「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
平凡な日常の非凡な維持・・・・・・峠ノ湯


美しく手入れされた花々に囲まれる浴室(ギャラリーのアウトテイクより)

 佐久穂にある峠ノ湯はズーッと以前から気になっていたところだった。初めて知ったのはかなり昔、90年前後だったか、信州の温泉を紹介した本でだったと思う。ずいぶん鄙びた渋い佇まいである風にそこには記されていた。

 そうそう、一度訪問しようとしたこともあったんだったっけ。悪友のS年と野郎同士で曽原湯鉱泉に泊まった時、翌日立ち寄ることを検討してみたのである。地図で見ると曽原湯とは谷筋を一つ二つ越えたところにあって、直線距離だとわりと近かった。しかし、翌日のコースを妙義を回ってから大きく引き返すように隠浅間~上田と抜けるような風に組んだので、ピストン往復となる峠ノ湯はどうにも時間的に厳しく、断念せざるを得なかったのである。ああ、想い出した。当時は平べったいセダンに乗っており、舗装なら楽勝なんだけど、そこに向かう県道はまだ未舗装だと聞かされて、それで断念したのだ。

 それから20年近くが経った。どうにも八ヶ岳東麓、群馬や山梨、埼玉と県境を接するあの一帯は道路改良の遅れた一帯で足がかりが悪く、上手くコースに組み込むのがむつかしい。峠ノ湯は気がかりな存在のまま時間だけが過ぎた。

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 平日というのに韮崎に抜ける国道141号線はけっこうダラダラ混み合っている。沿道はこんなトコにまで!?といいたくなるほど、スーパーにファミレス、コンビニ、ドラッグストア、レンタルビデオ屋、ホームセンター等々が目立つ。ウンザリする。晴れてたらなだらかな裾野の上にギザギザと並ぶ八ヶ岳連峰の秀麗な姿も見えるはずだけど、生憎の曇りで遠望は利かない。

 温泉ハシゴの呪縛から逃れ、改めて旅を見直してみると、峠ノ湯は実に簡単にコースに組み込める。佐久までビャビャーッと関越道・上信越道を辿り、チョロッと南下し、海も瀬もないのに「海瀬」という奇妙な名前の小海線の駅の辺りからあとは東に数キロ、ダラダラ坂を山に分け入れば良いだけだ。事実、呆気なく到着。ナビをクルマに装着してから滅多なことで迷うことは無くなったけど、その分「遙けくも遠く来つるものかな」的な感動は薄らいでしまった。「ピンポ~ン、目的地周辺です。音声案内を終了します。」でチョンだもんなぁ。味気ねぇや(笑)。

 ・・・・・・と、利便性をシッカリ享受してるくせに利便性を都合よく嫌がるアホなおっさんの感慨はともかく、まるで民家な佇まいの峠ノ湯は、綺麗に剪定された庭木や花々に囲まれて道路脇にポツンとあった。周囲に他の人家はまったく見当たらない。
 植込みの間を入ってくと天然木の割板に「峠ノ湯」と書かれた控えめな看板が軒下にさがっており、奥の離れの方から話し声が賑やかに聞こえる。誰か近所の人でも遊びに来てるのかも知れない。ボイラーの焚き口がある所からすると、浴室はどうやら看板の横、入口すぐのところのようだ。

 離れと思ったのがどうやら自宅で、表に面してるのが客室のようだ。訪問は予め電話で伝えてあったので、快く案内される。その風流っちゃ風流な、一風変わった造りはこれまでに見たことのないものだった。茶室の中を板張りにして脱衣場拵え、隅っこに自分ちのより小さなステンレスの一人用の浴槽を置いたら概ねこんな感じになるだろう。脱衣場は奥行きはともかく、幅が異様に狭い。せいぜい2人まで、3人は厳しそうな鰻の寝床で、ここの訪問客の少なさを物語る。

 板張りの床は防水や腐食を防ぐ意味でもあるのか紅殻色に塗られてある。昔はもう少し大きな湯船があったと思われ、そこだけ板の色が若干異なっていたりする。そして、中央には水の汲まれたバケツや洗面器・・・・・・要はこれでうめてくださいね、ってコトだ。案の定、クルクル巻く蓋を取ってみると、縁いっぱいまで湛えられた微かに淡黄色の湯は死ぬほどの激熱。こぼすの勿体ないやんけ!どないしてこれに入れっちゅうねん!?と、いつでも鉱泉に行くと思ってしまう。

 浴槽の対角線上には洗濯機。大きな窓を開け放つと木々に覆われて良く見えないけれど小さな渓谷に向かって斜面上に建ってることが分かる。新建材で内装の大半がリニューアルされるものの古風な格子天井や窓の手摺の手の込んだ意匠、檜皮ぶきの庇等々、元はずいぶん瀟洒で数寄を凝らした浴室であったことが分かる。ホント、茶室みたいだ。そこにステン浴槽のミスマッチがこれまた鉱泉らしくて良い。あとは自家製と思われる、まるで鼻緒のない大き目の下駄のような背の低い木の椅子が壁にいくつか立て掛けられている。これで浴室内のストラクチャーはあらかた言い尽くしたことになる。

