「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
驚異の小宇宙・・・・・・レトロスペース坂会館の衝撃


2階のセクシーランジェリーマネキンがいきなり観客を混乱、脱力させる会館全景。

 24時間のことをすべて記述すると、それは読破するのに24時間以上間違いなくかかる、ってな話がたしか「吾輩は猫である」の中にあったような気がする。そして、まさにそれを地で行く無謀なまでの試みがジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」なワケなんだけど、1日でさえそんなんなんだから、一人の個人の脳内世界をなにがしかの具体的な形に再現することは不可能と言ってもよいだろう。

 「レトロスペース坂会館」はいささか屈折しつつもその地平を明らかに目指している。

 埼玉は高坂の町はずれにあった、今は無き「老若男女憩いの場・神秘珍々ニコニコ園」の膨大なパワーには思わずクラっと来るくらいに圧倒されたが、この「レトロスペース坂」の衝撃にも端倪すべからざるモノがある。端倪とは端から端まで見るってことらしいから、その点でそもそも不可能なのだ。なぜならここには終端がないからだ。

 そもそも「レトロスペース坂会館」とは何ぞや?ってとこから始めなくてはなるまい。

 札幌市の西の方、二十四軒ってけっこうな町中に、ビスケット・クラッカーの製造会社の「坂栄養食品」というのがある。ジンギスカンのタレで有名なベル食品、北欧がやってるパンの博物館なんてーのも近くにあったりして、何となく食品関連の工場の目立つところだ。坂栄養食品は元は澱粉屋だったのが菓子製造業に転じ、「塩A字ビスケット」等、地味だけど息の長い商品を出してる地元企業で、スーパーでもよく見かける。
 そいでもって、そこの2代目社長というのが実にユニークな来歴の人で、なんと40過ぎまで全共の闘士やってたのがリタイアして郷里に帰って、今は家業のビスケット工場を継いでるって変わり種だ。社長がギンギンの左翼なら、企業としてはめんどくさい組合問題が起きなくていいのかな?とも思ってしまうが(笑)。ともあれそんな彼が私費を投じて、元は直営レストランだったという工場脇の建物の中に、様々なガラクタを並べて私設博物館を拵えた・・・・・・それこそが「レトロスペース坂会館」ってことになる。ちなみに入場は無料で、定休日は日曜日だ。片隅にビスケットの直売店がくっ付いてて、ちょっとしたお土産に買って帰ることもできる。

 ぢゃ展示物は?・・・・・・っちゅうと、ここからがいよいよ本題で、とにかく一筋縄では行かないややこしさなのである。

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 一筋縄では行かない証拠に、ガラクタの並ぶ入り口を入った途端に毛糸で亀甲縛りにされた沢山のリカちゃん人形が、ぶら下げられたり、便器型の置物の上に座らされている。それだけでは全くもって意味不明、でもまぁ右隣りにはクスコ、鴨居の上には責め絵が飾られてるところからするとこれにはやはりBDSM的な意味があるのだろう。その左、ショウケースを挟んだ奥の階段下と思われる狭苦しい空間はセクシー下着の間になっていて、数々のセクシー下着とそれを着けたカラーイラストが一面に貼られている。ちょっと淫靡なエロ、ってトコだろうか。

 こうして入ってわずか数mの部分についてサラッと書いたけど、あくまでこうして述べたのは展示物のコアな部分だけであって、その隙間を埋めるようにありとあらゆるジャンク・ガラクタ・骨董品の類がギッシリと、しかしある種の秩序と流れをもって几帳面に分類されて置かれてある。意味は分からないけど脈絡が感じられるのだ。

 リカちゃんが並ぶのは通路で、奥が恐らくは元々のレストランスペースらしく広くなる。いろんな調理器具や石鹸・シャンプー等の日用品、70年のEXPOのペナントや広告、クレヨン・色鉛筆・筆箱・消しゴム・物差し等の文房具、日本人形、こけし、ガスマスク、靴に草履、下駄、枕、飲み屋や喫茶店の燐寸、キーホルダー、観光土産のチープな置物、助平な浮世絵の描かれた瀬戸物類、アルマイトの弁当箱、花瓶、食器、貯金箱、柱時計に目覚まし時計、置き薬の箱、ちびくろサンボ関連グッズ、拓銀関連グッズに画家「宮田清」の世界コーナーっちゅうのもあった。誰やそれ?(笑)展示物にはかつて営業してた頃の燐寸やパンフも含まれる・・・・・・そしてその隙間を埋めるかのようにB級なヌードピンナップ、ヌードをジャケットにしたムード歌謡のLPやカセット、ポスター、これだけハダカに拘ってんならきっとあるだろうと思った、ソフトバンクのCMではすっかりお母さんになった篠山紀信+樋口可南子の「WaterFruit」もキッチリある。そしていろんなものを被せられたり着せられたりしたマネキン。
 これらが渾然一体、圧倒的なまでのボリュームで、基本的には種類別に神経質なまでにキチンと分類されて並べられている。キャプションの類は一切ない。

