「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
雪見酒・・・・・・松川温泉


深い雪に埋もれる松川温泉「松楓荘」。

 日本酒と聞いて思い出すものといえば、やはりワカメ酒だろう・・・・・・って、そんなんオマエだけやろぉがぁっ!って?(笑)

 いやいや、そんなことはない。どの作品だったか忘れたけど、シュールな作風をもって鳴らすかの吉田戦車の作中にも「男の夢だ!ワカメ酒!」っちゅう、彼としてはまことにストレートな台詞が出てきたことがある・・・・・・だから何だ?とさらにツッコミ入れられそう(笑)。

 ワカメ酒を知らんほど野暮な人がこんなおれの駄文を読んでることはよもやあるまいとは思うものの、露悪的に書きたいおれの嗜好もあって念のため説明しておくと、ワカメ酒とは下半身を裸にして正座した女の陰部に日本酒を注いで飲む行為のことをさす。もちろん全身ハダカでも構わない。ともあれ、陰毛が酒にそよぐ様をワカメになぞらえたワケである。嗚呼、侘び寂び侘び寂び。しっかし、何でモズクやヒジキでなくワカメと名付けられたのかは良く分からない。そっちの方がリアルなのに。
 内容そのものは簡単なので誰でもやろうと思えばやれる。そのわりに、実際の体験談はあまり聞かない。まぁ、こんなことを嬉しそうに吹聴して回ることも少ないだろうから、それで耳に届かないだけかも知れないが、女体盛り同様、イメージばかりが先行してしまっているものの代表であろう・・・・・・ハハ、なにが「であろう」やねん、しょうむない前フリで。

 で、同様のものとして雪見酒っちゅうのがある。露天風呂についてのステロタイプなイメージの一つだろう。湯船に深めのお盆を浮かべ、その上に燗酒を入れたお銚子、猪口等を並べ「さささ、一献」など注しつ注されつする、っちゅうアレだ。燗につけてたのが温くなったら湯の噴き出し口辺りに入れたりなんかして、降りしきる雪の向こうに霞む水墨画のような風景を愛でながらジックリと露天風呂に入る・・・・・・。

 まぁいささかケッタイな文人趣味ではあるものの、こっちはそれほど悪くはない趣味だ(・・・・・・良くもないが、笑)。しかし、ワカメ酒同様、実際やってるのをこれまでおれは見たことも聞いたこともない。そんな雪のシーズンに温泉に浸かることがおれにはあまりないし、どだい実際そんな理想的な状態が厳寒の屋外の露天風呂にあるんか?っちゅう気もする。熱かったら長湯できないし、温いと寒い、好適な温度のポイントが分かりにくい。そして雪積もってるくらいなんだから、湯が熱かろうがぬるかろうが湯上がりはムチャクチャに寒い。なもんで、実際に行うにはワカメ酒なんかよりよほど困難を伴うのではないかと思う。

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 大雪のさなか、岩手・松川温泉を訪問する機会に恵まれた。普段、出張中は温泉に行かないことにしてるが、あまりにも時間が空いたのと、いろいろ気遣ってくれる同行者になんだか申し訳なくて、サービス兼ねて連れてったのだ。岩手山の北麓の谷間にあるこの温泉、地熱発電所と鄙びた温泉宿が散在することで有名だ。

