姫川を行く(2)・・・・・・島温泉 |

温泉マークが可愛い旅館の外観(アウトテイクより)。
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島温泉は姫川流域に数ある温泉の中でも、もっとも地味なところだろうと思う。ズーッと以前にこの辺りを訪問したことを雑文に纏めたときも、「何だか路傍の温泉なのでパスした」とかなんとか、おれはいささか失礼な書き方をしてしまった。
行ってみたら落ち着いた佇まいの大変シブい温泉でしたよ、ココ。やはり温泉は入ってナンボ、パッと見だけで判断しちゃダメだよね。はい、もぉいきなり言っちゃいます。とても落ち着けてオススメです。
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お断りしておくならば、「路傍の温泉」っちゅう表現は決して貶めた表現ではない。事実ホンマにそうなのだから。国道148号の旧道に面して裏山の斜面に挟まれるようにして細長く、「島之湯旅館」って古い旅館だがポツンと建つ。それだけだ。見た目といい立地といい、温泉旅館というよりは古い街道沿いの商人旅籠のような雰囲気である。
建物の右半分は随分古い羽目板張りをパッとサイデリアかなんかで若干手を入れたもの、、モルタル造りになった左半分は後から建て増されたものだろう。ただ、こちらもそれなりに時代を経た感じだ。白壁と窓枠や桟の褪せた薄緑色ペンキのコントラストは、昔の洋館風の個人病院とかを想い出させた。
以前に訪問した時はダンプ等が地響き立てながらビュンビュン行き交って、何だかうるさく埃っぽい感じだった。それが随分印象が異なって見えるのは、少し離れたところに新しくバイパスが出来て、旧道はこの旅館に来る人くらいしか通らなくなり、すっかり静かになったからだろう。
来訪を告げる。平日、それも朝に大雨が降ったばかりなのもあってか誰も他のお客はおらず、館内は静まり返っている。意外に広い玄関と三和土はかつてここが浴客で溢れていたことを物語っている。上がり框の脇に無造作に置かれた事務用机は帳場代わりだろう。あちこちに一輪挿しがあってチョコチョコ花が活けられており、古いながらも建物が綺麗に保たれてることに好感が持てる。
片廊下に沿って客室がズラッと並ぶ突き当たりに浴室はあって、男女別に分かれていた。ここでも女将に「ご一緒にどうぞ」と言われる。平日の昼間はこのパターンになることが多い。入口あたりに懸かる木の看板は「嶋の湯旅館」となってた。まぁ、どっちでもいいんだろう。こぉゆうアバウトさは大好きだ。
男湯の方に入らせてもらうと、狭くてひじょうに簡素な脱衣場の奥の浴室も、旅館の大きさからするとこれまたかなり狭く、温泉宿っちゅうより鉱泉宿を思わせる。お湯はちょっとぬるいです、と言われた通り、泉温はけっこう低め。源泉そのままで非加熱なのだろう。台形の小さな浴槽に湛えられた無色透明の清澄な湯は見た目に反して含有成分はかなり多いようで、褐色というよりオレンジ色に近い、ずいぶん明るい色の析出物がタイル貼りの浴槽やその周辺にビッシリ張りついている。そこにさらに緑色の苔らしきものも生えて何だか東海道線の湘南カラーの電車みたいな色合いだ(笑)。
内部の造作は旅館の外観とは裏腹の、壁に色ガラスのタイルを幾何学的な模様に嵌め込んだモダンなもので、おそらく元は混浴だったのを仕切ると同時にリニューアルしたのだろう。窓際に大きな石が3つ置かれてあるのは、岩風呂っぽく見せるせめてもの工夫だろうか。
・・・・・・と、かなり詳細に書いてもまぁこんなモンだ。大体これで言い尽くした。ああ、あと、強いて特記すべきことを挙げるなら、換気口らしきものがほとんどなくてエラくムンムンしてたっけかなぁ〜。しかしいつも思うのだが、細かくディティールを言葉にして書けば書くほど、なんか記憶から離れて行くような気がするのはナゼだろう?
風呂を上がって女湯の方にも行ってみたが、こっちはもぉ笑えるほどに小さく、普段から入る人も少ないのか、溢れるままになった湯による析出物は男湯の方よりさらに鮮やかな色でゴテゴテになっている。いずれにせよ、道路沿いにあるのに不思議と森閑とした雰囲気に包まれた、落ち付いた温泉だった。やっぱ入ってみなくちゃ温泉なんて分からない。
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帰り際、女将に95年の大水害の話を聞かされた。
豪雨が降り続いて「危ないなぁ〜」などと家から出ないようにして家族で話していたら、これまで聞いたことも無いような地鳴りがしたのだそうな。何が起きたのか!?と家から飛び出したら、旅館のすぐ目の前を巨大な山津波、今風に言えば土石流がいろんなものを巻き込んで押し流しながら、恐ろしい勢いで道路を越えて遙か下方の姫川に流下して行く。正直、もうダメかと思ったらしい。しかし宿も家族も全員無事だった。建物の裏が枝尾根で僅かに小高くなっており、それで間一髪、土石流の方角が逸れたのである。
お暇な方は国土地理院の地図サービスを併せ見ていただくと一目瞭然だと思うが、もし土石流にやられてたらこの温泉、絶対に助からなかっただろう。旅館の前から姫川まではすっぱりと、ほぼ垂直に切り立った断崖になってるのだ。新道が川に向かってオーバーハングして迫り出して通っていることも分かる。実に過酷な立地条件なのだ。
土石流の流れた跡は復旧工事と10年以上の歳月の結果、一見しただけでは分からなくなっている。しかし、その辺りだけ切り取られたように大きな木が育っておらず空地が広がってたり、ガードレールや石垣が無かったりして、奇妙な空漠感が漂ってることにすぐに気付いた。かなりの幅がある。自然の猛威の爪痕はやはり残っているのだった。
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残念ながら今の島温泉の静けさは、かりそめの静けさなのかも知れない。
この100年間だけでも姫川流域の災害は30回を越える。単純平均すると3年に1回という異常なまでの頻度である。近年は懸命の治山工事のおかげでかなり減少したものの、それでも人智を遙かに超えて起きるのが天災だ。
そのうちで最大規模だったのがちょうど100年前の1911年(明治44年)に起きた「稗田山崩れ」と呼ばれる山体崩壊である。こんなモンにまで日本三大ナントカっちゅうんかい!?ってツッコミ入れたくなるけれど、まぁとにかくその一つらしい。恐ろしいことに他の2つ(鳶山・大谷)が大地震をきっかけに引き起こされたのとは異なり、特にこれといった予兆も無いまま標高1,400mもある山のおよそ半分がある日ボッソリと崩れ落ちたのだった。いかにこの辺の地質が脆弱であるかが良く分かる。ちなみに残った半分に今の白馬コルチナ国際や白馬乗鞍といったスキー場があるのはさておき、このときの山体崩壊による崩落量はおよそ1億立方メートル(!)という。裏山の崖が崩れるのとはケタが違う。
そして繰り返される姫川の氾濫は、そんな脆弱な地質の河岸を速いペースで鋭くえぐり取って行く。こうして黒部のV字峡谷並みの急峻な地形に国道やら鉄道、そして集落が何とかへばりついた特異な風景が広がっている。こんなに不安定な地域も少ない。
それでも、だ。やはり思うのだ。希求するのだ。いや、何も特別なことではない、いつもと一緒のことだ。
・・・・・・これからもずっと変わらない姿でひっそりと残り続けてほしい、と。 |

浴室内の様子(同上)
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2010.10.19 |
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