「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
「国民保養温泉地」の哀しみ・・・・・・鹿教湯温泉


奥に聳えるのが「ふぢや」、手前が廃墟となった「かめや」(ギャラリーのアウトテイクより。)

 別所温泉の華やかさに比べると、「国民保養温泉地」をウリとする鹿教湯温泉にはいささか衰微の翳が濃いように思ってしまう。末期症状を呈する戸倉上山田温泉ほどではないにせよ、旅館は何軒も立ち並んでいるのに、別段、安っぽい風俗店等があるワケでもないのに、何だかちょっと閑散として殺風景な印象がいつもある。

 もちろん多かれ少なかれ日本の大温泉地は今、どこも苦しんでいる。それは良く分かってる。しかし、その事実を差っ引いてもここには何だかいつもいささか寂れた感じが漂っている・・・・・・で、気になって改めてワケを考えてくと、人通りの少なさに加えて、どうやら温泉街の景観の中途半端さにあるような気がしてきた。
 明治・大正、あるいはもっとそれ以前の建物が櫛比しておれば歴史と伝統と風格の重厚感が醸し出されるだろうし、今の金余り年金持ち逃げ世代をターゲットにしたこじゃれた和モダンな小規模旅館であれば、個人的に好きでないとはいえ、それもまぁ良いだろう。いっそすべてが行楽大衆化時代の残滓のような、昭和40年代テイストなところで時間の止まった旅館ばかりだったら、それはそれで一種の奇妙な統一感があって貴重な存在ともなりうるだろう・・・・・・救いようがないくらいに惨めったらしいが(笑)。ところが、ここはそれらがそれぞれ均等にある感じでどうも全体の統一感とかまとまりに欠ける。さらに温泉街を車道が突き抜けているので、宿へのアクセスが良い分だけどうも味気ない。おまけに温泉街の中心あたりにドーンと巨大な温泉病院がある。あっちゃダメとは言わんがど真ん中っちゅうのはどぉゆうこっちゃ、とやはり思ってしまう。

 ともあれそんな鹿教湯なのである。

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 通り過ぎたことも含めると訪ねるのは何回目になるのだろう?休日だというのに、相変わらず人通りがまばらな温泉街だ。ひょっとしたらあるいは、温泉場としてあまり日帰りや立ち寄りといったお金を落としてくれない客を相手にせず、宿泊を主体としていて、夜ともなればそぞろ歩く浴客の姿があちこちに見られるのかも知れないが、もう午後のいい時間で、そろそろあちこちで気の早い宿泊客が到着し始めててもおかしくない時間帯である。
 狭い道を入ったところにある駐車場は意外なことにけっこう満杯だったりする。一体全体みんなどこに行ってるのだろう?と不思議になる。以前は河鹿荘に入れてもらったので、今回は目先を変えて違う所を当たることにする。

 ここはいかにも温泉地らしい由来を持ったところで、鹿に化けた文殊菩薩が湯の在処を教えたとかナントカで「鹿教湯」なのである。フツーは薬師だったり観音だったりするのが、知恵を司ると言われる文殊、っちゅうのが良く分からない。ともあれ、そんな関係で文殊堂までの細い石畳の道が本来のメインストリートとなっている。
 混浴では「つるや」が有名だが、建物がリニューアルされて何となく今風のそれこそ和モダンな造りになってるので、敢えて隣の古びた印象の「ふぢや」にしてみることにする。
 玄関を開けると柱に呼び鈴があって「御用の方は押して下さい」などと書いてある。ひねくれてるようで素直なおれは指示に従って押したのだけど、ウンともスンとも返事がない。ちょっとイラッとしてピンポンピンポン、ようやく奥からおっさんが出て来た。フツーの、それもかなりだらしない服の着方で、何だかただの民家を訪ねたら卓袱台の横に寝転がって茶菓子食いながらTV観てたオヤヂが「はぁ〜い!」って出て来た感じ・・・・・・実際そんなんだったんだろうけど(笑)。

 ----あ〜、いらっしゃいませ〜。
 ----あの〜、お風呂入らせてほしいんですけど〜。
 ----はい〜。お客さん、インターネットかなんかでうち知って来られたんですかぁ〜?

 ・・・・・・あぁ!?開口一番そりゃねぇだろ!?って気分になった。そんなに日帰り客が珍しいんだろうか?アタマの中に一杯「?」が飛び交った状態で風呂に向かう。

 宿は玄関から途中までが母屋というか元々の形を残しているのだろう、明り取りの窓の竹を組み合わせた小粋で瀟洒かつ繊細な意匠といったものが随所に残っていて好ましい。片廊下に並ぶ部屋も昔の旅籠や湯治場の雰囲気が感じられる。奥は増築された新館(と言ってもかなり古びた印象だが)なのだろう、コンクリート造りの建物に変わり、昼間で電気を消してるのもあってどことなく陰気な、有り体に言えば廃墟ビルみたいな雰囲気がある。

 浴室は階段を下った地下1階にあるためこれまた暗い。まぁ、地下ったって実際は渓谷に向かった斜面に建物があり、上の方に玄関があって降りて行くので、正しくは玄関が上の階にある、と述べた方が正しいのかも知れない。それはともかく、風呂場前の「湯上がり処」みたいな広くなったところも真っ暗に近い。そりゃ最近の節電の影響あるとはいえ、ここまで真っ暗なのは如何なものかと思うくらいに暗い。
 混浴の大きいのと女性専用の小さいのに分かれた浴室は脱衣場があまりにも簡素で殺風景なだけで、中は至ってノーマルだった。渓谷を望む横長の湯船がドーンとあって、壁面はガラス張り。ただし、空気抜きがマトモに無い上にほとんどの窓が釘で留められてしまってるもんだから換気が悪く、湯気濛々でまるでスチームサウナのようになっている。だからせっかくの新緑に染まる渓谷の眺望も、ガラス窓が結露で曇ったり滲んだり、流れたりてしまってスッキリ見えない。勿体ないな、と思った。さらには露天風呂が少し離れてあるみたいだったが、エラく細かい時間帯で男女入れ替えになってるし、注意書きが小うるさかったのでパスしてしまった。

