「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
無煙浜へ


無人の海岸近く、ひっそりと湧く石油

 あまりに強い風のためか、あるいはそこに含まれる塩分のためか、あまり樹々が育たず、もっぱら一面の雑草に覆われた急峻な海岸段丘が長く続き、それに沿った縹渺たる浜に残るのは、微かな人のかつての活動の痕跡を示す、ところどころに点在する半ば崩れ落ちた廃屋くらいだ。あとは風が吹き抜け、重たい波が打ち付けるだけで、雑草が背よりも高く生い茂った荒涼として単調な風景が広がる。寂寥とはこんなのを言うのだろうと思う。それくらいに寂しい。
 初めから無人だったのではなく、一度は人が入り、いろいろ頑張って取り組んではみたものの、結局は放棄された風景。

 こっちに越してきて以来、温泉そっちのけでそんな景色ばかり見て回っている。

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 市内からおよそ30km、石狩川河口から留萌方面に北上する途中に無煙浜はある。一度聞いたら忘れられないその印象的な名前だけはずいぶん以前から知っていた。ここには石油が今なお湧出してるのだ。

 新潟や秋田にかけての砂浜や後背丘陵地一帯で石油が湧くのと同じで、似たような地理的条件を備えた石狩川沿いにもかつて油田があった。最盛期には200本近い櫓が立ち、道内の石油消費量をあらかた賄うことができたというのだから、相当の産出量を誇っていたみたいである。大油田と言っていい。しかしそれも遥か昔、もう半世紀以上も前の話で、昭和30年代には資源枯渇によりほとんどが消滅し、最後に掘削された茨戸油田も昭和45年頃には閉山となった。 ただ枯渇、と書きはしたが、それは当時の未熟な掘削技術ではそれほど深くまで掘れなかったからで、今の数千メートルに及ぶ大深度掘削の技術をもってすればまだまだ油田の有望な鉱脈が眠っている可能性が無くはないらしい。
 炭鉱についてはその栄華と衰退が何かと良く取り上げられる一方で、油田はどうにもこうにもマイナーすぎてあまり取り上げられることがない。しかし、かつて日本の産業の一翼を担った時代が間違いなくあったのだ。

 話は脱線するけれど、日本の石油は産出量的には微々たるものとはいえ、品質的には素晴らしく良いものが出る。軽油として使う分には精製の必要がないくらいにタールやピッチといったものが少ないんだそうな。実際、おれが過去に見た産出品のサンプルはどれも黒くてドロドロした原油のイメージからは程遠い、淡黄色で透明のものばかりだった。石狩のがどうかは知らないが。

 ・・・・・・と、そんなことをあれこれ思い出しながら、ナビで大体の狙いを定めてクルマを走らせる。平日は石狩新港からの物資を満載したトラックで混雑すると思われる、何車線ものだだっ広い国道も休みの今日はガラガラだ。大きな川の河口付近の平野特有の、何か大切なものが不足したような大味で空漠な風景の中を走って行く。
 国道を外れ、終末処理場といったいかにも人の少ないところにできそうな設備なんかを見ながら何度か曲がり小さな川を渡ると、海沿いに出た。冒頭に書いた通りの寂しい寂しい景色の中、緩やかに曲がりながら細い道路が続いている。ナビの縮尺を最大にしてその中の自分の位置を睨みながら見当をつけ、数百メートルおきにある車止めのされた海岸への枝道の一つにクルマを止めた。

 呆気なくそれは見つかった。こぉゆう時のおれの引きの強さは何なんだろう?もっと宝くじとかで発揮されればいいのに。風に乗って何となく鼻を衝く石油の匂いがするな〜、と思いながら海岸方向に狭いダートをどんどん歩いて行ったら、その脇に広がっている巨大な水たまりが石油の湧出箇所だったのである。旧厚田油田の跡だ。

