「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
寂しき新興・・・・・・雷電温泉


夕陽に輝くみうらや旅館全景(ギャラリーのアウトテイクより)。

 慄然とした、と言ってもいいだろう。

 ハッキリとは覚えてないのだけど、20年前に雷電朝日温泉に向かったとき、岩内の南の外れ、海岸っぺりの取り付きの坂道には何軒かの旅館が並んでおり、温泉街とまではいかないまでも、それなりに小さな温泉郷を形成してたような記憶がある。その時は山奥の電気もマトモに来ない秘湯の宿に向かうことに夢中で、立ち寄ることも、ジックリ見ることもなく通り過ぎただけだった。
 もちろん、雷電温泉について知らなかったワケではない。ただ、当時、行き先を占うのに使ってた、情報過剰の現代から見れば本当にささやかと言ってもいい何種類かのガイド本には、「戦後開かれた新興温泉」とあったので、あまり気を惹かれることがなかったのだ。

 ともあれ今ではそれらの旅館はどれも綺麗に無くなって、急峻な斜面を切り開いた、元は建物があったと思しきわずかな平地は、どこも草ぼうぼうの荒れ放題の空き地に変貌してしまっていた。そんな中まさに孤軍奮闘、ただ一軒だけ残って頑張るのが今回紹介する「みうらや旅館」である。
 もぉ、グダグダ・クドクドあれこれ書く前にあらかじめ書いておく。もしこれ読んで、興味を持たれた方がいらっしゃったら、是非とも立ち寄り湯ではなく、ちゃんと一泊二食の泊まりで出掛けてみて欲しい。そして、日本海に沈む夕日を見ながらの晩御飯の際にはビールの一本でいいから注文してあげて欲しい。

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 昔来たときはこの登りでタイヤが空転しまくって、それでパンクしたんだっけ〜?などと話しながら、20%近い恐ろしく急な上り坂を上がって行くと、すぐに目指すみうらや旅館には到着した。昔はFF、それもフロントのトラクションがどうにも不足気味で、おまけに路面はダートでひどく往生したのだった。今は見た目は平べったいクルマでも足回りは4WDだし、道も簡易とはいえ舗装された。
 西向きに日本海を望む斜面、かつては雛壇状に旅館があった雷電温泉の最上部、背後に森を背負うようにして宿はある。建物の前は駐車場になっており、振り返ると日本海が一望だ。
 壁は白、屋根や腰板は鮮やかな青、とリゾートっぽく塗られながらも至極オーソドックスな二階建ての建物は、外壁こそリニューアルされているが、なかなかに年季の入った雰囲気だ。向かって右手にはこじんまりとした露天風呂があるのが分かる。玄関脇には綺麗に植えられた花壇と、ちょっと建物にはミスマッチな感じもあるファンシーな陶製の人形が出迎えている。

 三脚着けっぱなしで、あまつさえデカいストロボまで乗っけた一眼レフを持ってたのが良くなかったのか、女将さんにいきなり「カメラマンの方ですか?」などと突っ込まれてしまった。そこにある種の警戒の色があることをたちまちおれは看取した。こんな安い一眼のどこがカメラマンぢゃい!?などとは言えるワケもなく、いえいえ単なるサラリーマンです、単身でこっちに来てるんがヨメが来たんであっちゃこっちゃ回ってるんです、でも見た目サラリーマンにゃ見えませんよね?・・・・・・っていきなりヘロヘロの卑屈な言い訳モードで気弱なおれ。

 案内された部屋は2階の、もっとも日本海の眺望の効く部屋だった。元は2つの6畳間だったのをブチ抜きにしたもので、夫婦二人で泊まるにはいささか広過ぎるくらいに広い。お世辞にも新しいとは到底言えず、豪華さなんて微塵もなく、かといって年経たモノだけが醸し出せる重厚さにも欠けるが、小ざっぱりとしていて好印象。もういい時間なのに駐車場には他のクルマがなかったし、館内の静まり方からすると泊まりはどうやらおれたちだけのようだ。
 早速窓を開けて景色を見ようとすると、沢山のカメムシがへばり付いている。女将さんにはガムテープを渡された。部屋に入ってきたら、適当にこれを千切ってカメムシを包み込んで捕まえると臭くないとのことだ。しかし、窓を開けてもないのにすでに部屋の中も何匹かノソノソと這ってるではないか。教わった通りガムテープに貼り付けて捕獲しながらよく見ると、そいつらは窓も何も冬の暖房用に空けられた排気口から侵入してきてるのだった・・・・・・窓、閉めてても関係ないやんか(笑)。