 ・・・・・・と、これだけ書くとここ全然ダメぢゃん、ってみなさん思われるかもしれない。申し訳ないけどまぁ、ぶっちゃけアカンとおれも思う。ただ、そのいささか荒廃と疲弊と投げ遣りが忍び寄る雰囲気が、鹿教湯の温泉街全体に感じるおれの印象に妙にマッチしてるように思えたのも事実だ。何も快適で心地よくて適度のワビサビで、ばかりがいつも旅の歓びとは限らないのである。このような逆立ちした隠微な愉しみもたまにはあるのだ・・・・・・いっつもかっつもだったらタマランけど(笑)。

 宿を出て坂を下って文殊堂に向かう。振り返ると奥の新館部分はけっこう高いビルになっており、思った以上に大きいことが判明した。玄関からは分からなかった。ただし、見るからに老朽化が進んだ印象だ。木造建築は古くなると風格が出てくるのに、コンクリートの建物はどうにも無残になってくのはどうしてだろう。
 これだけのキャパがあるってことは、かつては団体客が引きも切らず訪ねて来た時代があったのだろう。まだ交通網が未発達で、ここまで来るだけで一苦労だった時代。温泉に来て泊まるだけで十分ワクワクするイベントとなった時代・・・・・・その良かった時代の追憶、終わってしまった夢を食い尽しながら旅館は続いているような気がした。

 隣にある「かめや」という旅館は素晴らしく古い佇まいを見せる木造旅館だが、廃業して既に久しいのか、お化け屋敷と見紛うばかりの見事な廃墟物件と変わり果てている。屋根の上の物干し台なのか物見櫓なのか、木造の長い台なんてもう木が腐ってボロボロになり幽霊船の甲板みたくなっている。物憂い風景だ。
 坂を下り切ったところにある日帰りクアハウスみたいな共同浴場だけが僅かに活気があった。帰りがけ、「鹿教湯温泉音頭」とやらが染め抜かれたレトロな手ぬぐいを土産に1本買う。それを購う客はずいぶん久しぶりだったようで、パリパリした透明の袋は薄っすらホコリをかぶっていた。

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 鹿教湯を覆う沈滞感、終末感を考えて行くと、その根源は温泉街の建物の問題のさらに向こうにあるように思えて来た。すなわち、霊泉寺・大塩なんかと共にこの一帯の温泉が「丸子温泉郷」としてまとめて「国民保養温泉地」なるものに申請し、認定され、踊らされてしまったこと自体にあるのではなかいか、と。

 認定されたのは昭和31年と、制度が始まって僅か2年後だ。まだ戦後10年少々である。朝鮮特需という神風、もといヨソんちの不幸のおかげで経済復興に光明が見えて来てたとはいえ、依然、敗戦の傷跡は随所に残り、みんなそれなりに貧しさを引きずってた時代である。
 申請が通ったことでおそらく当時の現地は大いに沸き返ったに違いない。だっておらが村の地味な湯治場が、国の方で優良な温泉地、これからの新しい平和な日本の健全で健康的なレジャーの拠点として認めたワケだから。金が降って来る、と期待を寄せない方がどうかしてる。そして実際、その後の高度経済成長の波もあって大衆化は進み、宿泊客は急増しただろう。そんなんで多くの旅館が増築・改築の積極策に打って出たと思われる。ところがこの「国民保養温泉地」、何でもかんでもOKっちゅうことはなく、お色気路線をはじめとするガチャガチャしたアメニティがあると認められない。制約があるのだ。

 しかし、冷静に考えると本来的にここにはさしたる観光資源がない。温泉街があって川があって文殊堂がチョロッとあって・・・・・・それだけだ。上田から松本にかけては山がちではあるものの、それは北アルプスに代表される信州らしい雄大な山の風景ではない。雑木林のボサボサした低山が連なってるだけなのである。温泉街にしたってワーッと増改築やりまくったから古い景観も喪われる。
 一方で経済水準はどんどん上がり、消費もどんどん高度化・複雑化して行く。平たくゆうと贅沢になって行く。それも成金的に豪奢になって行く。そんなもう、「国民保養温泉地」ってな肩書きだけでいつまでもハッタリかませるワケがない。

 もし、昔の山峡の湯の佇まいを残してこじんまりとしたまま、たとえば、熊本・黒川のような進化を遂げていたら、こんなにも寂れることはあるいは無かったのかも知れない・・・・・・って、黒川もこの認定は受けてるんだけどね(笑)。

 「国民保養温泉地」・・・・・・名前は立派だけど、だから何なんだ!?ちゅうとこれがもぉサッパリ分からない。まぁ、国のお墨付きなんて何の役にも立たないどころか、往々にして余計なお世話だったりするモンとはいえ、迷惑な話ではある。
 この滑稽で悲惨な認定制度、調べてみると平成14年(2002年)を最後に、申請が途絶えてしまっている。何の役にも立たないことがいい加減温泉地側にも知れ渡ったのだろうが、懲りないことに今はさらに「国民保険温泉地」・「ふれあい・やすらぎ温泉地」なんてクダらないお墨付き制度が新たに生まれてるんだそうな。
 ホント、お役人のバカさ加減だけはどれだけこれらの温泉地に入っても治らんやろ、っちゅうこっちゃね(笑)。

2011.07.24

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