 松尾八幡平ICを出た途端、道路は予想以上の雪に覆われている。朝、行き先を鶯宿温泉とどっちにするか迷って松川に決めたことをホンの少し後悔した。さらにこれで吹雪だったりしたらもぉ涙目だけど、空は穏やかに晴れ渡ってるのがまだ救いか。
 一応ちゃんと除雪されてるとはいえこの辺りの雪は例年になく多いそうで、スタッドレス履いてるにもかかわらず標高を稼ぐにつれクルマの挙動は何となく怪しくなってくる。貧弱でボロッちぃFF車だし、運転だって何せ不慣れなものだからグリップ失えば一発でカーリング状態だろう。トバすのは躊躇われる。乗り心地は悪くてもやはりチェーンの方が安心感はちゃうなぁ〜、などと思いながらソロソロと進んでいく。
 向こうから雪煙を巻き上げながら地元ナンバーのランエボがやって来た。流石に巧い。軽くカウンターを当てながら大きなコーナーを見事なスピードで綺麗に走り抜けて行った。いささか悔しい気もするが、ここは我慢するしかない。9,800円のママチャリでは決してロードバイクに勝てないように、最低グレードのFF大衆車が不整地を全開で安全に走り抜けることを目的に作られたクルマに拮抗することはどだいムリなのだ。

 実はこの温泉を訪ねるのはこれで二度目である。初めて来たのはもう10年近く前になる。その時は最も地熱発電所に近いところにある松川荘に入らせてもらった。ペンション風のウッディな建物と、真っ白な湯を湛えた混浴の広い露天風呂が対照的な旅館だった記憶がある。また同じ所に行っても仕方ない気がして、今回は有名な松楓荘に行くことにする。平日だしこの大雪だしまだ時間も早いし、そんなワチャワチャと人が溢れてることもなかろう。

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 一面の雪に埋もれた広い駐車場の奥に建つ松楓荘は、正面から見るととても小さな旅館に見えた。時代を経て白茶けた木造の、古ぼけた外観が好ましい。入ると中は案外フツーで、ロビーには例の白い提灯がぶら下がっている。「日本秘湯を守る会」っちゅうヤツである。秘湯を守るのは宿よりもむしろユーザーである客の方ちゃうんかい!?っていつでもおれは思うのだけど、そんな感慨はおくびにも出さず、入湯料500円也を払う。ひじょうに良心価格と言える。狙い目は正しかったようで、館内に他の浴客の姿は見えない。

 実際の建物は川沿いに細長く伸び結構な広さがあって、如何にも湯治場な造りとなっている。やはり雪の量が例年になく多い証拠に、長い廊下の山側に面した窓は完全に除雪が追いつかないのか雪に埋もれ、その重みに耐えかねてあちこちのガラスにひびが入ったり割れたりで応急措置が施されていた。
 廊下の中ほどにここの名物である河岸の洞窟風呂の入り口があり、まずはそこを目指そうかと思ってたが、宿のオバチャンに止められた。脱衣場は屋外の吹きっさらしなので、最初に内湯でシッカリ温まってからでないと、とても服脱ぐ気にはなれないそうな。

 建物の最奥に川に面した混浴の露天風呂と、反対の山側に向いた男女別に分かれた内湯がある。ここにも「日本秘湯を守る会」の大きな提灯。言われたとおり最初に素直に内湯の方に入ることにする。寒さのために湯気で朦々とする天井の高い浴室は、おそらく元々露天風呂だったのではなかろうか。巨岩が聳える下が湯船となっている。硫黄臭の強い白濁した泉質は以前入らせてもらった松川荘と同様で、この辺に共通する泉質なのだろう。石鹸がまったく泡立たないタイプのものだ。

 いい加減暖まったところで、廊下を挟んで対面の露天風呂に。脱衣場は室内だが、隙間から粉雪が舞い込んでムチャクチャに寒い。人の忠告はやはり聞くべきである。あのまま洞窟風呂に行ってたら大変だった。ドアを開けて見ると、見事な雪見の露天風呂。こりゃいいとばかりにソッコーでハダカになって、足先を突っ込んでおれは唸った。

 ・・・・・・猛烈に熱いのだ。いやホンマ、尋常な温度ではない。とてもマトモに入れる湯温ではなかった。

 一瞬で先刻の内湯で暖まった身体は冷え切る。見ると湯船の縁に湯をかき回す水掻きの飛び出した長い棒が寝かせてある。奇妙なダンスを踊るような、自分で自分の身体を揉みしだくような滑稽なアクションで、寒さに震えながら湯を底から掻き回し、再度挑戦。最初よりは心なしか入りやすくなった気もするが、やっぱし熱い。そらそうだ、ここは地熱発電所があるくらいで、到る所で水蒸気やら熱水が噴出する場所なのだ。