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 日暮れが近く、日本海に沈む夕日を写真に撮ってもみたかったので、早目に露天風呂の方に向かうことにする。まぁ、上で書いた通り、前の駐車場からは丸見えで解放感タップリだろうが、もうこんな時間に新たな客が来るとも思えないし、そもそも露天風呂に入ってて、それを見られてどうのこうの言う気もない。

 内湯に隣接した混浴の露天風呂は、手作り感溢れるとてもこじんまりとしたものだった。これといったギミックもなく、単に周囲に岩を配し、玉砂利敷き詰めた中に直径3メートルほどの岩風呂があるだけ。意外なことに木々が深く覆っているために、海を望む露天、というよりは森の中の雰囲気だ。硫黄臭タップリで白濁した湯が特徴だった朝日温泉みたいな湯を想像してたが、これまた意外なことに無色透明で清澄な湯だ・・・・・・って、底でミミズがふやけて沈んでるやないかい!
 いやいやいやいや、今朝入った平田内の奥の熊の湯では小さな蛇が茹だって浮いてた。それに比べたらまだナンボかマシである。どだい露天風呂で虫が浮いてるだとか葉っぱが沈んでるとかで目くじら立てる方が野暮でアホ、っちゅうモンだろう。ヨメがまだなんだかんだ支度中で入ってこないうちに、おれは黙って傍に備え付けられてあったタモ網でそいつをすくって外に投げ捨てたのだった。

 カンカン照りの夕陽が沈んで行く。暮れなずむ海の色合いの変化がおれは大好きだ。申し訳程度の目隠しの格子の柵はいっそ無い方が清々しいかもしれない。まだ明るいのに辺りはとても静かで、標高がかなり高いために潮騒さえも聞こえない。湯もさほど熱くもなく温くもなく適温で、いつまでも入っていられそうな感じだ。

 こっちもこじんまりした内湯の方は、最近ではスッカリ少なくなった、湯船の奥が男女共用になった半混浴のタイプ。こちらの方が窓が大きく露天より景色は良いのだが、残念ながら空気抜きらしい空気抜きがないせいか、浴室内は湯気が濛々としていた。

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 部屋に戻るとテーブルの上には見事な夕食が並んでいる。ぶっちゃけ宿泊料金からは想像が付かないくらいに豪勢な海の幸のオンパレード、っちゅう手垢のついた喩えの状態やね。取り敢えずおれはビールを1本頼んだ。今も大して豊かな暮らし向きではないし、何十年来変わらないケチケチ旅行だけれど、それでも宿に泊まって酒の何本かを頼めるくらいの余裕は、昔に比べて出て来たのだろう。
 もちろん、1本で足りるワケがない。かつてはコップ1杯で酔ってた下戸のヨメも、最近はおれよりよっぽど回数こなしてんぢゃねぇか!?ってな飲み会で鍛えられたせいか、前よりは飲めるようになっているのである。すぐに2本目だ。そいでもって3本目だ。これ以上しかしビールでハラ膨れたら、メシが食い切れなくなってしまう。それでなくとも、着いてすぐに途中のシケたコンビニで買った二合瓶を空けてたんだっけ。

