言いたくなるほど鬱陶しい。
 久しぶりに現れた獲物だったのか、叩いても叩いても群がって来る。何せこっちはビシバシ写真を撮る関係上、湯から出ている時間も長い。気が付くと足の数か所から細く血が流れていた。

 内湯はここもまたとにかく湯の熱いのが印象に残っただけで、造作その他あまり特筆すべき点のないものだった。しかしこの凡庸さ、素っ気ない共同浴場のような造りは、とかく民芸調のコテコテに演出したがる提灯宿が多い中にあって、却って好感が持てるような気がした。ちなみに作りも二ヶ所ともほとんど同じ。

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 夕食の時間になった。食事は一階の大広間である。和室ではなく、珍しく円卓と椅子の並ぶ絨毯敷きの洋宴会場だ。そしていささか愕然とした。
 いやいや、料理がショボかったとかそんなんではない。宿の名誉のために申しあげとくとむしろ全然逆で、料金からは信じられないボリュームのある料理が色とりどりにテーブルの上に並んでいる。内容だって手の込んだ、美しく盛り付けられたものがばかりである。味だってとても良かった。

 驚いたのはあまりの宿泊客の少なさである。おれたち以外は5人組の料理が、広い部屋の少し離れたところに用意されてるだけなのだ。土曜日なのに、だよ。週末の金曜・土曜あたりで稼がんかったら、いつ旅館は稼ぐっちゅうねん?
 少し遅れて件の別のグループもやって来た。服装からすると渓流釣りにでも来た感じである。だだっ広い大広間に二組、少しく寂しく感じたのは言うまでもない。駐車場にはもう少したくさんのクルマが停まってたが、それらはみんな日帰り客の物だったワケだ。

 部屋に戻って置かれてあった本を再びじっくり読む。そこにはかつて湯治場としてひじょうに活況を呈していた様子が出ている。まだ乗合バスが珍しかった時代に駅から送迎バスを走らせたり、冬場には馬橇を引かせたり、といろいろ工夫してサービス向上に務めていたことも伺われる。温泉プールなんかもかつてはあったみたいだから、有り体に言って一種の総合レジャーランドを目指してたんぢゃないか?と思えるフシもあったりする。
 それが今では山あいの静かな、そしていささか寂れ気味の温泉場である。周囲の状況があまりに変わりすぎたのだ。そりゃぁなるほどここが本州からの鉄道の玄関口であることに間違いはない。津軽海峡線開通に伴って新設された駅だって立派なのがあるにはある。しかし、停まる列車はたったの1日上下各2本に過ぎない。つまり殆ど駅として機能していないのである。北海道最古の温泉って以外にさしたる観光スポットもなく、景色も平凡なこの辺りは、みんなもう通り過ぎて行くだけなのだ。近郷の地元民にしたって、ほれ、「モータリゼーションの発達」やら「アメニティの多様化」っちゅうヤツで、そんなもう鈴なりになって温泉に押し掛けるなんてことはしないのだろう。
 寂しいけれど、それが現実なのだ。

 もう一つのグループは朝食を断って朝早くに立ったのか、翌朝の宴会場にはおれたち2人の朝食が用意されているだけだった。

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 ブヨに噛まれた痕はその後シミになってしまい、未だに足の何ヶ所かに残っている。それでなくてもシミの気になるヨメにも散々文句を言われてしまった。今度はブヨのいない季節に行きたいものだ。おそらくそのタイミングなら猛烈に伸びてた雑草もいい具合に枯れて、どうにも近付けなかった旅館周辺の野湯にも辿り着けるだろう。


ナンボ目隠しとはいえブルーのネットはいささか無粋かも知れない。

2012.08.13

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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