 黒く盛り上がって固まっているのはタールが固まって天然アスファルト状態になっているのだろう。そういえば、未舗装のはずの道路なのにところどころアスファルトみたいなのがあったのも同じものと思われる。要はこの一帯のあちこちで石油は湧いているのである。しかし、ベトベトした茶褐色の析出物で汚れた水たまりを満たしているのは大半が水であって油はホンの僅かしか出ていない。水面をジーッと見てると、たまに気泡と共に油が上がって来て、同心円状に虹色の油膜が広がって行くのが分かる。微々たるものだ。湧くというよりはジクジクと滲み出していると言った方が正解だろう。
 当然っちゃ当然である。そんなボコボコ大量に石油が噴き出してるなら今でも油田は操業を続けていただろうから。

 足を踏み込むとズブズブ沈み込みそうなので眺めるだけにしたが、少し遠くの場所では水面から盛んに泡立っているのも見える。おそらく天然ガスだろう。ライターを点けてみたい悪戯心が一瞬起きるものの、まぁまずないだろうとはいえ、もし引火でもしたら洒落にならないので止した。
 反対の山側に少し入ったところには油井の跡もある。頑丈に鉄柵で囲われて、コンクリートブロックの蓋がしてある。大きく火気厳禁の看板も出ていたが、本当に危ないのかどうかは分からなかった。

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 元の道に戻りさらに行く。草叢の中には古い木造の廃屋が何軒か。壁は破れ屋根は抜け、見事なあばら家だ。どれも近寄ろうにも絡み合ったブッシュが邪魔して分け入ることができない。牧場の夢破れたのか、サイロの残骸もあった。トンガリ屋根はとうの昔に抜けてしまい、石造りの丸い壁だけが雑草の中からニュッと出ている。何となく中世の城の牢獄みたいだと思った。

 道は二股に分かれ、片方は崖を上がって望来という集落から元の国道に戻る道、もう片方は海岸に出るダート道だ。再び車を止めて歩き出したのは正解だった。えらく路面が陥没してる場所があったりするし、迂闊に入り込んで砂地でスタックでもしたら困る。以前のクロカン4WDなら躊躇することなく入って行ったろうが、今の車は極端に足が短いのだ。

 ここもやはり草叢と廃屋。砂地の上には不法投棄されたタイヤや冷蔵庫、ブラウン管のTVなんかが転がってたりもする。コカコーラの看板が残る片流れの屋根の浜茶屋らしき小屋なんかがあるところからすると、元は海水浴場だったのかも知れない。沖合を暖流が流れる関係で石狩湾沿いには海水浴場が点在してたりもするのだ。銭函なんてかなり地元では有名だ。まぁ、どれもこれも規模は小さく、営業期間は悲しくなるほど短いらしいが。

 波打ち際に出た。台風の後だったせいもあるけど、流木・瓶・缶・ペットボトル・発泡スチロール・ブイ・・・・・・何だか良く分からないものまでいっしょくたになったおびただしい塵芥の漂着物で浜は一杯だ。眺望は遠く小樽方面までが見渡せる。風が強い。何とも陰鬱で荒んだ風景だ。そんな中、意外なことに若者3人組がバーベキューをしていた。クルマはフツーのカルディナだ。どうして乗り入れたんだろう?それよりなにより、そもそもこんな陰気なところでやってて楽しいのだろうか?

 道はさらにもう少し行った先の崖下で途切れる。浜は流れの関係で数多くのものが打ち上げられるらしい。琥珀や石炭なんかも上がるんだそうな、時にはありがたくもない土左衛門も漂着するみたいだが。

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 打ち棄てられた事物だけが漂わせることのできる、名状しがたいまでの寂寥感に満ちた無煙浜の風景は、もちろん誰彼なくお勧め出来るものではないが、強く記憶に残るのは間違いない。圧倒的なまでに寂しい、矛盾した喩えだと自分でも思うけど、ダイナミックな寂漠だ。そんな風景が市内からさして遠くないところに残っているというのが良いことなのか悪いことなのかは正直、分からない。

 ともあれおれは、雪降る前に内陸部の油田跡である五ノ沢・八ノ沢にも出かけてみよう、と思った。


※参考文献
   札幌市ホームページ http://www.city.sapporo.jp/

2011.10.02

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