 ・・・・・・納得してる場合ではない。ロケーションは良い。石を打てばその響きがたちまち吸い込まれていくような、静まり返った一面の銀世界に黒い斑の抽象的な文様を描いて谷川が流れる。いや、ここはいっそペダンティックに「谿川」とでも書きたいくらいだ。いつしか薄っすらと曇った空からは細かな雪が舞い降りる。いやもう、ここで雪見酒せなんだらどこでやんねん!?と言いたくなるような風景が眼前に広がる。露天風呂だって華美な装飾のないシブい佇まいだ。雪見酒がそれこそ似合いそうな素晴らしい風景だ。
 しかし、熱いのだ。どうしようもなく熱いのだ。かといってこのまま寒さに震えてても仕方ない。おれは観念して身体を湯船に沈めた。身体中がジンジンと痺れる。いやそれどころかチョットでも身体を動かそうものなら、正直刺すような痛みさえ感じる。それでも頑張って昔の小学生のように「い〜ち、に〜い」と勘定してみたものの、100どころか50を数えることさえも不可能だった。

 這々の体、などと月並みな修辞を使うことを許していただきたい。おれは逃げ出すようにして狂ったように熱い露天風呂から出たのだった。雪の露天風呂は難行苦行だ。

 かといって川向こうの洞窟風呂をパスするワケには行かない。なるだけサッと入れるように、素っ裸に着て来たコート、などというまるで素人投稿写真の野外露出系ネーチャンみたいな格好で、その他の衣類は小脇に抱えて向かうことにする。さらには大昔のスキー板の飾られた入り口付近でスリッパから黒いゴム長に履き替える。こりゃどぉ見ても立派な変態だ。

 橋を渡って階段をちょっと下りたところにある洞窟風呂は、正しくは崖っぷちの一段低くなったところでオーバーハングの岩が上に覆い被さった露天風呂だった。今日初めての客なのか、脇の木の脱衣棚や裏返しになった洗面器には吹き込んだ粉雪が積もっている。そして湯は温い。40℃あるかなしか、って感じだろうか。もっと熱けりゃ白濁するのかも知れないが、湯の花が一面に漂う無色透明の湯だ。泉温は長湯にピッタリだろうが、まったく眺望は開けない。見上げると覆い被さった岩からは大きく成長した尖ったツララが何本も下がっている。折れて落ちてきたらどないすんねん。

 かなり長い間浸かって暖まったつもりだったけれど、上がるととやはり寒い。先刻の露天風呂くらいの熱さでないと、吹き付ける雪まじりの風には無力なのである。しかしそんな熱さではとても落ち着いて入ってられない。要はマトモに入れないのである。ましてや雪見酒なんて到底ムリだ。快適な脱衣場完備の俗っぽい観光旅館くらいでしか実現できそうにない。冬の露天風呂にロマンを抱く人には申し訳ないが、その実態はただもうツラいだけだ。

 大した時間を過ごしたワケでもないのにひどく疲れた。何となく口直しのような気分で地熱発電所を観に行く。銀色の鼓を思わせる巨大な排気塔が谷間の奥にSFチックに鎮座してる。てっぺんからはモラモラ〜ッと湯気が立ち上っている。こんなに寒いのだからもっと勇ましく湯気が噴き出してると思ってたのに拍子抜けだ。

 なんだかどれもこれもが滑った気がした。

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 雪見酒はやはりこれからもやんねぇだろうな、とつくづく実感させられた松川温泉のひと時であった。暖房の効いた座敷でドンチャン騒ぎの挙句ワカメ酒やる方が絶対に、いい。


露天風呂より対岸の洞窟風呂を望む。

2011.02.12

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