 元はカウンターバーだったと思われる様々な空き瓶が棚に並んだところから通路は折れて、奥に別の部屋がさらに続いている。ここは最初のゴチャゴチャ感からするとかなりスッキリとした印象だ。

 壁の2面は日本酒のラベル、その前あたりには古いオーディオやらテレビ・応接セット、なぜか大橋巨泉の選挙ポスター、過去のあらゆるたばこの銘柄のパッケージ、もう1面は往年の女優のヌードがギッシリと貼られ、立ち並ぶショウケースには書籍関係が多い。おれは「血と薔薇」の全冊揃いを初めて見た。「裏窓」や「SMキング」等のSM雑誌、カムイ伝が大人気だったころの「ガロ」、「冒険王」、「平凡」、カストリ雑誌、フランス地下文学関係(大半はO嬢の物語)、60年代学生運動関連を特集した雑誌やルポ、劇団天井桟敷のパンフやポスター、チケット・・・・・・その上あたりに並んでる女優のヌードをよく見ると、ちゃんと若き日の新高恵子がいるやんか。やはり、雑多ではあるもののいろんな配置は細かく計算尽くで行われているのである。

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 気付いたらそれほど広くもない所なのに1時間半くらいいた。ただもう、その氾濫する凄まじいまでの量の、変質狂的なまでに丹念に分類された展示物に圧倒されていた。途中、他に何人かの見物客が来たけれど、ほとんどの人は困惑したような表情で数分で立ち去って行った。そらまぁ、食品会社に併設された博物館としては異様で明らかに失格である。製品との関わりは皆無だし、並べられてる多くは世間の、それこそ「常識と良識」の備わった人からの顰蹙は大いに買いこそすれ、感嘆の声を上げさせる性質のものは少ないからだ。

 結局、展示物に細心に張り巡らされたあらゆる選択と配列の意味を汲み取り、全てを本当に了解できるのは、2代目社長と同時代に生き、同じ考え方を持ち、同じ体験と行動と暮らし方をし、そして同じ失意と挫折を味わった者だけである。しかしそれは彼自身以外には存在しない。おれだってエラそうにこうして書いているけど、あくまでホンの一瞬、展示物の一端を齧っただけだ。

 断言してもいいだろう。ここはいわば私設博物館の形を借りた古道具を用いたレディメードアート作品なのである。もちろん表現されるのは、2代目社長の人生(つまりは来し方の記憶)であり、そこで形成された脳内世界である。したがって、彼がまだ存命中である以上、この「レトロスペース坂会館」という作品は未完成であり続ける。否、死んでも未完成である。なぜなら人生を総括することはできても、集成することはハナから不可能な試みだからだ。それにしても「レトロスペース」とは実に気の利いた秀逸なネーミングだ。

 分からない人からすれば、変態の所業にしか見えないだろうし、こんなん作る人がやってる会社のお菓子、中身は大丈夫なんかい!?ってと思ってしまう人も多いだろうが、多分、2代目社長は実際のところ大人しくて生真面目で誠実で、そして純粋な人だろうと思う。そんなんだからこそ自分の人生に対して極めてベタっちゅうか、水平思考っちゅうか、ある意味愚直に素直に逐語的なまでに忠実に、それを形作ってきた事物をひたすら列挙するという、暴挙ともいえる手段に出たのである。随所に見られるSM志向、金髪ネーチャン志向にしたって、実践を伴わない、果たせなかった憧れの世界ではないかと思う。そんなの多かれ少なかれ誰にだって、ある。

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 これほどの面白い見学ができて無料っちゅうのはいくらなんでも申し訳ない気がして、おれは直売店でお菓子を一人で食いきれないくらい買い込んだ。「割れビスケット」というのが破格の値段で、チョーお買い得だった。妻子が来た折に出してみたら、素朴で食べ飽きしない美味さだと喜んで、みんな東京に持って帰って行った。以来、気が付いたらここの製品は買うことにしてる。

 ともあれ、札幌に観光に来て、どうでもいいようなラーメン横丁とか白い恋人パークだとかJRタワーだとか行くくらいなら、おれは絶対この「レトロスペース坂会館」を訪ねることをお勧めしたい。


緊縛リカちゃん(笑)。

2011.12.31

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