 ・・・・・・これだけだとおれがこれまで取り上げてきている鉱泉宿とさして変わる所がないのだけど、ここ、峠ノ湯の最大の特徴にして美点は、それらの事物が古びてはいるものの、いささかの乱雑さも荒廃の翳も見せてないことにある。舌を巻くほどに隅々まで掃き清められ、整理整頓が行き届いているのだ。庭木はあくまで綺麗に刈られ、花は手入れされ、ボイラー周りの薪、鋸や鉈の類も整然と並べて置かれてある。その光景に何となくおれは少し救われたような気分になった。
 年寄りだけで守る鉱泉宿にとって、これだけの水準で環境を維持することは間違いなく大変な苦労を伴うものだろう。だってさぁ、歳取ったらちょっとの動作だって緩慢になって億劫になって来るモンっしょ?家の片付けだってだんだん横着になって来るモンっしょ、フツー!?

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 お金を払って辞去しようとすると、「まぁちょっと上がってお茶でも飲んでってください」と家に招き入れられた。無論、居間も綺麗に掃除が行き届いていて、失礼ながら老夫婦が暮らす家とは思えないくらいに片づけは徹底している。小松菜のお浸しにアメリカンチェリー、甘い煎餅なんかをお茶うけにいただきながら、いろんなお話を伺った。6月だというのに、夜はまだまだ冷え込むのか炬燵には布団が掛かっている。
 元は東京の出身だったが、復員を期に田舎のあるこっちに戻って宿を始めたこと(・・・・・・ってコトは今いくつだ!?)、もうしんどいので宿泊はあまり受け付けていないこと、けっこう近所の人が入りに来てくれてること、3月の震災はこっちでもこれまで体験したことがないような揺れが長時間続いたこと、武田軍がかつて甲斐の国から攻め入った時にここに入湯した伝説のあること、それを示す文書が近所の寺に残ること、下の川の方に宝永3年の銘のある石仏があること、最近は時折、おれ達のような若い連中(・・・・・・たっておれはもうそんな若くもないんだけど、笑)がやって来ること・・・・・・etcetc。

 バーサンの方はジーサンの方の話に相槌を打ちつつ、おれが湯呑を置くと待ってたかのようにすぐさま新しいお茶を淹れてくれる。まるで「わんこ蕎麦」ならぬ「わんこ茶」状態だ。どんなに腹がタプタプになろうが、おれは目の前に茶があるとついつい飲んでしまう性質なので、次から次へとお替わりしてしまう。そして話は尽きない。とは申せ、いつまでもこのままだと次の目的地が覚束なくなってしまう。10杯ほどいただいたところでお暇させていただくことにしたのだった。

 ・・・・・・クルマを走らせながら思った。お二人とも本当にニコニコととても朗らかで、穏やかで、屈託がなかった。あの明朗さはどっから来るもんだろう?・・・・・・と。もちろん、そこに一意の明快な答えなんぞあるワケないし、たまたま訪ねて小一時間ほどを過ごしただけのおれに窺い知ることが出来ようはずもない。それは初めから分かってる。でも考えずにはおれなかった。

 そぉいやひと山越えた曽原湯鉱泉のオバチャンは、かつて泊まった日の晩、夕食の給仕をしながら片田舎の鉱泉経営の苦しさを縷々愚痴ってた。もう旅館なんて畳んでリンゴ園経営だけにした方がよっぽどマシだ、とまで言ってた記憶がある。そんなことを客に訴えて如何なものか、っちゅう気もするが、実際、曽原湯は数軒あったはずの他の旅館も含めてすべて廃業し、温泉地として消滅した。
 ただもう経営ってコトで行けばこの峠ノ湯だって絶対にラクでないことは一目瞭然だ。何せ数名も入れば一杯の混浴の小さな浴室に、湯船は一人用がポンとあるだけなのだから。周囲にはこれといった名所旧跡もなく、道はちょっと行った先で途切れ、群馬か埼玉の奥に繋がる頼りない山道が続くだけで通る人も滅多にいないらしい。今はもう宿泊も止めちゃってるんだし、実態としては細々とやってる、っちゅうトコだろう。それでもキッチリと当たり前の日常を丁寧に過ごすようにして、些かも荒廃を忍び寄らせることなく淡々と営業を続けてる・・・・・・。

 本当に素晴らしい鉱泉ってどこでしたか?と問われたならば、おれは真っ先にこの峠ノ湯を推したい。


浴室内(同上)

2011.07.10

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