 母親直伝の出汁という、魚介類がドッサリ入った鍋の準備をしながら女将さんがいろいろ話し掛けて来る。ここは自分の実家で、長く札幌で旦那さんが会社勤めして暮らしてたのだけど、両親が年老いて旅館を継いでくれと言われて戻ってきたこと。この旅館が雷電温泉では一番古いのだけど、結局昔から残ってるのは自分のトコだけになってしまったこと。こんな急斜面に建ってるのだけど下は強固な岩盤で奥尻の地震の時もびくともしなかったこと。露天風呂は旦那が一人でコツコツ作り上げたこと。料理はそんな数寄を凝らしたものはできないけれど、シッカリいいモノ仕入れてやってること(たしかに驚くほど大きな毛ガニがドーンと茹でられて皿に乗っかってた)。だからぶっちゃけ今の料金だと殆ど商売にならず、儲けはお客さんが頼んでくれるお酒の分だけなのだけど、北海道の旅館の多くは持ち込みOKなもんだから、それは踏襲せざるを得ず、ナカナカに旅館業も大変なこと・・・・・・ワハハ、そうなのだ。女将さん、おれたちがビール3本も頼んだもんだから、つい嬉しくなってはしなくも本音が出ちゃったのである。

 しかし、考えてもみて欲しい。ビールなんて酒屋で買ったら大瓶1本300円少々である。飲み屋や旅館で頼めば700円前後だ。つまり、差し引き400円程度の儲けにしかならない。もちろん冷蔵庫で冷やさなくちゃならないし、コップ出したり、運んだり、洗ったり、って手間を考えれば儲けなんてたかが知れている。3本でも千円行くか行かないかだろう。

 これを実直な商売と言わずして何と言おう。

 そうなのだ。小規模な個人絵経営で資金力に乏しく、部屋数だって宿泊客だってそんなに多くないから大量仕入れが出来るワケもなく、部屋だって昨今の「一個人」みたいなスノッブでペダントリーまみれの雑誌が取り上げるような「和モダン」でもなんでもないフツーの和室で、ましてや個室露天風呂なんて望むべくもない状況の下コツコツとやってくには、もう料理に金を掛けるしかないのである。かといって腕の立つ板前を雇う余裕なんてなかろう。つまり、技術で金を取ることはむつかしい。そうなれば勢い、食材に原価をキッチリ掛けるしかないではないか。さらには道路の発達によって岩内なんて札幌からは日帰り圏内になってしまった。昔のように観光客が泊りがけで来ることは間違いなく減ってるはずだ。
 しかし、これは身を切る商売に他ならない。薄利は多売せねば採算が取れないのは自明の理ではあるものの、そうなるとキャパも人手も厳しくなる。だからお酒を頼んでくれたらなぁ〜、と願うことはちっとも悪いことではない。

 おれはこれから小さな零細旅館に泊まったら、そしてそこがどう見たって宿泊料金からは信じられないほどの食事を誂えてくれたなら、必ずや食事にはビールや熱燗の2〜3本でも頼もうと思ったのだった。

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 翌朝の朝食も、どれもこれも嬉しくなるような献立だった。おれはヨモギの天麩羅っちゅうモンを初めて食べた。女将さんは話好きで、給仕しながら相変わらずいろんなことを話してくれる。カメラを担いでたおれを警戒したのも実は、数ヶ月前に勝手に雑誌にいろいろ載せられてたいへん迷惑したかららしい。どのような類の雑誌かは聞き損ねたけど、まぁロクでもないものなんだろう。インターネットに載せるのはともかく、とにかく雑誌だけは勘弁して欲しい、というように言っておられた。

 そんなんだから今稿を書くかどうか随分迷ったのだけど、別に混浴がどうこうっちゅうコンテクストで紹介するワケではないし、いささか残ない内容とはいえ、今ではもう一見さんがアクセスしにくくして訪問数を意図的に減らしたマイナーなサイトに書くだけで、雑誌メディアには縁がない。
 ただもうおれは、絶好のロケーション以外は平々凡々とした小さな旅館の、長閑に見えて実はひじょうに厳しい実態の一端を紹介して、一人でも二人でも宿泊客が増えてくれたらいいな、と思っただけのことである。

 泊まるときは必ずお酒を頼む、ってコトでね。え!?飲めない!?・・・・・・それなら瓶のコーラかサイダーでも頼んでよ(笑)。


日本海を一望する露天風呂。板塀や柵は要らないと思う(同上)。

2012.08.11

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